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20070121開設/中学高校国語授業指導案/中学校学級経営案/発達症対応/生活指導/行事委員会指導

引用文:努力をほめろ

2011-06-06 23:02:41 | 勝手に授業研究
2011/10/18up全ページ目次
引用文:努力をほめろ
作成日20111018
「より速く適切に学べる人」その理由2011年10月18日(火)12:17
http://news.goo.ne.jp/article/wired/world/wired-1594.html
(後半抄)
ドゥエック氏の最もよく知られた研究は、クローディア・ミューラーとともに、ニューヨーク市内の12の学校で行ったものだ。
研究では、5年生400人あまりに、言語を用いない比較的やさしいパズルを課題として与えた。

テスト終了後、研究者たちは生徒たちに点数を伝え、簡潔な言葉でほめた。
半分の生徒には彼らの知性をほめた
(「あなたは頭がいいんだね」)
残りの半分には彼らの努力をほめた
(「一生懸命やったね」)


ドゥエック氏は最初、このほめ方の違いが大きな違いを生み出すとは考えていなかった。
しょせん言葉にすぎないからだ。

しかし実験の結果、5年生に与えられたほめ言葉に劇的な影響力があることがわかった。
まずは、最初の生徒たちにまた別のテストを2種類与え、
生徒たち自身にどちらか好きなほうを選ばせた。

ひとつは最初のものより難しいパズルだが、やればとても勉強になると説明された。
もうひとつは、最初のものと同様の簡単なテストだ。

努力をほめられた子どもたちは、90%近くが、難しいほうのパズルを選択した。
一方、賢さをほめられた子どもたちは、ほとんどが簡単なほうのテストを選んだ。


ドゥエック氏によると、
知性をほめられた子どもは、
自分を賢く「見せる」ことに気持ちを向けるようになり、
間違いをおかすリスクをとれなくなるのだと説明している。


次に、もっと難度の高いテストが与えられた(5年生に対して8年生向けのテストが与えられた)。
賢さをほめられた生徒たちはすぐ挫折してしまったが、
努力をほめられた生徒たちは、このテストに熱心に取り組んだ。


そして、このテストを受けた後で、両群の生徒たちは、
成績が自分より低かった生徒と高かった生徒のうち、
どちらかのテスト用紙を見る選択肢を与えられた。

賢さをほめられた生徒たちは、
ほぼ全員が、自分よりテストの出来が悪かった生徒と自分を比較することで、
自尊心を強化するほうを選んだ。

これに対し、努力をほめられた生徒たちは、
自分より成績のよかったテストを見るほうを選ぶ確率が高かった。
彼らは失敗を理解し、失敗から学び、よりよい方法を編み出したいと思ったのだ。


最後に、最初のテストと同様の難易度であるテストが行われた。
努力をほめられた生徒たちは、テスト結果が有意に上昇し、平均スコアが30%伸びた。
彼らは、たとえ最初は失敗しても挑戦することを望んだので、より高い成績を得たのだ。


この結果をさらに際立たせるのが、
最初にランダムに「賢い」グループとされた生徒たちのスコアだ。
こちらは前回から20%近くも低下した。
失敗の経験でやる気をくじかれた「賢い」生徒たちは、実際に退歩してしまったのだ。


生徒の「賢さ」をほめることの問題は、教育というものの心理学的なリアリティを誤った形で示すことにある。
それは、「間違いから学ぶ」という最も有益な学習活動を避けさせてしまう。

間違いをおかすことで生じる不愉快な反応を経験しない限り、
われわれの脳が既存のモデルを修正することはない。
いつまでも同じ間違いをおかし、
自信を傷つけないために、自らを成長させる機会を逃し続けるのだ。

サミュエル・ベケットは適切にもこう言っていた。
「試してみたら失敗した。それがどうしたというのだ。
もう一度試せ。
もう一度失敗し、よりよく失敗するのだ」


TEXT BY Jonah LehrerTRANSLATION BY ガリレオ -高橋朋子/合原弘子
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2010冬休みの教育書13冊

2010-12-22 17:41:27 | 勝手に授業研究
2010/12/22up全ページ目次
2010冬休みの教育書13冊
作成日20101215
勉強家の友人に「いい本はないか」と聞かれ、
1998年から2008年までの読書メモから探した。
最近お金がなくて本も買ってないもので、
だいぶ古いのが多い。
友人にメールで知らせたときはアマゾンを調べなかった。
今回調べて驚いた。
なにしろ10年間から選り抜きの良書ばかりだ。
それなのに多くが既に古本しか存在しない。
いいと思ったら本はすぐ買わないとならない。


メール文:
突然失礼。約束を覚えているうちに。
以下13冊。一冊以外読んである。


(苅谷剛彦)
・現代教育を考える上ではずせない一人
・読まずに教育者は務まらない
「教育改革の幻想」 在庫あり
「学校って何だろう」未読在庫あり

(池谷裕二)
=彼の脳科学書は突出・発達障害等も結局脳を知らなければわからない
「進化しすぎた脳」在庫あり
「脳はなにかと言い訳する」在庫あり
「記憶力を強くする」在庫あり

(生田哲いくたさとし)
「脳と心をあやつる物質」中古品
・講談社 (1999/10/15)
・脳科学の名著・書き抜きが多すぎてあきらめる
・2000年現在最高レベルの脳の解説書か

(ナポレオン・ヒル)
「成功哲学」中古品
・ちょっとオカルティックだが
 この一冊だけは教育者なら読まずに済まされない

(佐藤富雄)
「あなたが変わる口ぐせの魔術」中古品
・名著

(東山紘久ひろひさ)
「プロカウンセラーの聞く技術」在庫あり
・ドッグイヤー数十ページ
・これこそコーチング技術の本
・具体的わかりやすい
・無駄なし文もうまい
・必読書でしょ

(向山洋一)
「家庭教育の指針」中古品
・全集12・名著
「個への対応QA事典」在庫あり
・すばらしい
・書き抜きは多すぎてあきらめた
・リンクで見たがなぜ向山洋一氏の本は
 いつもこうセンスの悪い、
 気持ち悪いカバーにしてしまうのだろう。
 僕が読んだ当時の版はまともだった。

(内藤誼人よしひと)
「絶対相手にノーと言わせない心理交渉術」★検索不能・題名変更か絶版か
・良い文が多すぎて書き抜き不能

「人は暗示で9割動く」在庫あり
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中学国語指導案・卒業生の大学生への手紙

2010-12-19 01:37:25 | 勝手に授業研究
20101219改up全ページ目次
中学国語指導案・卒業生の大学生への手紙
2010年12月19日再編集

●さんへ
今日は電話をくれてありがとうございました。
てっきり●県受験と思い込んでいて、もう電話来ないかなと思っていました。

僕は●さんが中学を卒業したあと七年間でけっこう勉強しました。
知識を得て、練習して、あたらしい技術を得ました。授業も変わりました。
七年前今の授業技量があったらもっと確実な方法で、
もっと価値ある授業ができていたはずです。
学級経営についても新しいことをたくさん学びました。

