ECMの音楽。
非常に硬派でピュアな音楽が多い、というかそういう音楽専門という趣きのレーベルですが、ジャケ買い率No1という不純な購入動機もセットになっているところがなんとも不思議。
ECMの音楽的な内容は自分にとっては時に激し過ぎ、寂し過ぎ、フリー過ぎといったことも多いですが、ジャケに呼応して一転素敵に感じてしまったりすることもままあり。
ジャケは音楽とは関係ないという方も多いでしょうが、実際にはかなりの影響があるというのが私個人の考え。
Bill Evansの肖像は音楽と呼応している。
最近ではJan Lundgrenだってそうだと思う。
イケ面というわけではなくてもMonkやHerbieだって風貌通りの音楽でしょう。
というわけでこの結構な値段のするジャケ写集、迷った挙句結局手元にあります。
持っているCDのがバーンと載っていると少し損をした気分ですが、やっぱり良いですね。
この写真集は第2弾らしいですが、自分は最近のジャケの傾向が特に好きです。
中古であったら中身が何でも買っちゃうだろうな、ジャケ次第では。
ECMの音楽は特にこの種の音楽が好きな人でないとお勧め出来ません。
知り合いに聴かせたりすると距離が出ます。下手すると心配されたりするし、どことなく後ろめたいものが多い(全然大けするものも中にはあると思いますが)。
簡単に言うと「暗い」です。
簡単に言ったらこうなっちゃうんですよね。
でも深―い感動をもたらしてくれた盤も多いです。
暖かみもあれば優しさもある盤もある。
いずれにしてもそれはジャケ写の様な音世界です。
ミニマルなものから人の気配のあるものまで様々ですが、いずれにしても美しく、どこか寂しげな部分は共通しています。たまに考えるんですが、こういう美しさや寂しさにすがる音楽時間というのは如何なもんなんでしょうか。
ECMが良いときは一人が心地いい。
なんで一人になりたいか?
どこか少し病んでいるから?
お疲れ?
などなど色々なことを考えてしまいがちですが、
最近全然関係ない分野のものとちょっと結びつきました。
妹に勧められて「岳」という漫画に今かなり入れ込んでいるのですが、これの10巻で、山岳救助見習いの阿久津君がボランティアで山岳救助をやっている主人公の三歩という男に山のどこが良いのかを聞くシーンがあるのですが、いっぱいある中でたとえばということで挙げた話が、
「高いけど高過ぎない、5千メートルくらいの冬の山。
まだ月が昇ってる夜中に雪の稜線のテントから顔を出すと山の空気はさすように冷たくて、、、
風はなくて静かで・・・
あたたかいコーヒーを一杯飲んで、残りはテルモスに入れる。
月が明るいからヘッドライトも点けないでテントを出る。
雪はウェハースをふんで歩いているように気持ち良くて、
クランポンの全ての刃をしっかりとらえる。
そんな冬山の稜線を一人で歩いていると、
この世には自分しかいないように感じてくるんだ。
でも孤独じゃなく,
恐怖もなく、
ただただウェハースの雪を感じながら歩く。
そんなときはいいなぁって思うよ。山が好きだなぁって・・・」
このセリフはきっと作者本人か、もしくは実際のクライマーの感想なんだろうなと思うくらいリアルに情景の浮かぶもので、この描写にハーっ、、、と溜息が出てしまいました。
そしてその感動の類いがECMのそれに非常に近いなぁと思ったのでした。
特に
「でも孤独じゃなく,
恐怖もなく、
ただただウェハースの雪を感じながら歩く。」
というところが素晴らしく、何でもかんでも意味があるか否かを考えるのが無意味であることを教えてくれます。
昔学生の時に、建築学科の他校の先輩の作品を見た際、違和感を感じた自分は、
「そういうのは実際に人が使う建築としてはあんまり意味がないのでは」
みたいな質問を投げかけたら、
「建築と空間が好きだからやるだけだよ」
とバシッと言い切られて衝撃を受けたことを今思い出してしまいましたが、それに近いものがあります。
いいなぁ。ベタですが,「人は何故山に登るのか、そこに山があるから」ってのがありましたね。ベッタベタですが(笑)。
自分はまだまだ理屈っぽくて、感性で生きていないのかなぁなどと考えてしまいますね。
ECMの音楽は孤独です。山岳、深海、宇宙、ミクロの世界といった世界を感じる音楽。
普段の日常生活とはちょっと距離のある世界です。
ここに行きたいなんてやっぱりどこか疲れているんじゃないか、などとまだまだ考えてしまいますが、、、。
惹かれるんであればそれ以上のことは考える必要は無し!
