円の外へ

20070121開設/中学高校国語授業指導案/中学校学級経営案/発達症対応/生活指導/行事委員会指導

頭が悪くて気づくのが遅い

2011-02-01 05:32:49 | blog映画Diving
2011/2/19up全ページ目次
頭が悪くて気づくのが遅い
20110219記
ミステリーが読めない。
伏線とかを覚えていられない。
面倒くさくなってしまう。
名手宮部みゆきが苦手なのもそのせいかもしれない。

登場人物が多いのもダメだ。
途中で誰が誰だかわからなくなる。
せっかくの『三国志』も二度挑戦したがすぐあきらめた。

映画『たそがれ清兵衛』に切られ役の余吾善右衛門が出てくる。
余吾には個人的に最も親近感を覚える。
だがその経歴が何度観てもよくわからなかった。
なぜ最後に籠って討手を待つことになるのかよくわからないまま何度も観た。
先月六度目か七度目に観たときやっとわかった。
頭が悪くて気づくのが遅い。
頭のいい人に生まれたかった。

今日電車から降りて突然気づいたことがある。
母から頼まれて救急車を呼ぶと逆に救急車から電話があった。
うちの前の道は狭くて車が入れないという。
病人を運んで来いという。
そんなひどいことはあるかと思った。
夜中僕は板切か一反の布のようにやせた母を背負いバス通りまで歩いた。
小さな町の川にかかる橋にさしかかったとき母はひと言の遺言を残した。
僕の背中で左耳に小さく囁いたひと言の遺言はその後何十年か僕を支えた。
ただひと言。
ひと言を言う機会はその瞬間しかなかった。
翌日亡くなるまでの間、母は苦しんでのたうつか麻薬で朦朧とするかしかなかった。
救急車がうちの前に来たならばそのひと言はなかった。
そんなことに今日初めて気づいた。
何十年も考え続けた晩にもわからないことがあった。
頭が悪いと気づくのが遅い。
だが遅すぎたわけではなかった。
コメント (6)
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中学国語指導案・少年の日の思い出研究1・論題17題

2011-02-01 05:32:48 | 中高国語など指導案
2011/2/4up全ページ目次
中学国語指導案・少年の日の思い出研究1・論題17題
作成日2011/2/4
zzrさんへ!
取り急ぎ、思いついたことだけを書きます。
僕も今日明日考えますので、
zzrさんの意図・研究の方向をもう少し詳しく教えて頂ければお互いに勉強になります。
ご友人とも話しあっていただけたら大変嬉しいです。
コメント欄で足りなければ右にある「メッセージを送る」を頂く手もあります。
アドレスを知られたくなければ投稿欄を十でも二十でも使ってください。


<投稿文>
はじめまして (zzr)
2011-02-04 15:17:57
hyokoさんはじめまして。
「少年の日の思い出 実践」で検索してこのブログにたどり着きました。
私は今大学生で、この教材についての指導案を書き、『少年の日の思い出が長年教科書に載っているのはなぜか』というような趣旨のレポートを書こうと思っています。
そこで、質問なのですが
最後のエーミールの家に行き許しを請う場面で「すんでのところであいつの…ところだった」という表現がありますが、「とびかかれなかった」のか「とびかからなかった」のか言い換えるのならどちらの表現が正しいのかわかりません。私は後者の方が合っていると思います。また、翻訳の高橋さんは上記二つの表現では表せないから本文のように書いたのだとも考えています。(昨日友人と話し合って出てきたアイディアなので説明不足です)
原文を見て自分で考えろと言われそうですが、アドバイスがほしくて投稿してしまいました。

<前置き>
1 研究は論点を狭く絞る原則に沿っていらっしゃいます。

2 浅学にてzzrさんの論点は過去拝見したことがなく、
  大変おもしろく、価値ある問題だと感じました。

3 投稿してくださっった文章には幾つかの問題が含まれています。
  デカルトが「難問は分割せよ」と言っています。
  問題が幾つ存在するのかを明らかにし、
  一つ一つの問題の追求することが、全体の論点の解決につながります。

<投稿文の問題点の分割>
私は今大学生で、この教材についての指導案を書き、

(1)『少年の日の思い出が長年教科書に載っているのはなぜか』
  (これは曖昧な問題なので置いておく)

というような趣旨のレポートを書こうと思っています。
そこで、質問なのですが
最後のエーミールの家に行き許しを請う場面で

(2)「すんでのところであいつの…ところだった」
  hyokoの手元の本文では24段落の文章である。
  既の所で、の意味(既のこと。もう少しのところで)
  あいつの(「あいつ」という表現の意味)
       (23段落までは「彼」とある)
  のどぶえに(「のどぶえ」がどこか中学生は知らない)
        (なぜのどぶえか。目でも頭でも腹でもなく)
  飛びかかるところだった(「つかみかかる」「ぶちのめす」「しめつける」との違い)
              (ところだった、はとりあえず飛びかかる行為はなかった)
              (なぜ飛びかからなかったのか・れなかったのか)

という表現がありますが、

(3)「とびかかれなかった」のか「とびかからなかった」のか
  なぜこの二つの表現を思いついたのか。
  この二つの表現を問題にすることの意味・理由は何か
  翻訳文であることの問題点をどう考えるか。
  (当然ヘッセの意図と翻訳者の意図は一致し得ない)

(4)言い換えるのならどちらの表現が正しいのかわかりません。
  なぜ「言い換える」ことを思いついたのか
  なぜ「言い換える」必要があるのか。
   「言い換える」ことによる「授業における」「学習のねらい」は何か。

(5)私は後者の方が合っていると思います。
  なぜ合っているのか。根拠は。
  「合っているか」「合っていないか」を判断することはできるのか。
   根拠を明らかにする手段はあるのか。あるなら何か。

また、

(6)翻訳の高橋さんは上記二つの表現では表せないから
   本文のように書いたのだとも考えています。

  「授業における」作者論と作品論をどう考えているのか。
  翻訳者の考えを考慮する必要があるか、ないか。
   (作者、或いは翻訳者の意図を、教材解釈で考慮する必要はあるのか)

昨日友人と話し合って出てきたアイディアなので説明不足です

(7)原文を見て
  「原文」とはヘッセのドイツ語の文章のことか。
  高橋氏以外の翻訳のことか。
  どの教科書会社の何年度の教科書の翻訳文のことか。
  『少年の日の思い出』は三十年前から少しずつ翻訳表現を変えている。
   (例えば、漢字か平仮名か、言い回し、題名が『少年の日』になったことも)
   最も古い「教科書の」翻訳文から最新版まで、
   すべての教科書の翻訳教材文を調べ並べる必要はないか。