能力が伸びるために、年齢は関係ないということです。
年齢に関係なく、勉強を止めてはならないということでもあります。

子ども、保護者、社会の状況がどんどん変わっていくのに、
教師が変わらないでいいはずがないのです。
勉強する教師に共通するのは「生徒のせいにしない」ということです。
勉強しない人はしばしば「生徒のせい」にします。

すぐれた授業ができるようになるためには、
生徒のせいにしないで学び続けている教師を探し、
同年代の学ぶ意欲に富む人と仲間になることです。
そして「自腹を切る」のです。

教員の仕事は「技術」の集積ですが、
技術という言葉を使うのを嫌う人が多いのです。
技術ではなく心が大切だ、
というのがこの四、五十年間の日本の教員の考え方です。
(僕の知っている限りね。たぶん、戦後ずっとだと思います)

そういう人たちも実際には技術抜きに仕事をすることはできません。
技術は使っているのです。
不思議なことです。

医者、法律家など人間を相手にする職業で
「技術」を必要としない職業は考えられません。
教員も同様で、本来「高度な技術の集積」によって「生徒の能力を伸ばす」という
恐るべき仕事の成果を上げることができるものです。

教員は、技術を、
しかも新しい時代や生徒の実態にあった技術を、
年をとっても学び続ける必要があります。
しかし、公教育では(公務員だから)
学んでも学ばなくても職を失うことがないため、
多くの人が学ばずに自己流と思い込みによって、
授業・学級指導・生活のしつけを行っているのが現状です。

現状にまかせていると、自分の力は伸びません。
また、「自腹」を切らない勉強はほとんど役に立ちません。
これは、優れた企業なら当たり前のことです。

優れたビジネスマン、起業家、研究者などは
例えば月収の10%と決めて自己投資をします。

ですから、学ぶ場所と人と本を探し、金を払い、自己投資を続けることです。
現在、超低金利かつ低成長時代に、

最も効率のよいお金の使い方は「自己投資」である

と言われています。
自分自身に金をかけることが、自分にも顧客(生徒)にも
最も幸せをもたらすことになるからです。

教員なら「年間100冊」を読むべきです。

ぼくは●先生と競争して、新採用から四年くらい100冊読みました。
それでやめたわけじゃないけど、やっぱスタートダッシュは大事なのです。
今は実践的に役立つ良い「教育書」がたくさんあります。
100冊は楽勝です。

去年とおととし、
僕は非常勤講師で初めて現場に来た男性と、TT授業で組みました。
彼の教科は理科でした。
教科は違うけど授業を見て批評しあいました。

二年間一緒に勉強して彼の
「話し方」
「授業のやり方」

は別人になりました。
ぼくの授業も変わりました。

この夏の試験で彼も●さん同様に合格しました。
彼は採用試験で、

「他の人の模擬授業が二年前の自分のように見えた。」

と言っていました。
試験官からは、

「模擬授業については何も言うことはない。」

と言われたそうです。

例えば僕たちは、50分間の授業を10秒以上延ばすことはありません。

最近の僕の場合は1秒も延ばした記憶はありません。

授業中には「10個の授業の原則」を意識しながら
指示・発問・説明をします。
また、授業中に
「エー」

とか
「アー」

とか無駄な言葉はひと言も言いません。

けれども、理科の彼は二年前、
三分話せば五十回くらい
「エー」

と言っていました。

それが、一年ほど前突然ゼロになりました。
喋るのを聞いたら別人です。

理科の彼はこの四月から市内の中学校で臨時採用として働いています。
この10月の校内研究授業で理科の授業を見せたそうです。
他の教員から、
「今年、こんなふうに生徒が動くのを見たことがない。」

と言われたそうです。

生徒は元気に初めと終わりの挨拶をし、
授業中てきぱきと動き、
授業が終わると理科室のイスを机にそろえて上げたそうです。

十年、二十年授業をしてきた人たちがそれを
「今年見たことがない」

と言ったのです。

それが現状です。

理科の男性は四月の五日から決して生徒のせいにせず、
授業の一つ一つで教えて褒め続けたんだと思います、きっと。

このとき彼が見せた授業が、
この半年間他の人がやった授業の中でいちばんだというのが証拠です。

学校の現場に入って二年とちょっとの男性です。
まだ正式に採用もされていず、まだ学級担任を持ったことさえない人です。

若く採用された人の多くは半年もすると授業が成り立たなくなり、
生徒に見下されるようになります。

そして、部活をやりたくなります。

なぜなら、授業もクラスもうまくいかなくても部活はうまくいくからです。

僕もそうでした。
どうしたらいいかわからなかったのです。

しかし、理科の男性のように二年間正しく学べば、
周りの十年二十年授業をしてきた人ができない授業をできるようになるのも事実です。

僕が採用された頃は、パソコンさえなく、
まだ学ぶ人、本、講座、DVDもほとんどありませんでした。

この二十年間で、教育の技能について学ぶ資料は莫大に増えました。
研究も進みました。

僕がちまちま吸収した二十年分の知識・技能を、
同僚の新採用は二、三年で身につけました。

理科の男性を含めて、そういう若い人にぼくはこの五年間で三人出会いました。

僕たち四人は、国語、理科、技術科と教科はばらばらですが、
授業を見せ合い、評価用紙を記入しあいました。
僕の読んだ本を彼らに上げたり、
彼らはお金ができると買うべき本を買ったりしました。

この二年間で、僕自身がやっと
『授業は、事前に練習するものだ』

ということを学びました。

それで、理科の男性も僕も、
5分間の練習用の授業のために50回以上100回近く練習
しました。

5分間のために、十時間、二十時間練習して
「他の教師に見せて」
「具体的に評価してもらう」


ことによって、彼のようにまともに授業を成り立たせる力が身につくのです。

僕はおととし初めて、50分間の校内研究授業のために、
夜、空き教室に行って、
板書しながら発問と指示を
ガラガラの机に向かってしゃべるということをしました。
理科の男性も技術科の男性も同じことをしたそうです。

学び、技術を身につけ、能力が伸びるというのは、こういうことを指すはずです。

もし、二十年前にこういった勉強方法を知っていたら、
僕の教員人生ももう少し違ったものになったはずです。

けれども、年をとって学ぶチャンスがあり、
それを若い人に伝えることができたのは幸運だったと思います。

もちろん、技術だけで仕事が成り立つはずはありません。
しかし、職業がその根幹を成り立たせるのは
「専門的な技術」
です。

外科医がどんなに人柄が良くても、
メスをにぎれなければ外科医ではありません。


美容師がどんなにいい人でも、
カット・染色等々の高等技術を持ってこそプロの美容師です。
教員に必要な「専門的な技術」とは何か、ということです。

大変な仕事です。
だから、やっぱり覚悟は必要です。

でも
「教育は国家百年の大計」
です。
国の中で最も価値ある仕事は教育だと思っています。
教員ほど成功した時の喜びの大きい職業はないでしょう。
逆の場合の落胆も大きいけど。

