

丸亀城の城代に生駒家家臣、佐藤掃部助がなった。
佐藤掃部について紹介する前に父佐藤志摩介について。
佐藤家は、本姓が宮脇。故あって佐藤に改姓した。
讃岐国香川郡伏石村キ(「鹿」の下に「巳」)紋胴城主にして香西氏の武将。
永禄11年(1568年)9月、香西氏が児島を征するに従う中に「佐藤某二十騎」あり。
佐藤志摩介は、初め居石五郎兵衛と云い、伏石城主にして、香西氏の元老。
のち、軍務を息子の佐藤掃部に委ね、今の栗林公園に隠居し、道益と号した。
元亀頃~寛永の初めの人。
天正4年、香西家を代表して敬意を表す為、使者として京都で織田信長に拝謁。
その時、香西家より備前元重の太刀を献上したところ、信長大いに悦び、篤く饗応され、南部産の名馬を賜った。
帰国後、香西家の厩舎に入れると皆悦んだ。
土佐の長宗我部元親が香西に攻め入った際、また香西家が長尾に引き上げる際など、終始香西家の為に尽力。
のち、豊臣秀吉の命を受け、島津征討軍にも従軍し、また生駒時代に於いても子掃部と共に民政上に尽くすところ多大にして今の栗林公園の基礎を築いた人である。
以上、讃岐人名辞書(高松製版印刷所、昭和11年)参考。
平成27年5月撮影。
→丸亀城城代 佐藤掃部2
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