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20070121開設/中学高校国語授業指導案/中学校学級経営案/発達症対応/生活指導/行事委員会指導

頭髪四色中を立て直した話13

2023-09-25 21:10:48 | 生活指導
カテゴリー別目次
2023-09-25
頭髪四色中を立て直した話13
【行事の保護者感想】
■1■体育祭アンケートのまとめ■
 大変遅くなりましたが、過日お願いいたしました「体育祭アンケート」のまとめです。
 体育祭後、息つく間もなく、文化祭(合唱コンクール)の取組みに入り、
 様子は学級通信でお知らせしているとおりです。
 毎日合唱が上達していくのを、生徒と一緒に楽しんでいます。
 匿名なら掲載可、のアンケート内容です。
 文化祭に向けて、あらためて生徒の励みになることと思います。

① 皆それぞれが一生懸命自分の力を発揮させ、取り組めた体育祭だったと思います。
保護者席から思わず、声援・応援の声を出してしまいました。

② とてもよい体育祭でした。
いちばん良かったのは、皆一生懸命なんだけれど、すっごく楽しんでやっていたという所です。
子供たちのニコニコとした顔を見ると、本当にホッとします。
指導された先生方も大変だったと思います。お疲れ様でした。

③ 応援する側と、競技に出る側とが一つになって、活気にあふれて良い体育祭でした。
一つのことに打ち込む姿は、見ていてすがすがしいし、
これからもこの経験を生かして、心身ともに成長していってほしいと思いました。

④ 生徒数の少なさを感じさせない活気があり、見ている側も自然と競技に引き込まれ、ハラハラドキドキ・・・・・・。
楽しい一日を過ごしました。応援団がとてもよかったです。

⑤ 二年目の応援団。
去年は半分すすめられてやったようですが、三年生に引っ張られてやる気が出てきたようです。
今年は自分から進んで受け、とてもがんばったと思います。
声もかれ、体もくたくたになるまで練習して、最後のカラーリレーのあと、本当に親としても感動しました。
競技も自分があの競技の時勝てたら、順位が一つ上だったら、三冠だったと、悔やんでいましたが、
でも一生懸命走る姿に、親としてよくやったと拍手しました。

⑥ とても寒い日でしたので、風など引かないか心配でしたが、寒さも吹き飛ぶくらい元気な体育祭でした。
家では甘えん坊な一面もありますが、やはり学校へ行けば、三年生になったんだなあと・・・・・・。
中学生最後の体育祭に、悔いのないものだったと思います。

⑦ 子供から毎日の練習の様子を聞いていたので、当日は感動しました。
子供たちの顔が、キラキラ輝いていたのが印象的でした。
一年生のかわいく、まだ子供っぽい体格から三年生をみると成長が良くわかり、年月を感じました。
兄弟の下なので、今年で本当に中学校生活も終わり。
親も体育祭を楽しませてもらいました。

⑧ 応援団の皆さん。お疲れ様でした。短い練習期間で、よくがんばったと思います。
とても、とても、素晴らしかったです。
一組のみんなは、とっても素直で純粋で一生懸命で、皆さんの涙にたくさん元気をもらいました。
PTAの綱引きに参加させていただいて、負けた時の悔しさ!思いっきり思い出しました。
みんなの涙、実感できました。
男子の友情、女子の友情、クラスの団結。
青春ですね!!たくさんの感動をありがとうございました。

⑨ 寒い中、皆がんばり、立派な体育祭を見せて頂きました。
勝っても負けても涙を流している子供たちから、一生懸命さを見せて頂きました。良い体育祭でした。

⑩ 子供たちには思い出に残る体育祭になったと思います。

■2■合唱コンクールご感想より■

① 3年生は、1組、2組とも本当に上手でした。
「さすが3年生!」という思いを多くの人が感じたことでしょう。
たくさんのお母さんたちからほめて頂いて、すごくうれしかったです。
「勝ちたかったなあ・・・・・・」というのが本音ですが、
「頑張ったのだからいいじゃない」というのも本当の気持ちです。
保護者の立場から言うと、
いい意味での競争心をもたせることは、絶対に必要なんだということがわかりました。