僕はおへそが曲がってついていて
「まあ、勉強しない人ともうまくやれよ」
と言われてもできませんでした。
それが僕の限界でした。

生徒に理不尽な対応をする大人を許せませんでした。
また、無理して身体を壊してしまいました。
自分のコンディショニングも実力のうちですから、これもいけません。
周りとうまくやって、自分も大切にして、
目指すプロの実力もつけるって、大変ですね。

どんな物事でも、始めるときのポイントは世界共通です。

一つ目に
「大きな志を持つこと」

です。

二つ目に
「大きな力で動き始めること」

です。
物事は最初に始めたとき以上のパワーをあとで生み出すことはできません。

いちばん最初に最も大きなパワーを必要とするのです。(車と同じです)

動き出した大きさで、そのあとの動きは決まるのです。
これは、企業でも個人でも同じです。

今夜はとても幸せです。
●さんが国語科の教員を選んだと言ってくれたのは人生の誇りでごじゃるぞ。(^-^)♪♪
2007年10月30日(火)hyoko

<一気に読め・本24冊>
●さん。
年明けに24冊をすべて一気に読みきらねばなりません。
生涯役立ちます。

途中でやめてはなりません。
一日一冊なら一ヶ月で読めるはずです。
二日に一冊でも二ヶ月です。
それ以上延ばしてはなりません。

三月から気ぜわしくなります。
今読まなければ五年間放っておくことになります。
教員の人生は遅れを取ります。
スタート地点のパワーはいちばん大きいのです。

ぼくは当然すべて読みました。
大学の時に向山氏の著作に会ってぼくは教員になり、
それがのちの二十数年の意識と勉強方法を決定づけました。
 
まず、読まなければなりません。
止まらず、
少しでも気になるページにはためらわずドッグイヤーを施し、
鉛筆で線を引き、
わからない所に悩まず
(また数年後に読めばいいのです)
とにかくこの24冊を読み終わるのです。

どんな分野の仕事でも、優れた人は間違いなく読書家です。

断りのない本は向山洋一(小学校)の著作です。
教育界に稀な天才です。学芸大卒業です。

あとは、野口芳宏(小学校)・大森修(小学校)の本が数冊入っています。
他に有田和正(小学校)・市毛勝雄(中学校)の本も
今後読むことになるでしょう。

現在の国内ほとんどすべての「優れた」学級経営、国語授業実践のもとは
上記の五人が作り上げたといってもいいでしょう。

この五人の模倣によって、優れた若い実践者が多く生まれました。

この24冊から読み始めて間違いはありません。

しかし、この五人は必ずしも日本の教育実践の主流ではありません。
日本の教員すべてがこの五人の模倣をすれば、
学校現場ももっとましになるのですが、
向山洋一と聞いただけで顔を背ける人が管理職も含めて多いです。
老婆心ですが、やたらに宣伝して軋轢を生むのは徒労です。
小学校教師が多いのは、彼らの方が多く勉強したせいです。

24冊の内容を、就職して10年以内に
「実際にできるように」
なったら中学校であまり怖いものはなくなるはずです。
繰り返し読み、自分の得意技を「一つずつ」増やしていくのです。

教育書で学ぶべきことは四つあります。
①授業
②学級経営
③いじめ対策
④発達障害

ほんの五年前に「発達障害」の問題が
現場で話題になることはありませんでした。
誰も知識を持たなかったからです。
今でもほとんどすべての教員が正しい知識・対応のスキルを持ちません。
だからこそ時代にあった新しい勉強が必要になります。

新採用がまずガタガタになるのは「学級経営」です。
クラスががたつくと授業どころではなくなります。
学級経営で最も難しいのが「いじめ対策」です。

また、前述の「発達障害」について知るか知らぬかが
プロとアマの境目になります。
「発達障害」についての本、パソコンデータは2月に送るつもりです。
送り忘れたら催促してちょ~だい。
本気で勉強する気なら学ぶ相手には要求すべきです。

<他の雑誌・本・ファイルについて>

雑誌と本のいくつかは読み古しです。
就職したらすぐに『教室ツーウェイ』・『向山型国語教え方教室』を購読すべきです。
国内トップクラスの授業・教育実践情報が手に入ります。
『現代教育科学』も買った方がいいけど。
『国語教育』は本屋で立ち読みしましょう。
(僕は四誌とも購読しています)

ファイルの『06捨』は2006年度のぼくの勉強通信です。
24冊の前にこれを流し読みする手もあります。
きっとためらわず「たった24冊」と思って読めるでしょう。

●どんな順でもいいけど、最初の方を読んどくとあとがわかりやすいかも?●
 (↑あ、もちろんこれはその時の大学生へのアドバイスです。)

向山洋一の授業の腕をあげる法則リメイク版
 (授業)
 (学級崩壊に陥らないために。
 新採用教師必携。授業をする人の必読書)

授業の腕をあげる法則 続
 (授業)

授業の腕をみがく
 (授業)

国語の授業が楽しくなる
 (授業)

子供を動かす法則
 (学級経営)

学級を組織する法則
 (学級経営)

教え方のプロ・向山洋一全集4
最初の三日で学級を組織する
 (学級経営) 

学校の失敗 誰が子供を救うのか
 (学級経営)

いじめの構造を破壊せよ(いじめ対応)
 (名著・これ以上のいじめ対策なし)

教え方のプロ
・向山洋一全集3荒れたクラスと教師の統率力
 (いじめ対応)

教え方のプロ
・向山洋一全集17いじめを克服する教師の闘い方
 (いじめ対応)

「いじめ」は必ず解決できる 現場で闘う教師たちの実践
 (いじめ対応)

教え方のプロ
・向山洋一全集10
 (教育技術の必要性)
 
教え方のプロ
・向山洋一全集14跳び箱は誰でも跳ばせられる
 (ぼくは大学の時読んだ)

教師修業十年プロ教師への道
 (ぜひ教員になる前に。
 大学四年の時止まらなくなって徹夜で読んだ。
 人生最初の教育書。)

研究授業のやり方見方=小事典
 (授業)

教え方のプロ
・向山洋一全集47発問一つで始まる「指名なし討論」
 (授業)

硬派・教育力の復権と強化 
学校機能復活への直言/野口芳宏
 (野口先生良いよ)

野口流・硬派の学校づくり論/野口芳宏

作文で鍛える 下/野口芳宏
 (授業)

教室音読で鍛える 上/野口芳宏
 (授業)

大森修国語教育著作集 
第2巻評論文への道/大森修
 (授業)
 (大森先生すごいよ)

大森修国語教育著作集第10巻
反復・確認・個別評定の授業システムづくり/大森修
 (授業) 

子どもの評論文 大森学級からのメッセージ/大森修
 (授業)