などと軽く誓ってみるのでした。
非常に硬派でピュアな音楽が多い、というかそういう音楽専門という趣きのレーベルですが、ジャケ買い率No1という不純な購入動機もセットになっているところがなんとも不思議。
ECMの音楽的な内容は自分にとっては時に激し過ぎ、寂し過ぎ、フリー過ぎといったことも多いですが、ジャケに呼応して一転素敵に感じてしまったりすることもままあり。
ジャケは音楽とは関係ないという方も多いでしょうが、実際にはかなりの影響があるというのが私個人の考え。
Bill Evansの肖像は音楽と呼応している。
最近ではJan Lundgrenだってそうだと思う。
イケ面というわけではなくてもMonkやHerbieだって風貌通りの音楽でしょう。
というわけでこの結構な値段のするジャケ写集、迷った挙句結局手元にあります。
持っているCDのがバーンと載っていると少し損をした気分ですが、やっぱり良いですね。
この写真集は第2弾らしいですが、自分は最近のジャケの傾向が特に好きです。
中古であったら中身が何でも買っちゃうだろうな、ジャケ次第では。
ECMの音楽は特にこの種の音楽が好きな人でないとお勧め出来ません。
知り合いに聴かせたりすると距離が出ます。下手すると心配されたりするし、どことなく後ろめたいものが多い(全然大けするものも中にはあると思いますが)。
簡単に言うと「暗い」です。
簡単に言ったらこうなっちゃうんですよね。
でも深―い感動をもたらしてくれた盤も多いです。
暖かみもあれば優しさもある盤もある。
いずれにしてもそれはジャケ写の様な音世界です。
ミニマルなものから人の気配のあるものまで様々ですが、いずれにしても美しく、どこか寂しげな部分は共通しています。たまに考えるんですが、こういう美しさや寂しさにすがる音楽時間というのは如何なもんなんでしょうか。
ECMが良いときは一人が心地いい。
なんで一人になりたいか?
どこか少し病んでいるから?
お疲れ?
などなど色々なことを考えてしまいがちですが、
最近全然関係ない分野のものとちょっと結びつきました。
妹に勧められて「岳」という漫画に今かなり入れ込んでいるのですが、これの10巻で、山岳救助見習いの阿久津君がボランティアで山岳救助をやっている主人公の三歩という男に山のどこが良いのかを聞くシーンがあるのですが、いっぱいある中でたとえばということで挙げた話が、
「高いけど高過ぎない、5千メートルくらいの冬の山。
まだ月が昇ってる夜中に雪の稜線のテントから顔を出すと山の空気はさすように冷たくて、、、
風はなくて静かで・・・
あたたかいコーヒーを一杯飲んで、残りはテルモスに入れる。
月が明るいからヘッドライトも点けないでテントを出る。
雪はウェハースをふんで歩いているように気持ち良くて、
クランポンの全ての刃をしっかりとらえる。
そんな冬山の稜線を一人で歩いていると、
この世には自分しかいないように感じてくるんだ。
でも孤独じゃなく,
恐怖もなく、
ただただウェハースの雪を感じながら歩く。
そんなときはいいなぁって思うよ。山が好きだなぁって・・・」
このセリフはきっと作者本人か、もしくは実際のクライマーの感想なんだろうなと思うくらいリアルに情景の浮かぶもので、この描写にハーっ、、、と溜息が出てしまいました。
そしてその感動の類いがECMのそれに非常に近いなぁと思ったのでした。
特に
「でも孤独じゃなく,
恐怖もなく、
ただただウェハースの雪を感じながら歩く。」
というところが素晴らしく、何でもかんでも意味があるか否かを考えるのが無意味であることを教えてくれます。
昔学生の時に、建築学科の他校の先輩の作品を見た際、違和感を感じた自分は、
「そういうのは実際に人が使う建築としてはあんまり意味がないのでは」
みたいな質問を投げかけたら、
「建築と空間が好きだからやるだけだよ」
とバシッと言い切られて衝撃を受けたことを今思い出してしまいましたが、それに近いものがあります。
いいなぁ。ベタですが,「人は何故山に登るのか、そこに山があるから」ってのがありましたね。ベッタベタですが(笑)。
自分はまだまだ理屈っぽくて、感性で生きていないのかなぁなどと考えてしまいますね。
ECMの音楽は孤独です。山岳、深海、宇宙、ミクロの世界といった世界を感じる音楽。
普段の日常生活とはちょっと距離のある世界です。
ここに行きたいなんてやっぱりどこか疲れているんじゃないか、などとまだまだ考えてしまいますが、、、。
惹かれるんであればそれ以上のことは考える必要は無し!
などと軽く誓ってみるのでした。
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