② 三年生ということで、練習の時から気合が入っていたようです。
朝練は間に合わないこともあったようですが、先生にこう言われたとか、いろいろと家でも話をしていました。
当日、親バカかもしれませんが、さすが三年生!という感じで、感動しました。
私としては、3-1が優勝だと思っていました。
結果はのがしましたが、歌っている子供たちの顔はキラキラ輝いていて、
優勝以上の思い出ができたことと思います。ち
なみに、今日、11月8日でもまだ口ずさんでいる我が子です。
ご指導ありがとうございました。

③ 体育祭に感動したので文化祭も素晴らしいのでは・・・思っていましたが、見学することができませんでした。
残念です。
練習の様子は学級通信でお知らせいただいていて、
その度、頑張っている様子がうかがわれてきたので、本番当日も全力を出し切れたことと思います。
負けは負けでも、頑張って頑張っての負け。
何もせずの負けでなかったことに拍手したいです。
皆さんお疲れ様、ご苦労様でした。

④ 今まで三年間の中で、いちばん声も出て音質もよく上手でした。
本気で頑張れば、レベルはどんどん上がっていくものだな、と驚くとともに感心しました。
先生が引っ張って行ってくれて、それぞれの責任分担を一人一人が真剣に果たした結果だと思います。
これを通して、生と一人一人が、やればできるんだという自信につながり、
これからも挑戦していく心を忘れずに、自分の人生を切り開いていって下さいね。期待してます。

⑤ 伴奏をすると決めてから、合唱曲も決まり、毎日練習している姿。
先生にテープをダビングして頂いて、一生懸命聞いて覚えて日に日に弾けるようになり、
毎日学級通信で伝わってくるクラスの様子。
みんなが一生懸命歌っている様子が、目に浮かぶようでした。
どんどんうまくなる歌。
納得できない自分の技術。
学校から帰ると
「すごくうまくなったんだよ。感動しちゃう。楽しみにしていて。私も頑張らなきゃみんなに申し訳ない」
と毎日聞いては、とても楽しみにしていました。
そして当日。全クラスのレベルの高さに驚き、本当にすごい合唱を聞かせてもらって感動しました。
全員の努力と先生の熱意。
クラスが一つになって、きっと一生忘れられない素晴らしい思い出ができたと思います。
私からも皆さんに「ありがとう」と言わせて下さい。

⑥ 皆さんお疲れ様でした。
私はいつも学級通信を読んで、毎日大変な努力とクラスの和、貴重な汗と涙のドラマがあったことを知り、
感動していました。(3年B組金八先生のクラスともダブっていました)
どんな時も、どんなことであっても結果を出すためには、
いろいろな人、仲間の支えあいがあってのことであり、その感謝も忘れないでほしい。

⑦ 20枚近い文化祭についての学級通信。
先生の熱心さが伝わってきました。
子供たちも先生について、朝、昼、夕と練習を重ねたのでしょう。
家に帰ってもお風呂の中で歌っていました。
三年生らしく、去年の子供たちとは思えないくらい素晴らしい歌声、
そしてなんと言っても態度が良かった。
体中が熱くなってしまった。
子供たちにとって、また一つ思い出ができたのではないでしょうか。
クラスみんなで楽しんだ、頑張ったことが・・・。
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頭髪四色中を立て直した話12

2023-09-23 16:17:13 | 生活指導
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2023-09-23
頭髪四色中を立て直した話12
掃除以外に取り戻せなかったことがある。
【成績】だ。

中学2年生のとき、登校時間自由・下校時間自由・授業中抜け出し入るの自由、の生徒がいたという。
前述の通り、クラスの出席簿には遅刻・早退が繰り返し記録された。
月間総数数百だったという。

中学3年生になり、教室の出入り自由は一切なくなった。
だが、2年生の5段階評定は残った。

3年の三者面談で、何人もの生徒、保護者に伝えた。
「Bさんの学力はとても高い。
 ご希望のC公立高校の合格率は、過去の受験生実績に照らして十分ある。
 ただし、2年生の評定が低い。
 かつ、遅刻早退欠席数を入学条件に入れる学校もある。
 Bさんは、公立高校入試で十分高い点数を取ると思われる。
 しかし、総合的に合格はかなり難しいと考えられる」

