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反・自由貿易論(新潮新書) [Kindle版]

2013-11-02 08:04:18 | 日記


日本では郵政民営化の反省が出てきてる
金、人、物、サービス、の自由な移動
違う国の通貨を同じユーロに統一する実験中(^^;の
EUの主要国ドイツの立場、そしてEUから
距離をおくイギリス、スイスの位置
TPPの日本の位置がEUのドイツと重なって見える
イギリス、スイスの位置ならσ(^^)納得ですが。

1つ譲歩すると1つ2つとドカドカ踏み込んで来るヤツラと日本が交渉など出来るとは思えない

縦書き1行20文字を横にして見ると、なんだか全然違って見える読みにくいので繋げました

 

反・自由貿易論(新潮新書) [Kindle版]
美味しい処だけ

農村にあった直感と智恵

 私は生まれも育ちも首都圏で、農業とは無縁の職業に就きましたから、地方の農業の実態については、ほとんど何も知識もありませんでした。 しかし、TPP反対派の立場をとったことから、地方の農業協同組合などから多数の講演依頼が舞い込むようになり、年中、日本各地の農村を巡るということになりました。
 中には、ローカル線で4時間もかかるとか、空港から車で3時間もかかるといった町もありました。生来の旅行嫌いもあって、正直、「これはとんだことになったな」とはじめは苦笑いしたものでした。しかし、今となっては、この地方講演巡業のおかげで、いろいろ、日本が現在直面している問題の隠された根の深さに思いが至ることになりました。
 各地の農協を訪問して、特に印象深かったのは、どんな小さな町村の農協であったも、その地の組合長に選ばれている方はひとかどの人物であったということです。
 そんの訥々とした語り口やしわが刻み込まれた風貌は、柳田圀男のような民俗学者の記録に出てくる土地の古老、あるいは映画に出てくる田舎の小学校の校長先生をイメージさせるものでした。要するに、農協の組合長とは、一昔前の日本にはあちこちにいたであろう、人々から一目置かれている地方の名士なのです。
 そうした組合長たちと、地方でとれた米や野菜を使った料理でもてなされながら、語り合ってると、彼れらが持つ長年の経験に裏打ちされた知恵や良識の一端に触れることができます。
 もちろん、地方の農協の組合長は、世界情勢に詳しいわけでもなく、経済学を知ってるわけでもありません。しかし彼らは常識や直感、本能に従って、TPPに危機感を抱いているのです。そして多くの方が、TPPだけででなく、いわゆる構造改革が世の中をおかしくいてきたのではないかと憂い、「日本的なもの」が崩れていっていることに対する不安を口にしていました。地方の農協の老組合長たちの直感と智恵には、何か侮りがたい深さがありました。

共同体をつなぐ伝統文化

 TPPについての私の見解は、政治思想や経済思想などの文献を通じて得た知識に過ぎません。しかし組合長たちは、長い人生経験と日々の暮らしの中から、TPPの危うさを確信していました。自由化やグローバル化の幻想に侵されていないその判断こそ、実に常識的で論理的なものでした。
 こうした老組合長たちの識見を育んできたものは、農村共同体という環境なのではないかと私は思います。世間では、地方の農村共同体はすでに崩壊しつつあると言われています。テレビや新聞などでは、農家が高齢化し、過疎化が進み、耕作放棄地は増え、このままでは日本の農業は立ち行かなくなるというイメージが流布されています。そして、農業にも資本を投入して大規模効率化を図り、ビジネスとして成り立つように構造改革を進めるべきだと言われています。
 たしかに、日本の農業に構造的な問題があるのは事実でしょう。しかし、他方で、山間地など、とても大規模農業には適さないような土地であっても、農業共同体が生きてる場合もあります。農業が大規模効率化してビジネスとして完全に成り代わってしまったとき、農業共同体が活性化するとは限らず、むしろそれが崩壊してしまう恐れがあります。
 たとえば、広島県の中国山地の農村を訪れたときのことです。広島空港から車で延々と走る中、車窓から見える風景は、山間の小さく区分けされた田畑ばかりで、民家がぽつりぽつりとあるだけでした。都会の人間で何も知らない私は、その風景の美しさを感じる一方で、マス・メディアが流布する非効率で高齢化が進んだ農村のイメージと重ね合わせて「なるほど。この村はたしかに厳しいな」と勝手に思っていました。
 しかし、それは大きな間違いだったのです。農協組合員の前で講演をした後、旅館に案内されて、そこで「神楽」というものをはじめて見ました。神楽というのは神社の祭礼で行われる伝統的な歌舞ですが、実際には舞台を所狭しと立ち回るエキサイテイングなエンタテインメントでした。ストーリーや台詞こそ古めかしいものの、現代風のテンポのよい演出でアレンジされており、演者も若者ばかりでストリート・ダンスのようなリズミカルな動きを見せていました。ハイライトのシーンでは、観客席は興奮のるつぼと化し、特に最前列を占める少女たちは熱狂し気を失わんばかりで、さながら人気絶頂のアイドル、グループのコンサートのようでした。聞くところによると、彼女たちは、神楽の「追っかけ」なのだということです。
 驚くべきことに、神楽が盛んな中国地方の山間部の農村では「神楽をやりたい」という理由で多くの若者が地元に残っているというのです。地元の農家、学校、市役所あるいは農協の若者たちは、仕事が終わると集まって練習を重ねている。そして中国地方の町村ごとにそれぞれ特色ある神楽を創造して、お互いに人気を競っているのだそうです。
 神楽は中国地方だけでなく、東北、九州地方など農業が盛んな地域を中心に日本各地に存在し、神楽団体は全国で700近くもあるのです。そして神楽のような地元に根ざした伝統芸能が、高齢化と過疎化を抑制し、山間部の小さな農村を生き生きとしたものにしていたのです。

「日本的なもの」は貿易を妨げる障壁か

 これは、経済理論や経営理論からは見えてこない、圧倒的な現実でした。日本の農業に必要なのは、規制緩和と資本の導入による経営の大規模効率化ではなく、地元のお祭りのような人と人とのつながりや、農村に伝わる文化といった精神的な要素だったのです。
 しかし欧米からやってきた経済理論からすれば、農産物は商品であり、農家は生産者に過ぎません。より安く生産し、より多く取引できればそれで良いのです。
 こうした経済理論を信奉し、自由貿易やグローバル化を支持し、TPPや構造改革を訴える人にとって、日本の農家や農村は「無駄」で「非効率」で「古い」ものでしょう。組合長が長年培ってきた常識や智恵も、彼らが生活する農村共同体も、そしてその農村共同体をつないでいる伝統文化も、生産や貿易を妨げる「障壁」であり、取り除かなくてはいけないのもと考える。彼らにとっては、ありとあらゆる「日本的なもの」こそ、相容れず、忌々しく、潰したいものなのです。
 TPPを巡る騒動は、まさに「日本的なもの」が破壊されていく過程でした。そして、反対派が何とかして守りたかったのも、この「日本的なもの」だったのです。各地の農村を訪れたおかげで、私ははっきりとそれを知ることができました。


 

 

コメント
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