自分で考えろと言われそうですが、アドバイスがほしくて投稿してしまいました。
  (hyoko:とんでもありません。面白くて背筋がぞくぞくします)

<今後>
上記の通り僕の無い頭で分割した問題点は細かく数えると、
『(2)4+(3)3+(4)2+(5)2+(6)2+(7)4』=
『17点』
あります。
もちろん、これきりで終わりにしてくださって結構です。
僕は僕で勉強して答えを出し、他の国語教員に提案してみます。

もっとも重要な点は、zzrさんが、
「教材についての指導案を書き」
と書いていらっしゃる点です。
中学1年生に「授業する」内容・方法について論点を絞ることです。
文学部の文学論ではなく「教材解釈論」「授業技術論」であるということです。

ですから、このように即、反応いたしました。

ただ、もしお答えが頂けるとして、
僕が先にブログ上で答えを公開するのは避けたいと考えています。
お答えを頂けた時点で、僕の答えと並べて更に疑問点を発掘するほうが、
思考は深まるはずですので。
なお、お答えは完璧である必要はありません。
思いついたところまでどんどん出すことです。

数日お待ちします。
一週間たった時点で、僕は僕でブログ上で授業研究をしていきます。

貴重な投稿を有難うございました。

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国語授業中学少年の日の思い出
研究1・論題17題

研究2・教科書全表記比較
研究3・論題17題の検討
研究4・教科書掲載理由検討
研究5・高橋健二の戦争礼賛
研究6・中学生の頭を悪くするサイト
研究7・プロローグは削除してよい
研究8・小説と物語の違い
研究9・ヘッセノーベル賞の為か
研究10・作者論と作品論
●指名なし討論は有効か・野口芳宏氏の批判に
●国語授業中学・討論の初歩指導手順
●国語授業『さつき』すさまじい高レベルmr.rain's
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中学国語指導案・少年の日の思い出研究2・教科書全表記比較

2011-02-01 05:32:47 | 中高国語など指導案
2011/2/8up全ページ目次
中学国語指導案・少年の日の思い出研究2・教科書全表記比較
作成日2011/2/8
右のコメント欄にあるとおり、zzrさんから「研究1」にお返事があった。

回答を作っている途中
『少年の日の思い出』「本文表記比較」
をすることに決めた。zzrさんの本気に引っぱられた。
新しい版は<2006年・光村図書>の文章だと思う。(曖昧ですみません)
古い版は<古い授業用のコピープリント>の文章で15年前か20年前かの出版社は不明。
情けないが調べようがない。

「本文表記比較の目的」は
教科書教材に、解釈に関わる表記の変更があったか
を確かめるためだ。
以下のとおりとなった。
赤文字で上側にある文言は、新しい版の表記。
青文字で下側にある文言は、古い版の表記。
ほぼ全て、漢字か平仮名か、の表記の変更で、その目的は不明だし明らかにするのは本稿の目的ではない。
だが、5ページ左のほう、16段落の変更は解釈や発問作成に関わる変更だ。

新しい版「ぼくは紙きれを取りのけたい誘惑に負け」針をぬいた
古い版 「ぼくは誘惑に負けて」針を抜いた

忙しくてこんなことを調べる余裕はなかったし、気付かなかった。
知人の優れた国語教員は知っていたのかもしれない。
恥じ入るばかりだ。
なお、いくつかの紫色の文字は曖昧だが言葉や句読点で別の表記を見たような気がするものだ。これ以上調べるのは勘弁して下さい(誰に言ってるんだっ?!)

確かめられたのは、次の三点だ。
1 漢字・平仮名表記は想像以上に多量に書き換えがある。【58カ所】
2 「載せる・のせる」の表記は両方使われて、統一されていない。
3 上記の16段落のように、解釈に関わる書き換えもある。
 
つまり、どの年度の教科書原文で授業しているか、
明らかにしなければ、教材研究も発問作成もできないということだ。


ちょっとびっくりした。勉強になった。
調べる動機づけを下さったzzrさんに感謝したい。

【画像をクリックすると大きくなります】
『少年の日の思い出』ヘルマン=ヘッセ/高橋健二 訳
本文1ページ

本文2ページ

本文3ページ

本文4ページ

本文5ページ

本文6ページ

本文7ページ

本文8ページ


ーzzrさんへの「研究1」回答につづくー

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国語授業中学少年の日の思い出
研究1・論題17題

研究2・教科書全表記比較
研究3・論題17題の検討
研究4・教科書掲載理由検討
研究5・高橋健二の戦争礼賛
研究6・中学生の頭を悪くするサイト
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研究9・ヘッセノーベル賞の為か
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中学国語指導案・少年の日の思い出研究3・論題17題の検討

2011-02-01 05:32:46 | 中高国語など指導案
2011/2/9up全ページ目次
中学国語指導案・少年の日の思い出研究3・論題17題の検討
作成日2011/02/08~09
zzrさんへ!(その2)
丁寧なお返事を有難うございました。本気ですね(笑)
数日間で調べたこと、考えたこと、書いたことがありますが、
それも混ぜながら、今回のお返事に一つずつ答える形にします。
ただし、僕の答えは「正解」ではありません。僕の解釈・見解です。
国語教員には異なる考え方を持つ人が数え切れないほどいて、日本中バラバラの授業をしています。だから、統一した学力がつかないのです。
<投稿文>
こんばんは。遅くなりました。
問題点の返答をできるかぎりでしていきます。 (zzr)
2011-02-08 00:45:31
(2)の2
授業でもここの二人称の変化に着目しよう。という発問をしました。「この場面以外では、この少年・彼・例の先生の息子・あの模範少年という表現が使われているが、ここでの感情の高ぶりの原動力はなんだろうか?」→エーミールは金持ちで道具も一級品。それに比べ僕の道具は立派ではなかった。でも、蝶に対する情熱は本物で、それをバカにされたのが我慢ならなかった。その感情が「あいつ」に込められていると考えました。
(2)の3と4
「のどぶえ」は言われてみるとおかしいなと感じました。友人とは、「殴りかかりそうになった。がよくある表現だよね?」という話はしました。実際には行動に起こしてはいなく、飛びかかりそうになるほど激怒していることを表現していると考えています。
(3)の1と2
これは授業後の反省会で、プリントと紙板書で一致していないことを指摘されて、二つの表現の違いは何だろう。一文字違うだけでどう影響するのか考えたからです。
(3)の3
本文最後のページに「学習の窓」に「翻訳作品を読み味わう」という手引きがある。この教材で海外の作品に興味を持ってもらうというねらいがあると思う。翻訳作品と言っているが、ヘルマン・ヘッセのドイツの全集にはこの作品は載っていないと聞いた。この作品はヘッセのものであるが、日本で広まったのは高橋健二さんのすばらしい日本語訳によるところが大きいと思う。よって、翻訳者の意図を個人的には優先したい。
(4)の1と2
(3)の1と2と重複しますが、ミスから生まれた考えだったので「学習のねらい」まで考えていませんでした。
(5)の1
前者は誰かに止めに入られ物理的に行動できなかったときなどに使う表現で、後者は僕の意思が入っているので(盗みを犯した後ろめたさ)表現としては適切だと判断しました。
(5)の2
生徒役の学生に「その意見は本文のどこにあるの根拠は?」と言っておきながら、自分自身の意見には根拠がなく個人の推測です。
(6)の1
作者論と作品論がわかりません。語句の解説をお願いします。
(6)の2
教材解釈(教材研究)では考慮するべきだと思います。授業で使うことがなくても、調べておくことで教材をよく知ることができると考えます。
(7)の1と2と3と4
ドイツ語のことです。(3)の3でもありましたが、ヘッセと高橋さんと意図は一致していなかった考えます。高橋さんが読者にいろいろな受け取り方をさせるため、わざと遠まわしな表現をしているのではないかと考えたからです。(書くとしたら、「なぐりかかるところだった。」一般には人間はのどぶえに攻撃をしないと思う)また、高橋さん以外の翻訳が副読本として扱われていた時期があったと認識しています。年度により言い回しが異なるというのは初耳でした。「出版社が」時代により変えていたのならば調べ並べるうちに入れる必要はないと思います。
このレポートは教材研究として提出するように言われていますが、指導案も作ったので入れようと思っています。
中学一年生に「授業する」内容・方法について論点を絞ることを徹底できていませんが、宜しくお願いします。

