my_log 2 yogaとロカボと糖尿病と大腸癌

宮古島移住 夏は北海道 妻は茨城で馬車馬の様に働く

時は流れない、それは積み重なる

2013-01-21 13:48:10 | 日記

やさしさの

  インフルエンザ

     流行しないかしら
     
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「朝はかならずやって来る」 私の軌跡

2013-01-21 13:29:42 | 日記

明治、大正、昭和、平成と一世紀を生きてきました。
震災や空襲など様々な怖い体験もしてきました。B29(米
国の爆撃機)の空爆のときには乳飲み子を抱え、防空壕
のなかでおっかなくて、おっかなくて。死ぬかとおもった
こともありました。イジメやうらぎり。さびしさなどから。
死のうと思ったこともありました。
「これ以上、おまえたちに迷惑をかけたくないから」と自
ら老人ホームに入所した母との悲しくて悔しい別れや、
「全盲になるかもしれない」と言われた手術(緑内障)
など、不安なこともありました。
今、一人暮らしの私の家にはヘルパーさんが週六日、

六十四歳になる、一人息子の健一が週一日来てくれます
が、正直に言えば、ヘルパーさんや倅が帰るときはさび
しく、悲しくなります。とくに健一が帰る時間が近づく
と気分が塞ぎ、無口になってしまいます。
 でも私はその度に歯をくいしばり、自分を”叩いて叩
いて”(叱咤激励)自身に言い聞かせます。「くじけるな。
頑張れ、頑張れ」って-。
 私、若い頃、奉公先でいじめられたときによく行った
橋があります。幸(しあわせ)が来るという字の通りの
「幸来橋」。その橋のたもとでしゃがんで泣いていると、
”ふーちゃん”という友だちがきて「がんばろうね」っ
て笑顔でなぐさめてくれました。泣きやんで、二人で青
い空や流れる白い雲を見ていると、なぜか晴れやかな気
持ちになっていました。あれから八十年余。



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被災者の皆様に

2013-01-21 13:28:53 | 日記
柴田トヨ


 あぁ なんという

 ことでしょう

 テレビを見ながら

 唯(ただ) 手をあわすばかりです

 

 皆様の心の中は

 今も余震がきて

 傷痕(きずあと)がさらに

 深くなっていると思います

 その傷痕に

 薬を塗ってあげたい

 人間誰しもの気持ちです

 私もできることは

 ないだろうか? 考えます

 もうすぐ百歳になる私

 天国に行く日も

 近いでしょう

 その時は 日射(ひざ)しとなり

 そよ風になって

 皆様を応援します

 

 これから 辛い日々が

 続くでしょうが

 朝はかならず やってきます

 くじけないで!


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倅に

2013-01-21 13:26:56 | 日記


何か
つれえことがあったら
母ちゃんを 思い出せ

誰かに
あたっちゃあ だめだ
あとで 自分が
嫌になる

ほら 見てみなせ
窓辺に
陽がさしてきたよ
鳥が 啼いてるよ
 
元気だせ 元気だせ
鳥が 啼いてるよ
聞こえるか 健一







亡くなった母とおなじ
九十二歳をむかえた今
母のことを思う

老人ホームに
母を訪ねるたび
その帰りは辛かった

私をいつまでも見送る
 母
どんよりした空
風にゆれるコスモス
今もはっきりと覚えて
 いる




生きる力

九十を越えた今
一日一日が
とてもいとおしい

頬をなでる風

友からの電話
訪ねてくれる人たち

それぞれが
私に
生きる力を
与えてくれる




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くじけないで

2013-01-21 13:25:38 | 日記
栃木県宇都宮市

柴田 トヨ 96


ねえ 不幸だなんて
溜息をつかないで

陽射しやそよ風は
えこひいきしない

夢は
平等に見られるのよ

私 辛いことが
あったけれど
生きていてよかった

あなたもくじけずに

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年頭にあたり 

2013-01-03 14:45:27 | 日記
年頭にあたり 文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司
2013.1.3 03:08 (1/4ページ)[正論]
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130103/plc13010303090003-n1.htm
 ■強靱な頭脳と精神こそ国難救う