医学と教育との連携で生まれた
グレーゾーンの子どもに対応した作文ワーク・中級編
(中学校で最高に役立つ!B4に拡大コピーして印刷して使う。
 これはとっておけばいい。
 何していいかわかんなくなったら、一時間これをやらせるべし。
 初級編も使える。上級編はどうかなぁ。)
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国語サークルが30年継続

2010-11-26 05:37:21 | 勝手に授業研究
2010/10/26up全ページ目次
国語サークルが30年継続
作成日2010年11月25日(木)
2010年11月某土曜日夜6~9時サークル報告

*ここからhyoko記述*―――――――――――――――――――――――――――――

二十三で臨任の教員に就職してすぐAM氏に出会った。
4月、3学年担任のAM氏は臨任の僕の肩をたたきながら3年1組の生徒名簿を見て、
「この子はいい子だよ、この子はよく発言するよ」
とひとりひとり教えてくれた。
AM氏自身がまだ三年目の若手だったのだ。
なぜそんなことを臨採の僕に言ってくれたのだろう。
ただ、若手なのに3年担任のAM氏は髪が少し薄かった。
また、若手なのに全校45クラスあった中学校の文化祭実行委員長だった。

臨任の僕は中1所属だった。
大卒の僕は
「授業ということ」
がそもそもわからなかった。
AM氏に生徒のことを言われても何が何だかわからなかった。
大学は教育学部だったが、肝心の「授業方法」は1ミリも教わらなかった。
結局、僕は二十数年の「教育技術」と「志」のほとんどを向山洋一氏とAM氏から学んだ。

中学1年3クラスと3年1組1クラスの国語を僕は担当した。
合計19時間。
何もわからない大卒に授業させる教育界のシステムがそもそも狂っている。
1学年は
「若いカッコイイ先生」の「おもしろいお話」
で一年間なんとかもった。
僕がカッコイイことが幸いした(爆)

3年1組はそうはいかなかった。
「あんなの、教師じゃないよ!!!」
授業が終わると、聞こえよがしに女子が大声で言った。
「先生、もっと内容の濃い授業をして下さい!!!」
学力の高い生徒は直接僕に言った。

AM氏に誘われ、その某市町村の「国語サークル」に行った。
大先輩の国語科AOK氏が招集していた「国語サークル」をすぐにAM氏が引き継いだ。
月に一度サークルは開かれた。
国語の指導案を持っていった。
学級経営の愚痴、解決法も相談した。

まだ存在した教組・教委合同の授業公開に僕は立候補した。
その具にもつかない指導案を
「国語サークル」で大先輩の国語科AOK氏とAM氏が丁寧に直してくれた。
そして、僕は200人の国語教師の前でどうにもならない授業をした。
直後、体育館の授業検討会で大先輩のAOK氏は、まっさきに手を挙げた。
そして、フォローしようのない僕の授業のいい所だけを探して指摘した。
もう一人の大先輩も発言してくれた。
「国語サークル」は僕の国語授業を支えてくれた。

そのあと、三十年間継続してAM氏は某市町村の教育実践のトップだ。
国語授業も行事も学級経営もAM氏を越える人はいなかった
それはそれで問題だが。
僕は向山洋一氏の著書と思想に支えられて働いたが、
細かい現場の解決方法はAM氏に教わった。
二十世紀の偉人向山洋一氏と、某市町村トップのAM氏に出会った僕は幸運だった。

この「国語サークル」は
「けっこういけてる授業研究小団体」
だ。
三十年以上にわたり継続し、かつ研修内容のレベルが高いのだそうだ。
誰でも知っている某出版社の営業マンがそう言ったことで僕は始めて知った。
彼は全国の中学校教師に会い、授業を見てそう言ったのだ。
彼は卓越したキャパシティーを持つ人物だった。

向山洋一氏の京浜教育サークルのように「国語サークル」の誰かも世に出ればよかった。
AM氏・IT氏にまだ可能性がある。
IT氏がAM氏に並ぶ授業・教育実践の達人だ。
人知れず二人は世に出る準備をしているかもしれない。
そうであってほしい。

この某市町村で十数年前まで国語科教師の採用が10年間ひとりもなかった。
だから、45歳の教員のすぐ下は35歳だ。
馬鹿げている。
馬鹿げている。

「国語サークル」はAM氏を引き継ぎW氏が幹事になってくれた。
W氏のおかげで「国語サークル」は現存している。

現在、いくら批判があってもTOSSだけが現場に対応する教育技術を提供している。
一方「国語サークル」は全くTOSSには関わったことはない。
それはそれでよい。
30年以上続いた「国語授業検討サークル」が国内にあればメールで教えてください。

今、「国語サークル」は月に一度はできない。
五十前後は忙しい。
別に研修しなくても自分のことはなんとかなる。
代わりに、去年から新採用の女性教員が参加してくださる。
やっと行政が新しい教員を採用するようになったからだ。
4、5人だが僕などが足元にもおよばない優れた人ばかりだ。

以下、2010年11月某土曜日の内容を転載させて頂く。
若い人が参加するようになり、去年からサークルに久々の緊張感が戻った。
ありがたいことである。

*ここまでhyoko記述*―――――――――――――――――――――――――――――

■前回2010年11月某土曜日報告/記録者・当日参加のAM氏■

(1) **さんの模擬授業提案「地球温暖化は人間のせいなのか?」
多様な見方を指し示す文章を次々に読ませて、
それぞれの書いてある内容をどう考えるかを問う。
最終的に、
「ものの見方は一通りではなく、さまざまな情報を入手することが大切だし、
文章を鵜呑みにしない姿勢を養っておく必要がある」

というテーマを述べた。
(AMの勝手なまとめですすみません)
教材が面白く、サッサッではもったいないなと思った。
スピードを重視するあまり、理解させる時間が不足しているのではないか、と感じた。
しかし、今後重要になる
「メディアリテラシーの授業」の1案として価値の高いものだと思う。

(2) **さんの研究授業の指導案「未来をひらく微生物」
前回のサークルでの検討を受けての改訂版。要旨を抜き出して、
段落ごとにテキパキ読んでいく指導案。
成功をお祈りします。


(3) **さんの研究授業報告「猫」トーベ・ヤンソン
これまた前回のサークルでの検討を受けての授業であるが、
メインの部分の「『猫』はハッピーエンドか否か」という、
サークルの中では、すでに古典的となっているテーマでの討論。
当日のビデオが無く、後日他クラスでの同場面の授業記録を見せてもらったが、
大変生徒が楽しそうに、しかも鋭い意見を戦わせており、
討論の授業としても、国語を楽しむ授業としても、満点ではないかと感じた。
もちろん、生徒の移動のさせ方とか、先生が少し話しすぎるとか、
課題はあるにしても、これだけの討論はなかなか出来ない。
立派のひとことでした。
当日本番の授業を見に行った**さんからは、
「本番は、このビデオの3倍すばらしかった。
これだけの授業は見たことがない。
金を取ってもいい授業であった」