<まずzzrさんへ質問>
(ブログ作成上参考にしたいので教えて頂けると助かります)
 <1 なぜこのサイトに質問して下さったのですか?>
 <2 質問をしたのはこのサイトだけですか?>
もし他に質問していないのならば、他サイトに同じ質問すると情報が増え考え方を比較できてよいかも。

<投稿文への回答>投稿文は黒字・回答は茶色字とする
(2)の2「あいつ」という表現の意味
授業でもここの二人称の変化に着目しよう。という発問をしました。
「この場面以外では、この少年・彼・例の先生の息子・あの模範少年という表現が使われているが、ここでの感情の高ぶりの原動力はなんだろうか?」
→A エーミールは金持ちで道具も一級品。
B それに比べ僕の道具は立派ではなかった。
C でも、蝶に対する情熱は本物で、それをバカにされたのが我慢ならなかった。
D その感情が「あいつ」に込められていると考えました。
■1 読み間違いでは
 「A エーミールは金持ちで道具も一級品」とはどこにも書いてありません。正しくは、
 ① 収集は小さく貧弱だがこぎれいで手入れが正確
 ② 非常に難しい珍しいめずらしい技術を心得ている
 のです。この点は重要です。
 発問「ぼくはなぜ妹たちだけに収集を見せるようになったのですか」
 の理由に関わります。
 発問「エーミールだけには見せようと思ったのはなぜですか」
 の理由の読解もずれてしまいます。
2 「あいつ」という表記
 最後から二段落目・23段落で初めてぼくは「あいつ」という呼称を使います。
 しかも、全文で一度だけです。
 その二点に「あいつ」に込められた感情をより強く表現する効果があります。
 B、Cは同意見です。


(2)の3と4なぜのどぶえか・飛びかかるところだった
「のどぶえ」
は言われてみるとおかしいなと感じました。
友人とは、
「殴りかかりそうになった。がよくある表現だよね?」
という話はしました。実際には行動に起こしてはいなく、飛びかかりそうになるほど激怒していることを表現していると考えています。
■1 のどぶえ
 漢字で「喉笛」ですね。
 喉笛をかみ切る、喉笛を掻き切る、
 のように表現されることが多く、「のどぶえ」は生命を奪う急所です。
 肉食獣が噛みつき止めを刺すときの急所です。
 急所につかみかかったぼくの行為に、憎しみ以上の激しい感情が表現されています。
 また、例えば「襟首に」「胸ぐらに」よりも、
 直接「皮膚、肉体に」触れることを感じさせる表現で生々しく感じられます。
 場所を選ばぬ容赦ない行為だということです。
 もう一つ、喉笛をつかむのは、言葉を発することをできなくさせる行為です。
 「あいつ」の許せない「言葉」の元を断つ。強い表現です。
 例えば、
 発問「のどぶえに飛びかかる、と、襟首に飛びかかるの違いをノートに書きなさい」
 のようになります。
2 飛びかかるところだった
 「飛びかかる」からは全身で向かっていった様子がうかがえます。
 比べて「殴りかかる」は腕だけの動きが想像できます。
 「ぶちのめす・しめつける」もやはり「飛びかかる」よりも勢いで劣ります。
 だから「飛びかかる」がより強くぼくの感情を表現できる行為となります。
 発問は今思いつかないのでやめときます。


(3)の1と2 
「とびかかれなかった」「とびかからなかった」
1なぜこの二つの表現を思いついたのか
/2この二つの表現を問題にすることの意味・理由

これは授業後の反省会で、プリントと紙板書で一致していないことを指摘されて、
二つの表現の違いは何だろう。
一文字違うだけでどう影響するのか考えたからです。
■偶然ですね。幸運ですね。こういう小さな違いを追求するのが読解力を深めます。
問う「意味」はある気がします。とりあえず、ここまで。


(3)の3翻訳文であることの問題点
本文最後のページに「学習の窓」に「翻訳作品を読み味わう」という手引きがある。
この教材で海外の作品に興味を持ってもらうというねらいがあると思う。
翻訳作品と言っているが、ヘルマン・ヘッセのドイツの全集にはこの作品は載っていないと聞いた。
この作品はヘッセのものであるが、
日本で広まったのは高橋健二さんのすばらしい日本語訳によるところが大きいと思う。
よって、翻訳者の意図を個人的には優先したい。
■僕の考えは異なります。
「翻訳作品を読み味わう」というのは出版社の言い訳です。
四十年間、別の文学教材を発掘できなかったのです。
三年生の『故郷』(魯迅)も翻訳教材で三十年以上使われています。
どちらも優れた文章です。
『少年の日の思い出』は高橋健二訳でこそ生き残りました。
しか~し!いくらなんでも今更、魯迅はないでしょう。
まだ調べるつもりですが、教科書の「文学教材と読み物教材」には翻訳がとても多いのです。
翻訳には読解においていくつも問題点があります。
翻訳文全体もそうですが、この高橋健二訳にも問題があるそうですね。ネット上でご存知かと思います。
これらについては後述する予定です。
出版社は日本の作家の文章を発掘しろ、と言いたい。
『故郷』を好む非常に年配の(僕も年配だけど)人は頭をリフレッシュして欲しい。
教科書の「翻訳作品を読み味わう」にはやはり笑えます。 
「翻訳者の意図」については「作品論と作者論」で。