 思い返せば、3年余の民主党政権下の日本に生きていることは、実に不愉快であった。「戦後民主主義」の日本に生活していることがそもそも不愉快なことであり、だから、「戦後レジームからの脱却」を強く願っている一人なのだが、この3年余の期間はその不愉快さも極まったかの感があった。

 ≪日本の「常識」の大道を行く≫

 不愉快さのよって来る原因は、数え上げればきりがないが、「事業仕分け」とか「近いうち」といった茶番劇もさることながら、根本的には人間の卑小さばかりを見せつけられ、人間の偉大さや高貴さを示す事象が実に稀(まれ)であったことである。日本人が日本に生きていることに誇りを感じさせることがなかった。そして、この民主党政権を選択したのが日本人自身であることを思えば、ほとんど国民の現状に絶望しそうになった。

 だが、待ちに待った総選挙で安倍晋三自民党が大勝したことで、何とか絶望しきることがなくてすんだ。これでうんざりすることも減っていくことを期待している。

 安倍政権に望むことは、あれこれ具体的な政策というよりも前に、日本の歴史と伝統に基づく日本人の考え方の「常識」という大道を歩むことである。憲法改正も安全保障も経済政策も教育問題も、すべて日本人の「常識」から発想すればいいのである。逆にいえば、この3年余りの間ずるずると続いた政権が、いかに非常識な考え方を振り回していたことか、ということである。亡国の悪夢を見ていたような気がする。


近代日本の代表的基督者、内村鑑三は、「武士道と基督教」の中で「我等は人生の大抵の問題は武士道を以て解決する、正直なる事、高潔なる事、寛大なる事、約束を守る事、借金せざる事、逃げる敵を遂わざる事、人の窮境に陥るを見て喜ばざる事、是等の事に就て基督教を煩わすの必要はない、我等は祖先伝来の武士道に依り是等の問題を解決して誤らないのである」と書いた。政治は「人生の大抵の問題」の領域を扱うものである。そして、日本人の「常識」とは、「祖先伝来の武士道」を基盤としたものに他ならない。

 ≪「祖先伝来の武士道」今再び≫

 「正直」「高潔」「寛大」といった徳が今日どのくらい失われてしまっているか、「約束を守る事」ということが「近いうち」という言葉をめぐる騒動でいかに蔑(ないがし)ろにされたか、ということを思えば、「祖先伝来の武士道」に依って生きることも容易ではないのである。「借金せざる事」という禁欲の欠如が国の財政悪化の根本にあるわけだし、「人の窮境に陥るを見て」喜ぶ卑劣な心理が、大方のメディアを成り立たせている。

安倍自民党の公約に「国土強靱(きょうじん)化」というのがあるが、確かに大震災への備えの必要やトンネル崩落事故などに露呈したインフラの老朽化は危機的な問題であり、それを解決していくために「国土」の「強靱化」は不可欠であろう。

 それにしても、「強靱」という表現はいい言葉である。強大や強盛をモットーとする国家と比べて、「強靱」という言葉には引き締まった語感がある。強大や強盛には張りぼて的な虚勢の悲喜劇が感じられるが、「強靱」には自らに厳しい節制がこめられている。

 昨年末の政権交代により、今年の日本は新たな門出のときを迎えるが、その重大な節目にあたって必要なのは、日本人の精神の「強靱化」である。尖閣諸島や竹島、あるいは北方四島といった領土問題や他の外交・安全保障の問題のような、「戦後民主主義」の安逸の中で眼をそらしてきた問題と堂々とぶつかる「強靱」な精神であり、本質的な議論を避けない「強靱」な思考力である。

 ≪小利口さではもはや通用せぬ≫

 昨年5月に桶谷秀昭氏との対談『歴史精神の再建』を上梓(じょうし)したが、その中で氏は新感覚派の横光利一が「今文壇で一番頭の悪いのが中野重治だ」といい、それに対して中野が「俺の頭は悪いかもしれないが、強い頭だ」とある小説に書いたということを語られた。