どうしてもあきらめられない生徒は、希望通りの公立高校を受験し、合格できなかった。
1、2年で正常な授業が成立していれば、楽に合格できる学力を彼らは持っていた。
不合格だが心打たれる生徒の凛々しさは学級通信に書いた。
僕は多くを学んだ。だが、もう繰り返すことではない。
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頭髪四色中を立て直した話11

2023-09-23 15:28:55 | 生活指導
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2023-09-23
頭髪四色中を立て直した話11
中学1、2年でできなくても、年が上がれば、どんなことも上達する。
そう言う教員がいるがそんなことはない。
1年生の育て方がが全てだ。
1年生でできるようにさせられなかったことは、2、3年で取り戻せない。
こんな教員がけっこういる。
「もう、2年生なのに、何でできないの」
できないよ。
教員が1年生のとき、育てなかったのに1年歳を取っただけでできるようになるはずがない。
1年生の4月が全てなのだ。


四色校で授業、行事が正常化しても【掃除】だけは卒業式までどうにもならなかった。
その理由は五つある。
① 1年生の4月、最初の掃除の時間の前に【方法】【組織】を固めなかったからだ。
② 掃除に【評価】をしなかったからだ。
③ 掃除の【やり方】を具体的に教えなかったからだ。
④ 掃除が【生徒にとって最もやりたくないこと】だからだ。
⑤ 付け加えれば、担任が【一緒に掃除をしない】からだ。

掃除なんてできるのが当たり前だと、教員は育ちがいいから思っている。
掃除のような下賤な行為を、担任が手伝うものではないという人もたまにいる。
よほど幸せな教員生活だったのだ。
掃除だけ、なぜ逃げて生徒が平気なのか、分からない教員もいる。
掃除は大人にとっても、最もやりたくない仕事だ。

僕は三十過ぎに転職先を探したことがある。
残ったのは【清掃員】か【パチンコ屋】か地方の山深いホテルの【ボイラー整備員】だった。
六十直前には、唯一残った【アトラクション会場清掃員】の面接を受けることになった。

最後は【清掃員】だ。
その仕事を軽んじてはいない。
だが、毎日毎日(俺は次、このかたのように、駅の便所の清掃をするのか)と想像し、
「俺には、そんな度胸はない」
と思った。
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褒められたら大人でも嬉しい

2023-09-17 20:35:02 | 2023年度雑記
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2023-09-17
褒められたら大人でも嬉しい
去る9月某日、平日開催の文化祭があった。
僕は非常勤にかかわらず、或る展示会場の監督につけて頂いた。
大変有り難いことだった。

講堂で生徒がパフォーマンスを展開した。
生徒が傑出しているので、どれも秀逸だった。

自由研究などの展示があった。
生徒は全員、順番に会場を見学に来た。
驚くほど多くの保護者もわざわざ見学に来てくださった。
落ち着いている学校だからこそだ。

早い時間にAさんの保護者が言葉をかけてくださった。
Aさんはさきの3月退任式で僕に別れの言葉を読んでくれた生徒だ。
泣いて涙を手のひらでぬぐいながら、なんとか終わりまで読み続けてくれた。
Aさんの保護者は、
「うちの◯◯が先生のことが大好きで大好きで」
と言ってくれた。

しばらくして、3年前から何かと声をかけてくださったBさんの保護者が話しかけてくれた。
僕は、何もお手伝いできなくなり申し訳ありませんと言った。
「いえ。安先生がいてくださればお話ができます。それだけで助かります」
Bさんの保護者には足を向けられない。