(4)の1と2「とびかかれなかった・とびかからなかった」言い換え
(3)の1と2と重複しますが、ミスから生まれた考えだったので「学習のねらい」まで考えていませんでした。
■「ねらい」については了解です。
ただし、コメント欄で触れたように、
「すんでのところで」に呼応するなら「~ところだった」と書くしかありません。
ですから、教材研究のため便宜的に書き換えて考えるなら文学表現ですから、
「その瞬間、ぼくはあいつののどぶえに、飛びかかることができなかった。」
「その瞬間、ぼくはあいつののどぶえに、飛びかかることはできなかった。」
「その瞬間、ぼくがあいつののどぶえに、飛びかかることはなかった。」
「その瞬間、ぼくはあいつののどぶえに、飛びかかりはしなかった。」
などが考えられるでしょう。
「すんでのところで」という表現は、とりあえず使用できないということです。
また、
「その瞬間、ぼくはあいつののどぶえに、飛びかかれなかった」
「その瞬間、ぼくはあいつののどぶえに、飛びかからなかった」
などでは、あっさりしすぎているようです。
 

(5)の1「とびかからなかった」が合っている
前者は誰かに止めに入られ物理的に行動できなかったときなどに使う表現で、
後者は僕の意思が入っているので(盗みを犯した後ろめたさ)
表現としては適切だと判断しました。
■「僕」ではなく本文表記は「ぼく」です。
表記にはこだわらなければなりません。
僕の答えも比較するなら後者のほうが適切、ということになります。


(5)の2「合っているか」「合っていないか」根拠を明らかにする手段はあるのか
生徒役の学生に
「その意見は本文のどこにあるの根拠は?」
と言っておきながら、自分自身の意見には根拠がなく個人の推測です。
■本文にない表現を仮に利用して、生徒に理由を考えさせることになります。
根拠は「本文中」にしかあり得ません。
「何段落の、どこどこに、ナニナニと書いてあるということは、と答えなさい」
「本文中から証拠を探しなさい」
国語授業の大原則です。
生徒が本文に書いていないことを言ったら、
「どこにそんなことが書いてありますか」
と生徒を追求します。
もし、zzrさんが推測しかできないのなら、この論題は授業できないことになります。
指導案にも書くことはできません。
比較することを諦めるしかありません。
 


(6)の1
作者論と作品論がわかりません。語句の解説をお願いします。
■「作品論」と「作家論」に言葉を変えさせてもらいます。
1 作品論
 本文だけを問題にする授業です。
 作者の生い立ちや思想は一切考える必要はありません。
 文章は書かれた時点で、作者の手から離れます。
 作者がどのような意図で表現しようが、読者に意図どおりに伝わるとは限りません。
 よく、子供が「作者に聞いてみれば」と言いますが作者がどう考えていようが無関係です。
 国語教員でも「作者はどう考えていたのか」などと言う人がいますが無駄な問いです。
 文学作品は、読者がどう感じ取ろうが、どう分析しようが自由です。
 作者は、読者の解釈を聞いて、
 「はあ、そのような読み方もあったのですか」
 と思うわけです。
 「いや、私はそんなつもりで書いたのではないから、あなたは間違っている」
 などと言っても問題にしません。
 文章に根拠を求めて、ある解釈ができる以上、作者がどう言おうがもう関係ありません。
 それが「作品論に立つ読み方・授業の仕方」です。
2 作家論
 作家の生い立ち、生きた時代、作品が書かれた時代背景などを根拠に文章を読む方法です。
 石川啄木は極貧で知られていますから、作品も苦労・不幸が主題のものが多いわけです。
 だから、啄木の人生と時代を調べなければ、啄木の短歌は読解できない。
 それが「作家論に立つ読み方・授業の仕方」です。
 高橋健二氏が、どのような「意図」で「あいつ」と翻訳したのか考えましょう。
 そのために、高橋健二について調べましょう、ということになります。
 ヘルマン・ヘッセの国や生きた時代を調べてから読んでみましょう、ということです。
どちらという決まりはありません。
僕は大学で井関義久ゼミだったので、完全な「作品論授業者」です。
文章を根拠にすることによって、文章を「読解し」「書く」力はつくからです。
立場は自分で選ぶことです。
 


(6)の2翻訳者の考えを考慮する必要
教材解釈(教材研究)では考慮するべきだと思います。
授業で使うことがなくても、調べておくことで教材をよく知ることができると考えます。
■それが最もバランスの良い立場だと思います。

(7)の1と2と3と4「原文」とは
ドイツ語のことです。
(3)の3でもありましたが、ヘッセと高橋さんと意図は一致していなかった考えます。
高橋さんが読者にいろいろな受け取り方をさせるため、
わざと遠まわしな表現をしているのではないかと考えたからです。
(書くとしたら、「なぐりかかるところだった。」
一般には人間はのどぶえに攻撃をしないと思う)
また、高橋さん以外の翻訳が副読本として扱われていた時期があったと認識しています。
年度により言い回しが異なるというのは初耳でした。
「出版社が」時代により変えていたのならば調べ並べるうちに入れる必要はないと思います。
■「研究2」の「本文表記比較」のとおり、表記も言い回しも教科書改訂の度に変わります。
同じく述べたとおり、異なる文章を検討して言い合っても無駄になります。
どの年度の、どの出版社の「教材文」を使用しているのかを明らかにしないと指導案は作れません。前述したとおり、
「高橋健二氏が、のどぶえ・飛びかかる、という表現をしたのはなぜか」
を僕は問題にしません。
高橋氏がどう意図しようと、表現の理由は、読者の僕と生徒の解釈能力に任される。
「高橋氏がわざと遠まわしな表現をしている」
か、そうでないかを確かめる方法は存在せず、文章の読解力の学習とは無関係です。
まあ、それが「作品論」ということです。
「一般的には人間はのどぶえに攻撃をしないと思う」
のはそのとおりです。
高橋健二訳の翻訳文に、よくぞこう書いた、という表現が散りばめられているので、長く読まれているのでしょう。