「強い頭」、これこそ今後の日本人に必要なものである。教育改革の要諦も、ここにある。戦後の日本の教育は、「いい頭」に価値を置き、「強い頭」を持った人間を育成することを怠ってきた。自分で考えず、ただ回転の速い、整理能力の高い、要領のいい、といった頭を「いい頭」としてきた。

 しかし、こういう頭は、時代の風向きに敏感なだけの小利口な頭に過ぎない。戦後世界の中で小利口に立ちまわってきた日本も、もうそれでは通用しなくなった。いつの時代にもいる「新感覚派」的な小利口な人間たちが、日本をこんなありさまに引きずり落としてしまったのである。

 日本を再生させて内外の国難に取り組んでいけるのは「強い頭」に他ならない。「強い頭」とは、人間と世界の過酷な現実を直視する水平的な勇気を持つにとどまらず、その現実を貫く垂直的な希望を抱いているものだからである。(しんぽ ゆうじ)












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不幸な人生をおくる10の方法

2013-01-02 21:31:19 | 日記

http://matsuhiro.blogspot.jp/2012/12/blog-post_31.html


1.不平不満を漏らす期待通りに物事が進まないと、ついブーブー言ってしまうものです。 仕事が多過ぎる、上司が最悪、天気が悪い、道が混んでいる、時間通りに電車が来ない……。ネタなんていくらでもあります。

スムーズにすべての物事が運ぶなんてハッキリ言って稀ですから、適当に流したほうがどう考えても楽です。 でもね、口癖のようについ文句を言ってしまう。そんなことありませんか? 私なんてしょっちゅう言っています。

2.抱えている問題から目を背ける本当は取り組まなければ問題から、眼を背けてしまう……。よくあることなのではないかと思います。 他の用事に手を付けたり、ガールフレンドを乗り換えたり、問題そのものを先送りにしたり……。

しかし問題から目を逸らしたところで、別に問題が消えてなくなるわけではありません。そしてその問題はずっと追いかけてくるんです。あの時に勉強しなかった自分、面倒くさい人間関係から逃げ回ったあの頃……。結局は逃げ回ったことに捕まり、後で倍も苦労しました。身につまされます。

3.自分を他人と比較するあいつのほうが出世している/金持ちだ/才能がある/運がいいなどなど、ついつい自分と他人とを比べてしまうものです。

他人と比べたところで別に自分を取り巻く状況が良くなるわけじゃありません。どっちかっていうと惨めになるがオチです。でもね、ついついやってしまいがちですよね。

4.まだ起きてもいないことに気を揉むまだ起きてもいないことをついつい心配することってよくあることです。 ビジネスに失敗したら? デートがうまくいかなかったら? プレゼンがうまくいかなかったら? 受験に失敗したら? 合コンで相手にされなかったら?

人類はこれまで悲観的な予測を立て、未然に備えることで繁栄してきたような部分がありますから、ある程度は本能のようなものでやむを得ないでしょう。ただ何事も過ぎたるはなお及ばざるがごとし。必要以上に悲観的な予測をたて、行動そのものをヤメてしまったりしたら、元も子もありません。

5.抱えている問題に押しつぶされてしまう問題を抱えていない人なんていません。一見成功しているように見える人でも色々と問題を抱えているものです。ただそうした人は、問題の適切な処理方法を身につけていることが多いのではないでしょうか?

問題を乗り越える方法は色々ありうるでしょう。自分自身が成長する/助けを求める/解決方法を学習する/問題をひとつずつ処理する/大きな問題は小さな問題に分解して攻略する……などなど。

問題を必要以上に大きなものとして捉えないことが大きな鍵なのかもしれません。

6.好きでもないことをやる好きでもないことをやり続けていると段々腐ってきます。スティーブ・ジョブズも伝説のスピーチで言っていました。

「毎朝鏡を見るとき、自分に問いかけるんだ。今日がもし人生最後の日だとして、今日これからやろうとしていることをやりたいだろうか?」
「答えがノーの日が何日も続くようなら、他にやりたいことを探すべきだ。」

