

室町時代、讃岐の守護所は、宇多津に置かれたが、守護細川満元の時(15世紀前半)備中・備後・東予を結ぶ要衝仁尾浦を守護御料所(=直轄領)に編入した。
江戸期には商業が活発で、その繁栄ぶりは「戸数千余、豪賈富人多処」(文化11年:1814年)とあり、又土佐より販売権を得て茶を買い入れ、「仁尾茶」と称し、讃岐をはじめ、瀬戸内海沿岸地域に広く販売され好評を博した。
仁尾は、室町時代以降、西讃の中心として発展し続けたことが分かる。
平成26年9月撮影。
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