このレポートは教材研究として提出するように言われていますが、指導案も作ったので入れようと思っています。中学一年生に「授業する」内容・方法について論点を絞ることを徹底できていませんが、宜しくお願いします。
■いやあ、面白かったなあ。授業のことを考えるのは本当に楽しい。
zzrさんが優れた論題と熱意を示してくれたお陰です。
繰り返しますが、これで終わりにしてくださって結構です。
僕はネットで調べて、他に面白いことがあったのでもう少し続けます。
まだ、
『少年の日の思い出が長年教科書に載っているのはなぜか』
という一番目の問題が残っていますね。わざと最後に残しました。
僕は既に答えを書いてあります。
気が向いたら、またコメントしてください。
反論、疑問、派生した論題、何でも楽しみです。

あっ、
「1 数多いサイトの中でなぜこのサイトに質問して下さったのですか?」
「2 質問をしたのはこのサイトだけですか?」
は、できれば僕が頑張ったご褒美に(笑)教えて欲しいです。

―まだ勝手につづく予定―

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国語授業中学少年の日の思い出
研究1・論題17題

研究2・教科書全表記比較
研究3・論題17題の検討
研究4・教科書掲載理由検討
研究5・高橋健二の戦争礼賛
研究6・中学生の頭を悪くするサイト
研究7・プロローグは削除してよい
研究8・小説と物語の違い
研究9・ヘッセノーベル賞の為か
研究10・作者論と作品論
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中学国語指導案・少年の日の思い出研究4・教科書掲載理由検討

2011-02-01 05:32:45 | 中高国語など指導案
2011/2/12upわかる目次
中学国語指導案・少年の日の思い出研究4・教科書掲載理由検討
作成日2011/02/12

『少年の日の思い出が長年教科書に載っているのはなぜか』
少年の日の思い出「すんでのところで」の研究1における、
zzr氏提供の論題の一番目がこれだ。
この問題は、国語教員の殆どが答えをお持ちだろう。
zzr氏の論題で冒頭にあるこの問題が実は教員にとっては最も易しい。
ただ、易しいが答えは推測しかできない。
以下の記述も推測でしかなく、証明の方法はない。
また、推測の記述に関して僕は一切の責任を負わない。

1 文章量の適切さ
 国語教科書に「文学教材」を載せる場合事実上最も問題になるのは、
 「文章の長さ」
 だろう。
 長くていいなら優れた小説は山ほどある。
 教科書に載せられる短編は少ないのだろう。
 『少年の日の思い出』はちょうどいい長さだから載り続ける。
 しかし、短編だって山ほどある。
 本当は日本作家の短編を発掘して欲しい。

2 表現が無難である
 教科書には載せられない表現を含む小説は多い。
 政治、宗教、性的表現は無論不可能だろう。
 こういう内部規定は教科書検定をする人たちが詳細を持っているだろう。
 僕は見たことがない。
 例えば『ベロ出しちょんま』は実に優れた教材だ。
 僕はプリントして中学一年生には度々授業する。
 だが最終場面に差別的表現があり、子供がはりつけの刑にあう。
 教科書には載らないだろう。
 教科書検定には時の政治的背景もからむ。
 僕が触れても仕方のない問題だ。

3 翻訳文だからこそよい
 できれば別立てで書きたいが、なぜか教科書には翻訳文学が多い。
 推測すれば、翻訳だからこそ「表現が無難」なのかもしれない。
 習慣、文化、風俗が異なるから日本で問題になる事柄が出てこない。
 だから、翻訳文の『少年の日の思い出』が残ったのかもしれない。

4 主役の年齢が中学一年生と同じ
 主役が十二歳くらいで趣味はチョウ集めだ。
 感情の共感や場面理解が容易だと考えるのだろう。
 だが、今どきというか二十年前から既にチョウ集めをする少年などいなかった。
 共感できるだろうか。
 少年ならではの人間関係や失敗が読解に適する、というのはまだわかる。
 しかし、そういう日本文学が四十年間発掘できなかったのだろうか。
 疑問だ。

5 文学好き教員の趣味に合う
 出版社の営業マンによれば『故郷』(中三)ファンの教員がいつになっても多いという。
 いい教材だが、もういいだろうとも思う。
 国語科の教員は当然本好き、文学漬けで育ったから
 特に年を召した方が『故郷』のような作品に懐古的な好みを示すのだ。
 『少年の日の思い出』も同じ理由でいつまでも現場の声で残る。
 しかし、今の若い人は違うはずだ。
 出版の営業は優れた若い教員に話を聞いて欲しい。

6 教科書検定の壁と灰色の教科書選定システム
 壁が厚いから新しい作品が発掘されない。
 教科書出版社の責任だけではないということだ。
 また、市町村ごとの教科書選定システムは灰色で僕には全くわからない。
 地域で「教科書選定委員」のようなものが選ばれるらしい。
 だが、誰がどんな理由で選ばれるのか誰も知らない。
 三十年来の国語教員の友人が、昨年ポロッと自分も選定委員をやったと言う。
 全然知らなかった。
 しかも、選定委員が良いとした教科書がその自治体で選ばれるかというとそうでもない。
 これ以上考えると何だか気持ち悪いのでやめておく。

7 出版社の勉強不足
 同情の余地は多いが、出版社の勉強不足は否めない。
 まあ、現場の国語教員に比して不足しているはずはないが驚いたことがある。
 ある営業マンは、斉藤喜博を読んだことがないと言う。
 大村はまは知っているそうだ。
 大村はまは特に女性教員に人気があると思う。
 だが、著書は随筆風で教育実践には役立たない。
 大村はま晩年の講演を拝聴したが感動的に素晴らしかった。
 だが教育の原則通り「話す力」と「書く力」は別の能力だ。
 また、向山洋一氏を知らない。
 「ああ、あの、む・か・い・や・まさんは聞いたことがありますが……」
 愕然とした。
 僕はブログ記事でTOSSを悪し様に批判している。
 だがこれは可愛さ余って憎さ百倍というやつで、
 結局TOSSしか教育の未来を担う団体はないと思ってきたからだ。
 僕の教育的思想と教育技術のほぼ全ては向山洋一氏から学んだ。
 向山洋一氏だけが日本の教育を正常化する最後の希望だった。
 失望は大きい。
 しかし、百歩千歩譲っても義務教育に関わる人間で向山洋一氏を知らない、
 読んだことがない、それで授業するというのは素人に近い。
 国語教員に限ったことではない。
 第一、向山洋一氏は社会科専門なのだ。
 現実は氏を知らない教員が多いのを今は分かっている。
 十年以上年前に気づいたときは頭が真っ白になった。
 向山洋一氏著作を読まないということは、
 本屋で教育書コーナーに行ったことがないということだ。
 向山洋一氏著作を読んでいないのは教育書を買ったことがないのかと疑う。
 教材選定のプロならば、教育技術論に通じるのは当然のことだ。
 
