
仁尾八朔人形まつりでの展示にて、「義経の八艘跳び」があった。
およそ能登守教経の矢先にまはる者こそなかりけれ。矢だねのあるほど射尽くして、今日を最後とや思はれけん・・・されども、いかがしたりけん、判官の舟に乗りあたつて、あはやと目をかけて飛んでかかるに、判官かなはじとや思はれけん、長刀わきにかいはさみ、味方の舟の二丈ばかり退いたりけるに、ゆらりと飛び乗り給ひぬ。能登殿は、早業や劣られたりけん、やがて続いても飛び給はず。・・・能登殿大音声を上げて、「我と思はん者どもは、寄つて教経に組んで生け捕りにせよ。鎌倉へ下つて、頼朝に会うて、ものひとこと言はんと思ふぞ。寄れや寄れ。」とのたまへども、寄る者一人もなかりけり。・・・
能登殿ちつとも騒ぎ給はず、まつ先に進んだる安芸太郎が郎等を、裾を合はせて海へどうど蹴入れ給ふ。続いて寄る安芸太郎を弓手のわきに取つてはさみ、弟の次郎をば馬手のわきにかいはさみ、ひと締め締めて、「いざ、うれ、さらばおれら、死途の山の供せよ。」とて、生年二十六にて海へつつとぞ入り給ふ。
平家物語第十一巻の「能登殿最期」の一場面である。
平家追討に無敵の源義経も平家随一の猛将平能登守教経を前にしては、ただ逃げるしかなかった。
平成26年9月撮影。
→讃岐の前期古墳展~快天山古墳の時代~(丸亀市立資料館)
→第17回仁尾八朔人形まつり~浦島太郎【三豊市仁尾町】
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