展示終了前に、Cさんの保護者が声をかけてくださった。
「安先生。こんにちは」
「あの。どちらさまで」
「Cの母です」
「あ! お目にかかりたかったです」
「Cが毎日先生の話をしていました」
「Cさんはうちで話をする子だったんですか」
Cさんは、群を抜いた知的好奇心を持ち大変な努力家で優秀だった。
昨年度2年生のとき、毎時間のように授業後何かを訊いたり教えてくれたりした。
教員の中にはそれを点数稼ぎだと言う人もいた。
僕はそれでもいいじゃないかと思っていた。
大人も日々みな卑屈に点数稼ぎをして働いているのだ。
でも、Cさんはやっぱり点数稼ぎではなかった。
「安先生がいつも一般教養の話をしてくれるのを話していました」
「いえ。Cさんのような展望を持つ人は少ないです。
 しかも、とんでもない努力家でセンスが良くて余計ですが美貌の持ち主です」
「そんなに褒められたら、Cが舞い上がります」
「褒めてあげるべきです。日本人は、世界でも褒めて育てない国として有名です」
「そういう、ちょっと別のことを言ってくれるのが先生です。安先生が先生でいちばんです」

3人の生徒は、特別に目立たなかったり、特別に目立ったりする生徒だ。
それは、教員が快く思わないタイプの代表だ。
教員は、普通で真面目で、社交的で周りと同じような生徒が好みだ。
自分と同じ人種だからだ。
日本はそういう人種が、教員採用試験に合格するようにできている。
僕は正反対だが幸運で合格できた。

3人の生徒は、自分の「こころざし」や「努力」や「飛び抜けたセンス」を持っている。
だが、その能力が周りの生徒と違いすぎ、自分と周りの折り合いのつけ方がわからない。
まだ、たったの15歳だから当たり前だ。
普通で真面目な大人は、それを「変わり者」と言う。
僕も40年間「変わり者」と言われ続けた。
僕は、3人を2年間、人として高く認め続け、言葉で伝えた。
普通で真面目な大人と、3人の生徒のどちらが世界を変えるかは明らかだ。

3人とも、去年まで授業した生徒の保護者だった。
ひと部屋の監督だったお陰で、思わぬ出会いの幸運に恵まれた。
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頭髪四色中を立て直した話10

2023-09-11 18:31:43 | 生活指導
カテゴリー別目次
2023-09-11
頭髪四色中を立て直した話10
10月まで授業は整然と、生徒のやる気は満々だった。
ペースメーカーの数人がどんどん質問した。
3年生になって、進学が気になり始めたからだ。
それで十分だった。教員も皆目は上を向き、報酬のために働くのだ。
生徒も同じことだ。
行事は一つ一つ成功させた。
これは、気迫が勝ったとしか思えない。

でも、掃除だけは全くどうにもならなかった。
授業が終わり、掃除があり、帰りの会がある。
そういう時程だったから、掃除はとてもサボりにくい。

午後の授業が終わり、なぜか机と椅子を教室のうしろに下げることだけ彼らはした。
そのあと、教室には一瞬で誰もいなくなった。
始業式の4月から卒業式までそれは続いた。
どこに行ったのか、とうとうわからなかった。

それで、僕は、教室をほうきで掃き、はいつくばって床を雑巾でから拭きし、机を運んだ。
そして、教室のうしろ半分を、掃き拭き40脚弱の机を運び並べた。
それまで20年弱の経験ではだ。
誰か一人や二人は、僕を見るに見かねて、手伝い始めるものだった。
だが、この一年間は違った。
数人は途中で教室に戻り、僕が雑巾拭きをしているのを眺めていた。
「先生のパンツの色が透けて見える。アハハ」
と明るく女子が笑った。
だが、誰一人、机を運ぶのを手伝うこともなかった。

僕は、そうかアハハ、と笑いながら掃除を続けた。
4月始業式に「時間を守ること、話を聞くこと以外は決して怒らない」
と言った通り、何も言わずに一人で掃除し続けて、1年経った。
掃除が終わると、クラスの生徒は何もなかったように席についた。

1、2年のときもきっと、掃除は一度もしなかったのだろう。
または、1年の最初はやったのか。
いや、1年の最初に掃除指導ができなかったから、3年になってもやらないのだろう。
他の学年教員と、掃除についてどんな話をしたのか全然覚えていない。