と珍しく絶賛の言葉。

(4) **さんの授業のシステム報告「書写の時間」
**さんの「なぞり書き」の授業を参考に組み立てた、実にシステマチックな授業。
これならうまく進むだろうと思われる。
いくつか質疑があり、
**さんからは、ペットボトルで筆を洗わせることを強く推奨された。
話し合いの中で、書写の専門家である**さん(**中)からは、
見本の書き方と、書写は
「全員に基本、右手で書かせたい」

という思いが語られ、書写はテキトーにやっているAMはしごく反省した。
また、
「コミュニケーションを重視した授業」

で研究授業を予定しているとのこと。
その話はほとんどできず。次回に持ち越し。

(5) **さんの研究授業指導案づくり
12月に予定しているとのことで、漢詩で行う予定とのこと。
コメント (2)
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読んでもらいたい

2010-10-04 05:48:18 | 勝手に授業研究
2010/10/4upわかる目次
読んでもらいたい気持ちは正直強いです

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をクリックしてくださったかた、ありがとうございました。

ランキングに参加してみたのは、やはりこのブログを読んでもらいたいからです。
ランキング上位のブログは、どれも力作です。
なるほどと勉強になります。
上位ランクになるにはコツもあるように思いました。

①読者対象を絞る。
  例えば、●●学校の毎日、のようにその学校の日常風景を書きます。
  生徒も保護者も興味を持ち、ブログを応援したくなります。
  塾のブログも同様です。
②思想をはっきりさせる。
  右寄り、左寄り、テストの点数アップ目的、などを明確にする。
  僕が読むと、ちょっとそこまで書くかなぁ、と感じるものもあります。
  しかし、ためらわずどっちかに寄っていれば、協賛する方も強く応援します。
③役に立つ。
  勉強方法が具体的に書いてある、テストの点が上がる、特別支援がよくわかる、
  引きこもりなど困っているときどうすればいいか書いてあるなど。
  これはもっともなことです。
④写真を多用する。
  ブログでもホームページでも、素敵なサイトはいい写真をたくさん載せています。
  僕も使いたいのですが。教室の写真をほとんど撮りませんでした。残念。
⑤毎日書く。
  これは当然とても大切です。
⑥1ページの文章を少なめに。
  特に携帯で読む方にとっては、サッと読めると便利です。

それぞれに、違ったスタンスがあります。
僕のものは、本当はブログでなくホームページにすべきだと今でも思います。
でも、もう作り直すのは面倒すぎる。
このブログは、

(1) 日記を書くのが目的ではない。
(2) 現場で役に立つものを残したい。特に中学校で。
(3) デザインにも文体にもこだわりたい。
(4) 実践資料集のようなものにしたい。

というのがスタンスです。
役に立つ点では少しだけ自負心はあります。
役に立つよ、とコメントしてくれた方も少なからずいます。
文章も、中には結構面白いものもあります。(独断の自画自賛)

だから、できればたくさんの方に読んでもらいたいとは思います。
どなたも同じでしょうが。

教育関係のブログを読むと、やっぱり教育に真剣に取り組んでいるのは、
学校なのだと再認識します。

塾には抜群に優れた講師がいるとは思います。
お金を払ってもいいから見学してみたいほどです。
しかし、はっきり言うと全体的には商業目的です。
少し前に、僕はアルバイト応募で塾講師の面接と試験を受けました。
不合格でしたが。
そのとき色々調べて、やはり学校こそ教育について真剣なのだとわかりました。

小学校の実践報告はたくさんあります。
中学校のものは少ない。
原因は色々あるでしょう。
だから、中学校もがんばっていますよ、と宣伝したい気持ちもあります。

そんなわけで、試しに「ブログランキング」に参加してみました。
もしも賛同してくださる方がいらっしゃれば、
バナーをクリックしてくださると、ランキングに反映されます。
同時に、他の教育関係ブログの一覧を見ることもできます。

ここまで読んでくださってありがとうございました。
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『脅迫状ゲーム』報道

2010-10-01 21:35:36 | 勝手に授業研究
2010/10/1upわかる目次
『脅迫状ゲーム』報道

たまには、ブログっぽいことを書きます。

■引用ここから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<脅迫文>授業で作成・教諭と校長、児童に謝罪/毎日新聞10月1日(金)15時20分配信

山梨県韮崎市立小学校の男性教諭(48)が
身代金を要求する内容の脅迫文を授業で作らせた問題で、
教諭と校長は30日午前、クラスの児童に謝罪した。

市教委などによると、脅迫文作りは男性教諭が考案。
27日午後、5年生の道徳の授業の際に5、6人で一緒に新聞から文字を切り抜き、
脅迫状を作らせた。
グループ作業を学ぶのが目的だったが、
校長は「道徳教材としては文の内容が不適切」と判断し、教諭を口頭注視とした。

教諭は30日午前、クラスの児童に
「楽しさを求めた結果、適切な判断ができなかった。申し訳ない」と謝罪。
保護者には10月1日夜に経緯を説明する。

児童が興味を持って学べる教材づくりは
教師の腕の見せどころだが
行きすぎた授業内容に現場の教諭から手厳しい声が相次いだ。

甲府市立小の40代の男性教諭は
「子供が興味を持つため、教材を工夫することは必要」としたうえで
「バランス感覚が必要で、何をやってもいいわけではない。
『命はないと思え』などの表現はふさわしくない」と指摘。
甲斐市立中の50代の男性教諭も
「友達との協力が目的ならば脅迫文である必要はない」と首をかしげた。
【小林悠太】

児童に作らせた脅迫文

9月27日午後3時、(教諭の実名)の身柄を悪の組織が確保した。
返してほしければ7時、ちびっ子広場に8000円もってこい。
クラスの中で1番大きな男子に持たせること。
1秒でも遅れると命はないものと思え
■引用ここまで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『脅迫状ゲーム』は知る限り二十年前から存在した。
教員が個人で考えたはずはなく、レクリエーション方法の書籍にも載っていたのではないか。

なぜ、「脅迫」という言葉が入るか。
それは、推理小説などの書籍、あるいは<グリコ・森永事件>のように実際に起こった事件の中で、筆跡や身元を隠すために、犯人が新聞の切抜きで「脅迫状」を作ったことによると推測できる。

僕も『脅迫状ゲーム』として習った。

1 6人ほどのグループを作る。
2 グループに新聞紙一枚・のり・貼りつける台紙一枚を配る。
3 教員が例文を黒板に書く。
4 合図でグループが手分けして新聞紙から文字を探す。
5 台紙に貼りつけて、例文と同じ文を作る。
6 できたグループから、黒板に磁石で貼るなどして、早さを競う。

僕が具体的に方法を知っているということは、全国のかなり多くの教員が知っているということだ。
僕はたまたま一度も行なったことがない。
今回、報道されたような問題を懸念したからではなく、何となくうまくやるイメージが浮かばなかったからだ。
偶然であってやっていたかもしれない。