8 『少年の日の思い出』はすぐれた教科書教材
 色々言っても高橋健二訳『少年の日の思い出』はすぐれた教材だ。
 二十数年で最も多量の教材研究文を書いたと思う。
 読めば読むほど新しい発問を発見することができる。
 流行に乗り、直木賞作家の妙な文学を載せるよりずっといい。
 中学校の時僕は書写の授業が大好きだった。
 家で、言われもしないのに硬筆教科書を度々ノートに写した。
 美しく文字を書くというのは実に楽しい。
 その硬筆教科書にこんな言葉があった。

 「科学は最新のものを読め。
  文学は古典を読め。」


以上でzzr氏論題への回答は終わる。

ー zzr氏提言に答える中でネットで調べた面白いことを続ける予定 ー

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国語授業中学少年の日の思い出
研究1・論題17題

研究2・教科書全表記比較
研究3・論題17題の検討
研究4・教科書掲載理由検討
研究5・高橋健二の戦争礼賛
研究6・中学生の頭を悪くするサイト
研究7・プロローグは削除してよい
研究8・小説と物語の違い
研究9・ヘッセノーベル賞の為か
研究10・作者論と作品論
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中学国語指導案・少年の日の思い出研究5・高橋健二の戦争礼賛

2011-02-01 05:32:44 | 中高国語など指導案
2011/3/3upわかる目次
中学国語指導案・少年の日の思い出研究5・高橋健二の戦争礼賛
作成日20110212~20110303
以下に「少年の日の思い出研究」から派生して興味を持ったサイトについて引用・コメントをする。
「引用」は黒色字で、
「hyoko意見」は茶色字とする。
引用の仕方、トラックバックということ、をいくつも読んだが結局よくわからない。
サイト中には主に、
「無断引用・転載を禁ずる・・・但し行う場合は、URLと引用部分を明記すること」
という但し書きが多い。
トラックバック、というのは勝手に引用しないための手段だと解釈したが、
一方で、
「わたしはこのブログではトラバ(トラックバックの略)を開放していません」
「機械的なスパムにあいやすいのがこのトラックバックの機能」だから
http://ameblo.jp/ryumi0626/entry-10282751038.html
・・・<琉海@ブログアクセスアップ戦術143★人気ブログの作り方>
という記述もある。

以下記述の目的は、
「引用により『少年の日の思い出』の教材研究を深めること」
にある。
もし、引用として不適切・相手に迷惑である場合があればご指摘ください。


<高橋健二 (ドイツ文学者) Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%81%A5%E4%BA%8C_(%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E6%96%87%E5%AD%A6%E8%80%85)
高橋 健二
(たかはし けんじ、1902年9月18日 - 1998年3月2日)

「第2次世界大戦中はナチス礼賛本も翻訳し軍部への戦争協力を推し進めた。
1942年、改組後の大政翼賛会第二代文化部長に就任。
戦意高揚のための戦争文化論を著した。

「戰爭に負ける文化など何の價値もない」
「戰ひに臨んでは、憎惡と憤怒こそ價値を生むものであり、文化の父である」

『年講座』國民よ怒れ」

「あまりの訳書の多さから「翻訳工場」などと揶揄された。
没後は戦争協力の問題を追及されている。」

高橋健二についてこんなことを三十年間も知らなかった。
優れた同僚は知っていたのかもしれない。
不勉強だった。
市内の国語研究会でも、指導書でも問題にされなかったはずだ。
これは問題にすべきでしょう。
違いますか。
これを知ったところで『少年の日の思い出』の教材としての優秀性が揺らぐわけではない。
しかし、高橋健二が
「戰爭に負ける文化など何の價値もない」
と書いたことを生徒に言わずに授業していいのだろうか。
教科書の作者紹介に上記の情報を書かないのは欺瞞だ。


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研究6・中学生の頭を悪くするサイト
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中学国語指導案・少年の日の思い出研究6・中学生の頭を悪くするサイト

2011-02-01 05:32:43 | 中高国語など指導案
2011/3/4upわかる目次
中学国語指導案・少年の日の思い出研究6・中学生の頭を悪くするサイト
作成日20110212~20110303
奇しくもこの記事作成真っ最中、「ヤフー知恵袋」を使用した不正事件が起こった。
2011年2月27日(日)01:03
<入試問題、試験中に投稿=携帯から、解答求め掲示板に―事実関係を調査・京都大>
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-110227X173.html
現時点(2011年3月3日)には周知のこととなっているが、予備校生が逮捕された。
「ヤフー知恵袋」は役立つシステムだ。
しかし、やたらに答えればいいわけではない。
以下は、この事件が起こるずっと前に見つけたネットの弊害例である。
以下のような安易な回答の積み重ねで、京都大不正事件は起きたのだろう。
責任は、答える大人にある。
叱りつけて、ネットの使い方を子供に教えなければならない。


(1)<中一の「少年の日の思い出」いそぎです!!!国語 教えて!goo>
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2797100.html
少年の日の思い出の、5段落目の、「家の入り口に立ち止まった。」と、
ありますが僕か、エーミールの家かどっちですか???
理由もお願いします。
「お願いします」じゃないよ。
馬鹿なことでネットを使うのはやめなさい。

「回答の一つ

多くの方は「エーミールの家」と回答されておりますが、僕は「僕の家」の前だと思います。
理由は、「家の入り口」とあるからです。
エーミールの家の前ならば「家の出口」と書くでしょう。
エーミールの家の入り口に正面を向けて立ち止まることはありえないはずです。

上がってくる女中はエーミール家の女中ですし、「僕」は2階のエーミールの部屋から階段を降りている(からあがって来る女中ですよね)途中。
そのあとの入り口だから、もちろんエーミールの家」

それなら、エーミールの家です。ドキドキしたのは、エーミールの家の女中だったからです。
一連の行動は、エーミールの家の入り口から部屋までのことです。少年は、自分の家には帰っていません。

・・・エーミールの家です。私の記憶では、その部分は詳細に記述されていますが、主人公の少年の家の様子はあまり鮮明には描かれていません。
したがって、おそらくですが、エーミールの家の事では。
理由は前後を読まないと答えることは出来ません。
だったら答えないでいただきたい。
どれも根拠薄弱。授業には使えない。
僕は明解な根拠を文中から説明できるがしない。
ネットに安易に答えを求める中学生の頭をいっそう悪くする手伝いはしたくないからだ。


