前回から
2007年07月から08月の末頃(だと思う)
メモを無くし、パソコンのデータも飛んでしまったので詳しい日時は分かりませんが、確か上記ぐらいだったと思います。日付はうろ覚えですが、内容は良く覚えています。
-----久しぶりの再会-----
夏の暑い日、私はとあるスーパーの駐車場へ行きました。そこで久しぶりに小学校からの幼なじみ、N林さんに会いました。
「久しぶりだね」
「そうだね」
「はい、これ・・・」
私は会社にあったN林さん宛のいくつかの配達物を渡しました。その中には裁判所からの通達や督促状がありました。
「これ、どういうことなん? なにがあったん? 良かったら話してくれん? 今、私も給料や貸金の事で会社を相手に訴訟(裁判)を起こしとるけん」
「うん、わかった」
N林さんは重い口調でした。
-----人物関係-----
その前に人物関係の概要をご紹介。
私とN林さんは小学校からの幼なじみでよく遊んでいたりしました。
高校時代に夏休みの(引っ越しの)アルバイトで、私とN林さんはO村(当時は運送会社勤務、副業でネットワークマーケティングもかじっていた)と知り合う事になります。
O村はその後転職をし、ある会社の営業マンとなりました。N林さんは専門学校卒業後、車関係の会社へ就職し、その後いくつかの会社を経て有限会社O村工房(のち業種や社名変更で現"株式会社F")をO村と一緒に設立しました。
-----有限会社での業績-----
有限会社O村工房では主に車のポリマー加工(車の塗装にポリマーという物を塗ってワックスがけをしなくてもピカピカのままにする加工だそうです)をしていたそうです。
O村とN林さんだけでは作業が大変と言う事で何人か従業員を雇ったそうです。
ただ、肝心の営業状況についてはナカナカ仕事にありつけず結構苦労していたのだそうです。
従業員を雇っているので毎月の給料を支払わなければいけません。
「どうするんだ、なんとかしろ!」
N林さんは金策を余儀なくされました。
しかし、N林さんだけでは限界があり、従業員に対する給料の支払いは滞りがちになり、一人、また一人と会社を去っていったそうです。
-----資金援助-----
「捨てる神あれば拾う神あり」とは良く言ったモノ。
O村が営業マンをしていた頃のお客様で、ある田舎の一人暮らしのおばあさんのところへN林さんは資金援助を申し出たところ、1,000万円ほど"助けてくれた"そうです。そのおばあさんはO村の事をひどく気に入っていた様子だったそうです(養子縁組の話さえあったのだそうです)。
-----ネットビジネス-----
世の中は"ITバブル"とか"インターネット・バブル"が既にはじけてしまっていましたが、それでもなおインターネットを使ってビジネスを始める、いわゆる「インターネットビジネス(略して"ネットビジネス")」は根強く流行していました。様々なセミナーも催されていたようです。
その背景としてブロードバンドが一般家庭でも普及し始めたことや、時代の寵児と呼ばれた"堀江貴文"の影響もあったと思います。
そんな中、O村はアメリカにて小売業で成功していたM氏と出会うことになります。
M氏は「日本でもビジネス展開をしたいのだが代理店が無い」との誘いにO村は自らの会社を代理店にすると名乗りを挙げたそうです。
(その2へ続く)
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