現在でも、全国を探せば『脅迫状ゲーム』を行なっている学級はあるのではないか。
また、『ゲーム方法の書籍』を探せば『脅迫状ゲーム』のような名称で、現在も方法が紹介されているかもしれない。
そういう書籍が、今も販売されている可能性があるということだ。

ゲーム自体は生徒が「協力しないとできない」し、「集中する」し、「かなり楽しい」雰囲気になる。
伝え聞きだが、間違いない。
ルールと学級に対する影響は良い、とはっきり言える。

今回の報道については六つの問題点がある。

一つ目に、
「責任が当該の担任だけにある」
とされている点だ。
その担任は当然誰かから方法を教わったはずだ。
教えた教員も同じゲームを何度も行なっただろう。
  『50代の男性教諭も
   「友達との協力が目的ならば脅迫文である必要はない」
   と首をかしげた。』
という表現から、『脅迫状ゲーム』そのものが問題だと読み取る読者も出るだろう。
特に、教員以外の読者ならばだ。
もしそうならば『書籍』にも『教えた別の教員』にも責任はあることになる。

二つ目に、
「まるで当該の担任だけが『脅迫状ゲーム』を行なっている」
ように受けとられる点だ。
日本にこんなことをしている教員がいるのか、と教員以外は驚くような書きぶりである。
特殊な例だ、という書きぶりである。
そんなことはない。
レクリエーションを勉強した教員の多くが、このゲームを行なったはずだ。
一昨日までは、全国のどこかの教室で、このゲームが行なわれていたと推測できる。
昨日からは、誰もやらなくなっただろう。

<40代の男性教諭は「子供が興味を持つため、教材を工夫することは必要」>
と言ったのが事実なら、まるで当該の担任が創作した教材だというようだ。
そうではないだろう。

三つ目に、
「問題点のすりかえが行なわれている」
点だ。
今回の問題は、当該の担任の「例文」にある。
これはどう考えても非常識だ。
『脅迫状ゲーム』の例文は、どんなものでも成り立つ。
「今日は寒いです。」
「明日は遠足なので楽しみだ。」
「僕はとても女の子にモテルのでちょっと困るときもあります。」
どれでもよい。
最初は、短文から始めて、二回戦、三回戦と少し長くして難易度を上げるとよい。
ユーモアのある楽しい文だと、生徒も楽しめる。
誰も嫌な気持ちにならない例文が必要だ。

『脅迫』という言葉が問題だ、という方もいるかもしれない。
だが、これは繰り返すが、当該の担任の責任ではない。
何十年か前に、誰かが作ったのだ。

四つ目に、
「また、教員が問題起こしたのかよ」
という”感じ”が読み取れることだ。
誤解を恐れずに言えば、教員・警官・医者はマスコミのいい餌だ。
三者を批判すれば世論がついてくる。

五つ目に、
「私は知りません、関係ありませんよ」
という”雰囲気”が管理職と同僚の言動から匂うことだ。
先の『五十代男性教諭』の言葉は丸呑みできない。
マスコミは自己解釈して、言葉を書き換えることがある。
もし、五十代男性教諭がそのまま言ったのなら、冷たい。
または、不勉強だ。
<私も『脅迫状ゲーム』は以前から知っており、ゲームには良い点もある。当該の担任もゲームの良い点を活かして授業に取り入れたのだろう。だが、今回は例文が非常に不適切だ>
と言ってほしい。
ゲーム自体を知らなかったなら不勉強だということだ。
報道文の、
<「友達との協力が目的ならば脅迫文である必要はない」と首をかしげた>
とは受ける印象が大きく異なる。
報道文は、
”脅迫文の授業をする必要はない”
”脅迫状ゲームをする必要はない”
と読み取ることもできる。
この点は、マスコミ、五十代男性教諭どちらがどんな意図を持っていたか読者にはわからない。

<行きすぎた授業内容に現場の教諭から手厳しい声が相次いだ>
のが事実なら、どうも釈然としない。
校長の説明も僕には不十分と感じられる。

六つ目に、
「<脅迫文>授業」
とは何だ。
このままだと
「脅迫するための文章を作らせる授業」
とも読むことができる。
『脅迫状ゲーム』
という名称とはえらい違いだ。
当該の担任が生徒に、
「<脅迫文>授業、をします」
と言ったとは考えにくい。
だが、マスコミの報道文は、そう読み取りやすいように書かれている。
悪意さえ感じる。
世論に媚びたと言いたい。
別に、毎日新聞に言っているのではない。マスコミ全体にだ。



まあ、確かに『脅迫』という言葉が入っている、ゲームにしろ授業にしろ、この名称が長く続いたのは不適切だった。
だが、しつこいがこの言葉を作ったのは当該の担任ではない。
とにかく、学校がマスコミに対すると非常に弱腰になるしかない時代なのも確かだ。
コメント (2)
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模擬授業にこだわるのは

2010-09-30 07:12:41 | 勝手に授業研究
2010/09/27up全ページ目次
模擬授業にこだわるのは

たびたび「模擬授業」を持ち出すのには理由がある。

「模擬授業」が非常にうまい教員は、間違いなく教室の授業もうまい。
だが、教室の授業が非常にうまく見える教員が、「模擬授業」をできるわけではない。

「模擬授業」がヘタでも、教室の授業はなんとなく成り立っていることはある。
だが、教室の授業がヘタな教員は、間違いなく「模擬授業」はできない。

教室の授業がどんなに上達しても、「模擬授業」も上達するとは限らない。
だが、「模擬授業」が上達すれば、間違いなく教室の授業は上達する。

「模擬授業」がヘタでも、「模擬授業」を人前でやり続ければうまくなる。
そして、「模擬授業」の上達にしたがって、教室の授業も上達する。

だから、5分間でも10分間でも良い、「模擬授業」の修行をすることは価値がある。

二十年以上経験があって、「模擬授業」ができない教員は、
授業が成り立っていないか、なんとなく成り立っているがあまり好評ではない。
たぶんね。

大学卒一年目でも、「模擬授業」がスパッとできる教員は
間違いなく教室の授業も好評だ。
生徒は「授業が楽しい」と言う。

50分間の授業の練習をするのは大変だ。
だが、5分間の「模擬授業」の練習なら、二十回やっても100分だ。

人前では5分間で済む。
5分間を見た人は、それで授業者の腕を、充分感じることができる。
感想をたくさん書いてくれる。
(例)コメントはありがたい

できれば、感想ではなく、
「代案を示したり」
「ダメなところをやり直させたり」
してくれるすご腕が見てくれるのがよい。
(例)上達しないはずがない

別の項で書いたように、5分間の「模擬授業」を真剣にやろうと決意したら、
手が震えて、パソコンにUSBを差し込むことができなくなる。
だから、効果がある。
(例)手が震えてUSBが差し込めない