自分の人生の主人公は自分自身なんです。私はこのスピーチを聴いて、転職の決意ができました。

7.ためにならない人間関係を続ける残念ながら、ためにならない人間関係ってあります。つるみたくもない相手と惰性でつるんでいたり。こうした関係は風通しを悪くし、やがて足を引っ張り始めるものです。

自分の価値を下げる人間関係
あなたの意見を尊重しない人たち、あなたの好意を当然のことだと思っている友人など。こうした人たちと果たして本当につるむ必要があるのか、よくよく考えてみたほうが良さそうです。

マイナス要素を引き寄せる関係
サゲマン/サゲチンみたいなもんでしょうか?関係を続けると運が逃げていくような相手。エネルギーを吸い取っていくパートナー。こういう関係は要注意です。

ゴールを遠ざける関係
真面目にゴールに向かって努力しようとしている時に、チャチャを入れたり足を引っ張ったりして、かえってゴールを遠ざけたり、やる気を失わせる友だちや恋人。考え直したほうがいいかもです。

もはや愛し合えないパートナー
あなたのことをもはや愛していないパートナー、あるいかつてのように愛せないパートナー。一緒にいてもお互いの不幸感を高め合うだけかもしれません。

続けていると度々腹が立ったり、ガッカリしたり、楽しくなくなったり、失望させられたり、フラストレーションがたまる関係は、一度見直してみるべきではないでしょうか?

8.他人を変えようとする他人を自分の思う通りに変えることなんてそうそう出来ません。自分の子供や配偶者ですらほとんど不可能です。仮に変わるとしても、その本人が変わろうと思ったから変わるわけで、他人がとやかく言ってもなかなか変わるものではありません。

他人を変えようとすればするほど、フラストレーションが溜まり、イヤな気持ちになっていきます。

だいたい自分を変えるのですら至難の業なのに。他人を変えようなんておこがましいにもほどがあるような気がします。

9.他人を満足させようとする他人を満足させようとするぐらい虚しい事はありません。例えば親を満足させたいとしましょう。

いい成績をとれば親が満足するかな。と思って一生懸命勉強すると、次にはいい学校に入れと言い出します。さらに一生懸命勉強していい学校に入ると、今度はいい会社に入れです。そしていい配偶者を貰え、早く孫の顔見せろとか。

こうして自分の幸せや価値観を他人の手に委ねていいものでしょうか? そもそも他人を満足させるなんて不可能ですし、こんなことをしているうちに誰の人生だか分からなくなってしまいます。

勉強をしたけりゃ自分で自分のためにすればいいんです。言われてやることじゃありません。

10.自分の価値観を、ゴール/結果/物事/社会的地位/他人と一体化させる世の中不変のものなんてありません。

いい会社で偉くなって高い地位に就いても、会社が倒産したり、リストラに遭えばタダの人です。そんなときに自分の価値を会社や地位につよく結びつけていると、ショック倍増です。社会的地位なんてまあ飾りみたいなもんだと言う醒めた感覚、非常に大事なのではないでしょうか?

またどんなにカネを稼いでもあの世に持っていけるわけではありません。信頼するパートナーだって不変の愛情なんて存在しませんし、また死別するかもしれません。将来の夢などにあまり自分を強く結びつけると、それが叶わなかった時に惨めなものです。

諸行無常ですね。夢を持つのが悪いとは思いませんが、そういったものに依存しすぎないよう、醒めた感覚も大切なのではないでしょうか?


◆福沢心訓七則

一、世の中で一番楽しく立派なことは一生涯を貫く仕事を持つということです。

一、世の中で一番みじめなことは、教養のないことです。

一、世の中で一番さびしいことは、する仕事のないことです。

一、世の中で一番みにくいことは、人の生活をうらやむことです。

一、世の中で一番尊いことは、人のために奉仕して決して恩に着せないことです。

一、世の中で一番美しいことはすべてのものに愛情を持つことです。

一、世の中で一番悲しいことは嘘をつくことです。
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