掃除サボりが、他人にどんな迷惑をかけるかを話した覚えはある。
(一人で掃除して、それで授業が毎日平常なら楽なものだ)
そう思うしかなかった。
とにかく異常だった。
生徒の何かが大きく狂っていた。

1年入学直後の数日間が、3年間を決める典型的な見本だった。
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頭髪四色中を立て直した話9

2023-09-08 18:32:24 | 生活指導
カテゴリー別目次
2023-09-08
頭髪四色中を立て直した話9
9月末の体育祭から、合唱コンコンクールまで1か月弱の期間があった。
自然な準備期間だ。
授業を削らず、生徒の負担が重すぎない。
担任も十分な準備ができる。

半年前の異動の時に、
「この学年は全く歌わない。声を出さない。どうしていいかわからない」
と聞いた。
夏休み前の授業と行事を見て、何で歌だけ歌わないのか不思議だった。
だから【選曲】は片目をつぶって無理しなかった。
中3にはやさしめの曲を候補にして、クラスに聞かせて決めさせた。

練習中、クラスの生徒は全員、誰一人乱れなかった。
歩きまわらずフラフラせず、僕のアドバイスに集中した。
生徒の指揮者、伴奏者に集中した。
歌のセンスも声量も、どの中学校にも引けを取らなかった。
練習の1か月間、歌の質を上げること以外で苦労することは一つもなかった。

1年生、2年生のとき、全く声を出さなかったと学年職員が言ったのはどういうことだろう。
こんなに真面目で上手なら「大地讃頌」を歌わせるんだったと、しばしば思った。

練習の前に生徒に訊いた。
「パートリーダーって、いたの?」
「いなかった」
「……そう。パートリーダーいたほうがいい。
 絶対に、いたほうがいい。
 俺が言うんだから間違いない。信じる? 作る?」
クラスの多くはうなずいたが、なかったものを信じろと言っても難しい。
抜群の合唱指導をする知人に、そのくだりを話すと彼は言った。
「よくそこまで言えるよな」

僕は例年通りに、楽譜を研究して、コツを学んで、生徒に伝えて、練習中に部分を繰り返させた。
模造紙に歌詞を書いて、ブレスや曲想を書き込み、練習ごとに黒板にぶらさげて教えた。
ただ、残念ながら僕は合唱コンクールでクラスを優勝させたことはなかった。
歌をある程度上手にさせるのはできた。
でも、そんなことは誰でもできる。
勝つために、どうすればいいかは退職までとうとうわからなかった。

生徒は、初めてのパートリーダー中心に練習した。
ものすごくよく練習して、上達した。

3年生がたったの2クラスで、優勝も何もないが、勝ったのは隣の担任クラスだった。
とてもいい曲で、伴奏も指揮も歌も、すごく上手だった。
僕のクラスもうまかった。
うまかったから、生徒は悔しがった。
コンクールのあと、体育館から教室に戻るまで、クラスの生徒はたくさん文句を言った。

僕は20年間負けてばかりだったから、フォローの言葉は豊富だった。
行事で勝っても負けても、その直後の担任の話は、ものすごく重要だ。
だって、プロじゃないんだから。
担任と学年が何かを学習させるのが、義務教育の、中学3年生への仕事だからだ。

僕は、クラスの全員が着席するまで何も言わなかった。
静かに、全員を見渡して、ゆっくりとしゃべり始めた。
「体育館から教室まで、お前たちが言ったグチ、文句はすべて忘れてやる……。」
そのあとを忘れた。
当時の学級通信には書いたけど捨ててしまった。
我ながら、過去一番のいい話だった。
ある男子が、合唱コンの感想で、
「先生の話を聞いて、感動した。気持ちが変わった」
みたいなことを書いたのは覚えている。
要するに、勝ったクラスが喜んで、負けたクラスが落ち込んで、
その後の授業にも影響があって、負けたら失敗だったやらなきゃよかった、
と赤ちゃん並みのことしか考えられないなら、行事などやらないほうがいい。
職員のいくらかも、赤ちゃん並みの思考しかないことが多い。