「模擬授業」を見せた回数で、
または、一回5分の「模擬授業」にかけた練習の時間で(2時間とか3時間とか)、
まるで別人のような「模擬授業」になる。

そのとき、教室の授業も別人のようになる。
生徒の反応が変わる。

だから、模擬授業」にこだわる。
「模擬授業」で上達した経験がある人は、誰でもわかる。

二十年たって、「模擬授業」一つできないのは「授業の勉強」をしてこなかった証拠だ。
新卒に、目の前で、自分よりはるかに優れた授業を見せつけられるのはみじめだ。

2010/09/30リンク先追記
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二十年たって模擬授業できないのはみじめ

2010-09-26 12:05:23 | 勝手に授業研究
2010/9/26up全ページ目次
二十年たって模擬授業できないのはみじめ

<授業等に関する記述20100926まとめ>

■『非常勤講師をやってみました』を読んで頂いた感想より■

▼某氏▼
今回初めてブログを拝見したのですが、
すごい こんな先生がいるんだ!って思いました。
授業の事などは専門外なので、難し過ぎてよくわかりませんでしたが

▼某氏▼
hyokoさんのような先生はすごく貴重な存在だと思います。
熱意ある先生~。
私も小学校の時1・2年生5・6年生
そして中学1年生の時に出会った先生がそうでした。
でも残念ながらそれ以降心に残る先生…居なかったなぁ…。
先生によって、友達によって、
ヤル気とか人生観とか全然違ってくるなって思います。

男子中学生、可愛いですね!
そして胸が詰まる思いも伝わりました。
わたしもhyokoさんのような先生に教えてもらいたかったなぁ。
先生という職業とは全然関係ない
**とか**とか人生とか頑張ろう!なんて思えてきます。

時間あるときに ブログ見れてないのをもっと見たいなぁって思います。
まとまりない文章ですいません。
見ました~という報告と私も感動したのでとりあえずすぐメールをと思って。

▼hyokoから某Z氏へ▼
教員でない知人がブログを読んでくれた。
『非常勤講師をやってみました』シリーズを読んで、
「とにかくまじめすぎる」
そうだ。
「プロ意識が高いと言ってほしい」
と言ったら、
「他の人も同じようなことやっているのか」
と言う。
(同じこと、とは何か具体的に問わなかったが……)
「たぶんやってないと思う」
と答える。
教員がこと授業について突き詰めるのは当然だろう。
まじめですよ。僕ちゃんは。でも、どうもおかしな感じだ。


■模擬授業について■

▼hyoko▼
模擬授業の緊張も効果も、理解できない教員がとても多いです。
一生できるようにならない人と、成長する人は真っ二つに分かれて、
中間はいない。
試験どころか、模擬授業ができない。
そりゃ最初は誰でもできない。
でも、やって見せて効果を説明した途端に理解してやる人と、
十年たってもやらない人は真っ二つに分かれる。
中間はいない。
十年、二十年たって模擬授業できないのはみじめです。
もう、黙って顔を伏せるしかない。


■世の中での学校の進み方について■

▼某氏▼
○○先生が講話をしました。
企業が時速100kmで走っています。
NPOが時速80km家庭が時速60kmです。
学校は10kmときいたのと似ています。

▼hyokoからその返信▼
いや、僕は少なくとも中学は三十年間止まっていると思う。
相対的にはかなり後ろに下がった。
その上、長年かき混ぜないために、腐敗し始めた。
気づいている優れた人も、公務員の経済的安泰の蜜に勝てず、
角が立つことは言わない。
この不景気だ、それぞれ家庭もある、責めることはできない。

小学校の大森修氏のような人物は、中学にはいない。
これからもどんどん教育格差は広がり、
公立の少なくとも中学は下がっていくと思います。


■職場のある事柄を変える手順について■

▼hyoko▼
まず、世論の把握。
誰も不満に思っていないなら不可能です。
人を選び順に自然にこっそり一人ずつ聞いて回る。

説明と説得。
同意してくれそうな人に一人ずつ。

議長の確認。
同意してくれてある程度影響力のある人が議長の会議がいつか調べる。

発言の確認。
○○さんが口火を切ったあとすぐ続いて発言してくれるように、
頼み、再度確認をとる。
最低三人、できるだけ五人。
最初の人が特に大事。

次に、議事録に。
最後に○○さんが、議事録に記録して下さい、と駄目押し。

かなり難しいケースなのです。
なぜなら、曖昧な慣習は、明文化された事柄より変えにくいから。
あと、多数決で決まることじゃないから。
校長が賢いなら、まず話してみる手もある。


■授業を真似して上達することについて■

▼hyoko▼
「>>>真似もやっぱり簡単にはいきません。」
いや、まったくそのとおり。というより
「真似がすべて」
です。
ピカソも剽窃の天才でした。

スポーツ、芸術、文学、歌、楽器すべて
「真似だけがすべて」
です。
中に百年に一人とかの独創者が出るだけ。
それだけが、一流、であとは死ぬほど努力しても二流。
一流、とはそういうことです。
自分を一流とほざいてる人間がいるとしたら、ただの愚鈍です。
だからこそ、法則化運動、ですから。
真似の意味がわからない人が多いから、学校の授業は変わらないのですから。


■僕は教員には向いていなかったということ■

▼hyoko▼
親が死んだ直後で大学入試の勉強をなぜできたのか、今でも謎です。
あの精神状態でよく気力があったな。
逆にどうかしていたのでしょう。
若さは馬鹿さでした。
大学合格はただの運。
そして雀の涙の人生の運を使い果たしました。
運、すくね~。

何百回も考えましたが、僕は教員には向いていませんでした。
二十年以上の95%は失敗で生徒にも親にも恨みを買い続けたんです。
でも、勉強はし続けて、そのせいか○○中学では
残り5%のうち3%くらいのちょっといいことがあって、
これからかなと思ったら既に身体、精神共限界でした。
向いてなくてほとんどの生徒に嫌な思いをさせたのに、
望んだ職業をさせてもらっただけで有り難かったと、最近いつも思います。

▼上記へ頂いたお返事▼
私は○○中学のhyoko先生しか知りませんが、
○○中学では、hyoko先生のおかげで、
「話し方」
を身につけた生徒がたくさんいます。
どんなにおとなしい子も
「理由は…つあります。」
って言えるようになってましたよね!
周りの生徒も茶化すことなく聞いてたし。
授業受けてない生徒も影響受けて、一生懸命練習しましたね…。
あの雰囲気を作ったのは、紛れもなく、hyoko先生です!