(2)<国語の授業で『少年の日の思い出』のディベートをします。内容は
「『ぼく』のや... Yahoo!知恵袋>

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1338165538
「・・・ディベートをします。・・・ 「『ぼく』のやったことは許されるのか?」です。
エーミール側・・・僕側・・・要点があれば教えてください。
もうすぐ本番なので早めのご回答をお願いします。」
「早めのご回答を」?
君は何様なのかと問いたい。
僕なら
「ネットをふざけたことにつかうのはやめなさい」
と回答する。

「ベストアンサーに選ばれた回答
・・・(hyoko注:下らなすぎるので略)」

(3)<授業で「少年の日の思い出」というものを習いました。
少年の日の思い出の話の続きを... Yahoo!知恵袋>

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1136430871
「・・・少年の日の思い出の話の続きを書かなくては駄目なんです。」
君は宇能鴻一郎か。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E8%83%BD%E9%B4%BB%E4%B8%80%E9%83%8E

「ベストアンサーに選ばれた回答
創作文ですから、何でもおもしろおかしく書ければ良い・・・」
問う中学生は、未熟なものだから百歩譲って許せる。
しかし、答える大人は許せない。
しかも、最低の回答だ。


(4)<少年の日の思い出・感想 Yahoo!知恵袋>
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1136686906
「・・・授業を受けての感想を書けと言われた
・・・月曜提出なので、できれば今日か明日中に宜しくお願いします。」
国語教員が「宿題」にしているのだ。
だからこういう馬鹿げた生徒が出来上がる。
愚かだ。
宿題の弊害を学ばない教員が頭の悪い生徒を育ててしまう。

「ベストアンサーに選ばれた回答
・・・(hyoko注:下らなすぎるので略)」

(5)<中学1年の国語の「少年の日の思い出」で、
主題の問題が、出たのですがこの文章の... Yahoo!知恵袋>

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1137044596
「・・・この文章の主題は・・・文章で今日中にお願いします」
「今日中にお願いします」
に俺は爆笑した。
これを読んだ皆さんもたぶん同じだと思う。

「ベストアンサーに選ばれた回答:
去年やった時には「過去は変えられない」でした」
続・爆笑。これは子供による回答だろう。
「すぐに回答してくれて、ありがとうございました。とても助かりました。」
「とても助かりました」に続々・爆笑。

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中学国語指導案・少年の日の思い出研究7・プロローグは削除してよい

2011-02-01 05:32:42 | 中高国語など指導案
2011/3/4upわかる目次
中学国語指導案・少年の日の思い出研究7・プロローグは削除してよい
作成日20110212~20110303
(1)<「少年の日の想い出」SIR JAPAN「不知夜日記」楽天ブログ(Blog)>
http://plaza.rakuten.co.jp/sirjapan/diary/200905300000/
・・・この短編は私が高2か高3の時の現代国語の教科書に全文が載っていました。
・・・現代国語の先生が言われたことは、
『これは文章だけを味わって欲しいので細かくはやりません』
■つまり、授業方法がわかりません、と高校教員は言ったわけだ。
私にはこの教材で授業はできません、と高校教諭は言ったわけだ。


(2)<「へルマン・ヘッセ昆虫展~少年の日の思い出」~1
こころワクワク!蝶・花・自然に感動!ウェブリブログ>

http://wakuwaku-kandou.at.webry.info/200912/article_9.html
・・・「国語.1」の「少年の日の思い出」(高橋健二訳:光村図書)で、
こちらは、1947年に中学国語の教科書に採用されて以来継続している。
■なぜ継続しているのだ。わからない。
別記では
「不明」
とか
「ヘッセがノーベル賞を受賞したから」
と記述がある。
いずれにせよ教材としての継続理由としては薄弱だ。


(3)<「少年の日の思い出」を読む2 国語教育デジタルポートフォリオ>
http://portfolio.cocolog-nifty.com/hal/2005/02/post_1.html
「・・・作品の真の語り手は「わたし」であり、
告白そのものが「わたし」によって改竄されている可能性もないとは言えない。」
■改竄(かいざん)されていようがいまいが、フィクションなのだから何の問題もない。
僕は、この記事を作るうちに『少年の日の思い出』の
プロローグ(わたしと客が書斎で語り合う場面)は教材として「削除」してよい
と考えるようになった。
あの場面でどれだけ解説が必要なことか。
「国語能力育成」のためには、プロローグは削除すべし。
上記のコメントは授業する人の発言ではないだろう。


(4)<ドイツ文学と虫屋、知られざるつながり~岡田朝雄さん編(1)
大人になった虫捕り少年初めてのこだわり新おとな総研YOMIURI ONLINE(読売新聞)>

http://otona.yomiuri.co.jp/mystyle/mushi/20091102_01.htm
「・・・戦後間もない国定教科書の時代から現在まで、
60年以上にわたって中学校の国語の教科書に採用」
「・・・高橋氏・・・楓蚕蛾と訳した
・・・誤りであると岡田さんが指摘し、クジャクヤママユに修正された」
■楓蚕蛾でもクジャクヤママユでも、生徒の読解力育成には何の影響もない。
授業者にとってはたいした「修正」とは思えない。

「高橋氏が・・・1931年、スイスで2日間にわたってヘッセを訪問し、
帰り際に「列車の中で読みなさい」と新聞の切り抜きを渡された・・・」
■わかりました。だから?

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中学国語指導案・少年の日の思い出研究8・小説と物語の違い

2011-02-01 05:32:41 | 中高国語など指導案
2011/3/5upわかる目次
中学国語指導案・少年の日の思い出研究8・小説と物語の違い
作成日20110212~20110303
(1)<小説と物語の違いBIGLOBEなんでも相談室>
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5114451.html
小説と物語とはどういう違いがあるのでしょうか?
いろいろな本を見ると、
小説は作り話のため、しっかりとした因果律をもって話が進み、
物語は偶然の積み重ねで話が進むとあるのですが、
ちょっと分かりにくく、理解ができません。」

「質問者が選んだベストアンサー:
小説という言葉は,坪内逍遙が novel を訳したもの・・・
novel は「新奇なもの」という意味・・・

「別回答
・・・「小説」は漢代の重要な価値を持った公文書とは異なる、
「取るに足りない、下らないお話」という意味が原義
・・・「物語」は日本語の「モノをカタる」、
あるいは「モノがカタる」という複合動詞に由来する語
・・・元来「小説」は公文書ほどに高い価値が認められない読み物
という意味の漢語(古代外来語)
・・・「小説」という漢語を明治時代になって、
英語の“novel”の訳語に宛がってから、
日本で「小説」という語が一般化しただけのこと