コンクール直後に、二、三人のベテランが僕の席に来て、言ってくれた。
「比べようがなかった」
「レベルが高くて、音楽科以上のことは分からなかった」
過去、2年間全く声を出さなかったという学年に、他学年の腕利きがわざわざ言った。
前年度まで勤めた中学校はものすごく合唱のレベルが高かった。
だから、僕も隣のクラスも高レベルでないのはわかっていた。
しかし、成り立たなかった合唱コンクールが、かなりイケてるレベルで人の心を打った。
それは成功としか言えない。
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頭髪四色中を立て直した話8

2023-09-01 20:31:18 | 生活指導
カテゴリー別目次
2023-09-01
頭髪四色中を立て直した話8
全校で6クラスしかない中学校で体育祭ができるのだろうか。
しかも、3年の授業と生活はほぼ正常に戻ったが、2年は授業もHRもメチャクチャだった。

前任校は時間も労力も膨大に使った。
組体操の途中で男子の腕が骨折すると、体育科が何もなかったように、
折れたか救急車呼べ代わり入れ、
と言い練習を続ける職場だった。

今度は9月末日のために、それほどとは思わない時間で練習した、気がする。
細かいことは記憶も記録もない。覚えているのは、
1 応援合戦がある。
2 昼食をはさんで午後まである。
3 種目はそれなりにけっこうある。
4 学年縦割りで2カラーで行う。
ことくらいだ。
前年度の体育祭がまともだったわけはない。
誰にも訊けなかった。

僕は苦手な応援合戦指導をした。誰も他にいないからだ。
団員は3年中心に2年生を入れて、10人か12人だった。
前年通りの人数だったのだろう。
毎日教室で練習して、シンプルに見栄えがして、短時間で終わるようにした。
やわらかい、チアダンの初歩のような演出で、けっこうきれいにまとまった。
2学年主任の剛腕で僕と同い年の男性が、ひと工夫を生徒に教えてくれた。
カラー席の生徒も少し使い、一体感を出した。

組体操の練習時間、体育科が指導するのをとなりで見て、補助に入った。
この練習は結構好きでうまくいくので、さり気なくあちこちの男子の手直しをした。

生徒は、皆、いつもとてもがんばった。
だらだらしたり、途中で帰っちゃったり、文句を言ったりすることは一度もなかった。
体育科の指導は……。行事の指導は、授業と同じなのだ。
一時一事。短い指示。見本。反復。激励。コツを教える。それができるかどうか。
名高いかっこいい人だったが授業もこんなふうなんだろうな、と想像した。

体育祭当日は、今40年近く経っても覚えがないくらい寒い日だった。
生徒の中には「寒くて、体育祭のことは何も覚えていない」という女子もいた。
競技は、皆、全力だった。
生徒が少なすぎて、選手以外の応援席はガラガラだったが、席にいる生徒は思い切り応援した。
応援合戦は明暗が別れた。
僕のカラーは、始め中終わりがくっきりして鮮やかだった。
隣のカラーは、何をやっているのかわからないまま終わった。
たぶん、生徒の主体性を尊重、して作ったのだろう。崩れる学校のパターンだ。

体育祭の結果は、僕のカラーの勝ちだった。

たった2カラーで、勝ちも負けもどうでもいい。
去年、授業も、宿泊キャンプも、行事も、遅刻欠席も、メチャクチャだったのだ。
修学旅行の終わりに、行事の成功を職員が感激して喜び合った。
だから、
「体育祭が、正常に成り立った」
ことだけで、奇跡的な大成功だ。
しかも、形だけできたどころか、生徒全員が全力を尽くした行事だった。
僕はとても感激した。
職員の喜びと達成感は、そこにある。

だから、職員室に戻ると、隣クラスの女性担任と、大成功を喜び合おうと待ち構えていた。
でも彼女は言った。
「悔しい。負けた」
顔つきが本気だった。
修学旅行の成功を忘れたのだろうか。
それで僕は「素晴らしい大成功の行事でしたね」と言うこともできなかった。

問題は、生徒がどうだったか、今年度を乗り切れるか、来年度にどうつながるかなんだ。
がっかりした。
そんな意識だから荒れ果てたんじゃないかとさえ思った。
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