善通寺市 石川洋家具店(中通七丁目) 2010-06-21 | 近代建築物(善通寺市) 善通寺市、石川洋家具店、中通七丁目。 石川洋家具店の電話は「119番」となっている。 消防・救急が119番になったのは、昭和2年10月からであるので、それより以前に使っていた番号だろうか。 平成9年3月撮影。 →中通商店街(中通七丁目)その5~ローソン、国立病院機構と締結へ ←中通商店街(中通七丁目)その4~善通寺市議会、特別職の給料カットへ お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。 下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。
善通寺市 横田實商會 2010-06-10 | 近代建築物(善通寺市) 善通寺市 横田實商会 善通寺市 横田實商会 社名部分拡大 善通寺市旧輜重隊裏通りを北進し、本郷通りに出る手前に横田實商會がある。 大正10年創業。 二階部分は、あたかも看板建築かと思わせる壁面、装飾。 社章は「田」の周りに4つの「コ」。 看板建築に関して2010-04-23(中通商店街 中通五丁目 その3 看板建築)、2010-04-24(大西屋京染店 中通五丁目 看板建築)を参照。 平成22年5月撮影。 →あづま玩具店(坂出元町)の看板か(本郷通四丁目)へ ←旧輜重隊裏通りを北進~奈良県御所市で古墳破壊へ お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。 下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。
帆立瓦(善通寺 山下酒店)~琴平町長選 2010-05-21 | 近代建築物(善通寺市) 山下酒店(大正末、築)の屋根瓦の上に帆立瓦(ほたてがわら)が見える。 讃岐では金毘羅信仰と相俟って、家内安全を祈って棟瓦の上に北前船を模した帆立瓦を立てる風習があり、江戸期から昭和まで続いたそうな。 関連記事:帆立瓦・鬼瓦(善通寺市 瀬川酒店)2010-07-03参照。 4期16年務めた山下正臣琴平町長の勇退を受け、5月18日、任期満了に伴う琴平町長選の候補者が告示された。 新人4人の戦い。2期連続の選挙戦となる。23日、投票が行われる。 平成22年4月撮影。 →山下酒店より南望へ ←善通寺 山下酒店(砂古)~レオマ、映画きな子ミュージアム検討へ お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。 下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。
善通寺 山下酒店(砂古)~レオマ、映画きな子ミュージアム検討 2010-05-20 | 近代建築物(善通寺市) 山下酒店 南から望む 山下酒店 北から望む 熊岡菓子店を約150m北進した所にある山下酒店である。 大正末の建築。 また、1階北半分が「甘味茶屋 sari sari」として昨年年3月にオープンした。 ニューレオマワールド(大江戸温泉物語)は、丸亀市を舞台とした映画「きな子~見習い警察犬の物語~」(平成22年8月14日、全国公開)に併せ、関連したミュージアムの設置を検討しているという。映画「きな子」が当たれば好いが・・・。 平成22年4月撮影。 →帆立瓦(善通寺 山下酒店)へ ←善通寺仁王門前の通り(砂古)~レオマの経営母体、大江戸温泉物語にへ お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。 下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。
善通寺名物 本家堅パン本舗 熊岡菓子店 2010-05-17 | 近代建築物(善通寺市) 善通寺名物 本家堅パン本舗 熊岡菓子店。 明治29年創業、大正2年築。陸軍御用達。 善通寺に近く参拝客・観光客が多いため、午後に行くと売り切れになっていることも。 現在も秤売りしており、風情あり。 いつも目当ては「石パン」。堅いパンというより正に「石」。 また欲しくなってきた。 平成22年4月撮影。 →善通寺フラワー&ガーデンフェスタ2010へ →善通寺仁王門前の通り(砂古)~レオマの経営母体、大江戸温泉物語にへ ←陸軍御用達 熊岡菓子店(仁王門前の通り)へ お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。 下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。
善通寺仁王門(善通寺誕生院) 2010-05-15 | 近代建築物(善通寺市) 善通寺仁王門、善通寺誕生院正門。 仁王門は、永禄元年(1558)の兵火にて焼失後、寛文6年(1666)から貞享2年(1685)の間に再興。 宝永4年(1707)10月4日の宝永地震で大破。その後再興。 宝永地震は、東海・南海地震であり、富士山の大噴火を誘発した地震。 平成22年4月撮影。 →陸軍御用達 熊岡菓子店(仁王門前の通り)へ ←善通寺廿日橋より亀を眺めるへ お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。 下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。
善通寺仁王門と廿日橋~香川県GWの人出 2010-05-13 | 近代建築物(善通寺市) 誕生院正門、仁王門である。 善通寺仁王門の手前に廿日橋があり、毎月「二十日のみ通行できた」ことに由来する。 今年のGWは1000円高速と好天に恵まれ、香川県内行楽地の人出は98.2万人(前年比約4万人減)。瀬戸大橋・与島が21.6万人、丸亀お城祭りが21万人、ニューレオマが14.9万人、金刀比羅宮が10.1万人と続く。善通寺市内では、讃岐宮県護国神社例大祭が前年比1.4倍増の3500人と賑わった。 平成22年4月撮影。 →善通寺廿日橋より亀を眺めるへ ←真言宗善通寺派 別格本山 観智院へ お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。 下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。
真言宗善通寺派 別格本山 観智院~平岡市長が初登庁 2010-05-12 | 近代建築物(善通寺市) 観智院は、真言宗善通寺派別格本山である。 大正14年再建。 もと「十善坊」と称していたが、正徳5年(1715)に「観智院」と改称。 本尊の観音は子安観音と呼ばれ、高松藩主松平公の側女が尼となって住んでいた庵のご本尊を移したものという。 5月10日、平岡善通寺市新市長が初登庁し、「明治維新の『五箇条の御誓文』にある、広く会議を興し万機公論に決すべしが基本。広く議会や市民の声を聴き、最後に私が決定していく」と述べた。 平成22年4月撮影。 →善通寺仁王門と廿日橋~香川県GWの人出へ ←さぬき三十三観音霊場第二十五番観智院へ お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。 下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。
さぬき三十三観音霊場 第二十五番 観智院 2010-05-11 | 近代建築物(善通寺市) さぬき三十三観音霊場第二十五番観智院。砂古一丁目。 大正2年、火災により焼失。大正14年再建。 善通寺伽藍(東院)と善通寺誕生院(西院)のほぼ中間に位置する。 さぬき三十三観音霊場は16世紀半ばに開創され、以来盛んであったが明治の廃仏毀釈で廃れ、昭和52年に復興したもの。 観智院は大同2年(807)弘法大師空海により開基という。 真言宗善通寺派。 平成22年4月撮影。 →真言宗善通寺派 別格本山 観智院へ ←善通寺中門より仁王門を望む(砂古一丁目)へ お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。 下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。
国登録有形文化財 善通寺中門 2010-05-09 | 近代建築物(善通寺市) 善通寺中門を善通寺伽藍より望む 善通寺中門を善通寺誕生院側より望む 善通寺中門。江戸末期築。国登録有形文化財。 善通寺伽藍は、南大門・赤門・中門の3つの門に囲まれている。 3門の内、南大門(明治41年築)と中門が国登録有形文化財に指定されている。 関連記事2010-03-27 参照。(南大門) 関連記事2010-02-18参照。(赤門) 平成22年4月撮影。 →善通寺中門より仁王門を望む(砂古一丁目)へ ←善通寺伽藍より中門を望むへ お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。 下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。