・・・明治初期には、今日の「小説」に対応する語として、
「稗史」や「戯作」という語が普通に用いられておりました
・・・明治において、もし“novel”という語の訳語に
「物語」という語が宛がわれていたなら、
現代の日本人は、「現代小説」ではなく、
「現代物語」という語をごく普通に使っているのかもしれません。

・・・プロットとストーリーとの差異
・・・プロットはより複雑な因果論的な構成・展開を特徴とする
・・・ストーリーは出来事のより単純な時間的な構成・展開を特徴とする
・・・「小説」は概してプロットを有し、
・・・「物語」は概してストーリーを有する、
・・・単に古い小説という意味合いだけで「物語」と称しているだけでしょう
・・・これを中国の文学者が読んだら、間違いなく「これは伝奇小説だ」と言うはず

「別回答
・・・「『物語』の表現形式の一つが『小説』である」
・・・「『小説』は『物語』に含まれる」
と考えた方がしっくりする
・・・人間の社会の中で最初に作られてきたのは「物語」
・・・「口述」がはじめにあって、次第に「唄」「舞踊」「劇」「絵物語」……等々いろいろな物が生み出されてきた
・・・「小説」は印刷術と識字率が社会で一定の普及をする中で生み出されてきた「物語」表現手段の一つ
・・・分類すれば
・表現形式としては文字(文章)を用いるもの
・内容としては、主にフィクションを扱うもの
を「小説」と呼ぶのではないか

「別回答
・・・狭い意味では、古い時代のモノが「物語」
・・・小説は、比較的新しい時代の文学形態

「別回答
・・・「モノを語る」すなわち口に出してお話しするという形を取るものが「物語」
・・・小説は人に語るものではありません

■非常に勉強になった。
ただ、とにかく大人の
「何々と思います」
という文末表現が多すぎる。
引用では文末の「思います」表記は削除した。
非常にうっとうしい。
人は思うことを言い、書くに決まっている。
「~思う、と書くな、発言するな」
が中学校国語授業の基本だ。
少しずれるが僕は、学級員会、班長会などで「自己紹介」があるとき、
「よろしくお願いします・がんばります、は禁止する」
と予告した。
生徒は「えーっ!」と嘆き、その瞬間から頭を使い始める。
この二語を生徒も教員もほぼ全員が口にする。
この二語を禁止すると、委員・班長の脳味噌が働くようになる。


(2)<少年の日の思い出 ヘッセ青春小説集 [単行本] ヘルマン・ヘッセ (著),
岡田朝雄 (翻訳) カスタマーレビュー>

「私の知ってる『少年の日の思い出』じゃない…,
2011/1/21
そうかそうか、つまり君はそういうやつだったんだな。

そう、そう、きみって、そういう人なの?

と改訳されていました
・・・他の部分に目立った改訳はありません。しかし、この改訳は非常に残念です」

■岡田氏の翻訳が拙劣な改訳だと言える例。
高橋健二氏の訳には誤訳があるらしいが、サイトで見た限り、授業の読解力育成において大きな問題ではない。しかし、
『そうかそうか、つまり君はそういうやつだったんだな。』

『そう、そう、きみって、そういう人なの?』
ではあまりに格調が異なる。
そう、そう、きみって、そういう人なの、なんていう言い方、今も昔も誰が使うのだろうか。
あまりに不自然だ。
気持ち悪ささえ感じる。


(3)<strong「短編 ”少年の日の思い出”」strong老ファン追っかけ日記>
http://gray-power.seesaa.net/article/171410990.html
「・・・「少年の日の思い出!」という短編が
現在(2009年)81.7%の中学一年生の教科書に採用され学習されているという
・・・1947年の文部省教科書「中等国語二」に載せられたのが最初で 
以来半世紀以上(60年以上)国定の教科書に引き継がれて
現在までの教科書の教材と活用され
この類を見ない教材は 検定時代の頃は 中学3年生教材になり
以後2年生、、1年生と下がり1966年以後1年生教材として定着

■わかりました。

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中学国語指導案・少年の日の思い出研究9・ヘッセノーベル賞の為か

2011-02-01 05:32:40 | 中高国語など指導案
2011/3/5upわかる目次
中学国語指導案・少年の日の思い出研究9・ヘッセノーベル賞の為か
作成日20110212~20110303
(1)<いちもんのホームページ>
http://ichimon.main.jp/index.html
(いちもん掲載作品)
http://ichimon.main.jp/no63/08.html
・・・一九四七年四月から、六・三・三制の新制度が発足
・・・暫定教科書から、しばらくの間は、文部省著作の教科書が使用
・・・昭和二十四年からは民間の教科書が使用
・・・現在の日本の教科書制度は、民間が製作した教科書を国が検定し、
合格したものを各地の教育委員会が独自に選択することになっている。
・・・四年に一回、新しい教科書が選択されるシステム
一九四七年、中学二年の国語教科書に初めて、
『少年の日の思い出』(高橋健二訳)が掲載された。

以来、今日に至るまで、五十七点の教科書にヘッセの作品が収録されている。
詩までを含めると原典は十一点を数える。
・・・全体の七割を『少年の日の思い出』が占める。
一九六九年以降は、この作品のみの独占状態となっている。
学年別では、当初は二年と三年の教科書に採用されていたが、
次第に一年に移行し、現在に至っては一年の教科書だけに掲載されている。
・・・『少年の日の思い出』一九四七年、
文部省著作・発行の『中等国語二(二)』に
高橋健二訳『少年の日の思い出』が初めて掲載された。

・・・なぜ、ヘッセの作品が教科書に掲載されたのか、理由は定かではない。
・・・前年の一九四六年にヘッセがノーベル文学賞を受賞したことも大きな後押し
・・・二〇〇二年、三省堂発行の教科書に、
初めて初版からの訳出の『クジャクヤママユ』が収録され、現在も使用されている。
訳者はドイツ文学者の岡田朝雄氏。
<いちもんのホームページ>
http://ichimon.main.jp/index.html
はとても良いサイトだ。
詳しくて客観的。
他サイトにない情報が満載だ。
非常に勉強になった。


(2)<うるめしま>
http://blogs.dion.ne.jp/kaiyo/archives/9179574.html
少年の日の思い出」はヘッセの作品ですが、
ヘッセ全集にも収録されておらず、ドイツでは殆ど知られていません。
ところが、1947年に日本の国定教科書に掲載され、
それ以来、現在まで60年以上も検定教科書に掲載され続け、

日本では、最も多くの人々に読まれた外国文学のひとつだそうです。
■参考になりました。

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