卒業式の呼びかけも懐かしいですね。。。
保護者も学級通信を楽しみにしてましたよね。
教員にも、○○さんをはじめ、若手をたくさん育ててたし。

▼hyokoのお返事・○○中学について▼
学校ってあれが本来の形に近いと思う。
行事の教員同士の競争や、
教員の憂さ晴らしのための部活がほとんどなくて。
中学は三十年前から上記のようなことばっかりやってる。
あ、公立がね。
だから、できる子、金持ちは私立へ逃げる。
○○中学は授業がよくて。
おとなしいけど救われた生徒がたくさんいて。

○○市も部活が生徒指導を支えると、まだ勘違いしてると思う。
お金でコーチを雇うのが当然。
日本だけだよ、部活で教員が土日をつぶすなんて。
まあ、そんなことを口に出して言ったら
中学校のほとんどの教員からは総攻撃に会うけど。

○○中学のときの僕を褒めてくれてとても非常にうれしー。
僕もやっと授業に型ができてきて、腕が上がり始めた自覚がありました。
けど、他人から褒めてもらうのはいい気分です・


■発達障害に効く薬を教えていただいた方に対して■

▼hyoko▼
ストラテラ、調べました。
ノルアドレナリンの流れを良くするのですね。
NRIと略すとか。
今はいろんな薬が出てきました。
ほんの数年前、リタリンだけが効く、と教わりました。

医学はどんどん進歩します。
教育は三十年前と変わりません。学校が荒れ続けるわけです。
僕は世の中で医者が最も価値ある職業だと思います。
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中国人船長釈放にぶったまげ

2010-09-24 18:14:23 | 勝手に授業研究
2010/9/24upわかる目次

このブログと趣旨が違うが、
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
さすがにノンポリのわたくしも、
これほど日本の検察がというか、政府がというか、法律がというか、外交がというか、
とにかく、国の何かが骨抜きなことには驚いた。
もう、何でもありということだ。
何にもなしか。
政治も法律もない国ということではないのか。

◆記事引用ここから*******************************

尖閣沖の衝突事件中国人船長を釈放へ「日中関係考慮」

2010年9月24日15時0分asahi.com

東シナ海の尖閣諸島沖で中国漁船と
石垣海上保安部(沖縄県石垣市)の巡視船が衝突した事件で、
検察当局は、
同保安部が公務執行妨害の疑いで逮捕した中国人船長、
せん其雄(せん・きゆう、せんは憺のつくり)容疑者(41)を、
近く処分保留のまま釈放する方針を固めた。
那覇地検が24日、発表した。

那覇地検は、
処分保留で釈放する理由について、

海保の巡視船に航行に支障が生じるほどの損傷が出ておらず、

乗組員に負傷者もいないことなどを挙げたうえで

「わが国国民への影響、

今後の日中関係を考慮すると、

これ以上身柄を拘束して捜査を継続することは

相当ではない」

と説明した。

一方で、漁船が「故意に衝突させたことは明白」と指摘し、
船長に対する処分は今後の情勢を踏まえて判断すると述べた。

海保によると、せん船長は7日午前10時56分ごろ、
尖閣諸島・久場島の北西約15キロの日本領海上で、
巡視船「みずき」(197トン)の停船命令に応じず、
急に方向を変えて左前方のみずきに左舷を衝突させ、
海上保安官の公務の執行を妨害した疑いで逮捕されたが、
中国側が解放を求めて激しく反発している。

◆記事引用ここまで*************************
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「聴写」のすすめのすすめ・メモ能力の重要性

2010-08-23 17:17:36 | 勝手に授業研究
2010/8/23upわかる目次
「聴写」のすすめ・メモ能力の重要性

2010年8月
働くときに必要なのは、「メモ能力」です。

『接客マナーの講義』は確か90分間。
確かレジメもほぼ無かった。
自分の白紙のノートとペンだけが便りです。
僕は頭悪いのに、なぜかメモは得意です。
件の講義メモも、五十人以上受講していましたが、
僕以上に詳細にメモを取りきった人はたぶんいないと思います。
ブログの内容はニュアンスも言葉づかいも、とても正確です。
ただし、ものすごく字はきたないので自分しか読めません。

きれいでなくても 
「速く正確に、メモする能力」

が大事だと思います。

「美しいノート作り」

とは、また別の能力です。

三十過ぎて、パソコン教室に通ったときも、
三十半ばに、ダイビングのライセンスを取ったときも、
「こんな完璧なノート作った人は見たことない」

と言われました。
うれしいです。

現(元かも)全国小学校長会長の向山行雄氏が十数年前?
”授業と同時に授業記録を書き終わる”

のを見せてくださいました。
一度しか見ませんでしたが、驚いて、これはいいと思いました。

真似して、以後の授業研修会でやってみました。

授業を聞きながら、ちょうどB4一枚に「授業記録」を取り終えます。
「発問」「指示」「生徒の発言」を、重要性を判断してメモしていきます。
全部書けるわけはありません。
その場で判断して選びます。
授業が終わると同時に「授業記録」ができています。
経過時間も書くので、どの作業に何分かかったかもわかります。
どの発問が、何分後だったかもわかります。

すぐに印刷して、授業後の研修会で参加者に配布します。
これができるととても便利です。

僕が教員のとき出会った若い人は数人ですが、偶然皆優秀でした。
僕が何か伝えるときは、一瞬にメモ用紙を出しました。
教員で、優れた人は必ずメモします。
だめな人は、若くても年寄りでも、 
「ああ、わかったわかった」

とか言ってメモせず、あとで何度も聞きなおします。
そして、いつまでたってもできるようになりません。
そのまま、二十年、三十年たちます。

民間の現場に入ると、新しいことだらけです。
教員は誰も、学級経営も授業も「細かいこと」は教えませんが、接客の現場は違います。
新人に教えなければ、店舗経営そのものが危ういからです。
お客様は新人だからといって、区別しません。
だから、新しいことをどんどん言われます。

ぼっと聞いていると、
「メモしないの! メモ!」

と何度も言われます。

立ち話で、どんどん言われます。
立ったままノートを出してメモします。

そこは、教え方・話し方はアマチュアなので、脈絡とか項目もバラバラです。
その時その時発生した事柄をどんどん言われます。
僕の、新人たちのポケットには絶対に小さなメモノートが入っています。 
「明日までに、覚えてきて」
と言われます。

無理です。
緊張でガチガチで、新しいことが多すぎて毎日怒鳴られました。 
「な・ん・で、や・ら・な・い・のっ」
20歳くらい年下の女性に恐ろしい顔で怒られます。
やらないんじゃなくて出来ないんです、とは怖くて言えません。
僕は、顔と違って気は小さいのでますます萎縮します。

頼りは「メモ」だけです。
帰って家で、または仕事中にこっそりと、何度も読み返します。
「文学の解釈の力」は(たぶん)どの仕事に就いても求められません。
はっきり言えば、何の役にも立ちません。

「聴写の授業」をすすめます。
僕は必ず四月の中旬までに、「聴写」がきちんとできるようにさせました。
「視写」も。
すると、一年間の授業がまったく違ったものになります。
転職してみて、もっと厳しい「聴写の授業」が必要だと思いました。
もう遅いけど。

最後に「メモ」はまず間違いなく「横書き」です。
だから、「横書きの指導」も大事だと思いました。
まあ、もう遅いけど。
「聴写の授業」の詳細はもし気力があったら書きます。
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