高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

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ベルサイユのばら 

2005-05-31 | Weblog
「ベルサイユのばら」を資生堂がスポンサーとなって映画化した。
公開は1979年となっている。
もともとは、池田理代子さん原作の漫画で、フランス革命を舞台に、男装のオスカルが主人公だ。これがまず宝塚で舞台化されて、大人気となった。
私はテレビマン・ユニオンが制作したベルばらのCM制作に参加した。
これ以前にディレクターの重延浩さんとはファッションとロックンロールがジョイントしたショーのお手伝いをしている。
山本寛斎さん、内田裕也さん、ジョー山中、秋川リサさん、山口小夜子さん
など顔ぶれは最高だった。
重延さんとは、仕事以外でも、お茶を飲みながらお話をすることがあった。多くは私が電話をしてテレビマン・ユニオンがある赤坂を訪ねた。たまには重延さんがレオンまで出てくることもあった。
私にはクリエイティブな刺激を与えてくれる何人かの大切なひとがいた。
マガジンハウスの椎根大和さん、伊丹十三さん、鋤田正義さん、そして重延さんなど。独りで仕事をしている私にはよい指針を与えてくれる人たちが大切だった。

重延さんとは刺激的な話ばかりではなく、日常生活のなかでの心のおき場所の話などもした。
家族に囲まれている時、お正月のように賑やかなときに、孤独とも 断言できない、微妙で、不可思議な心の動きがあることを話すと、
「そうなんだ、僕もまったく同じだよ。そいいうときは、困っちゃうよね」と、ふわっと温かい声で答えてくれる。
私たちは学校も違うし、普段の仕事の分野もちょっと違う。お茶を飲む機会だってそんなに多くはなかった。
でも、私からすれば、なんだかいつもなつかしい、同級生のような感じを抱いていた。


パリでは、ベルサイユ宮殿で撮影したような気がする。
今にしてみれば、30数年後、フィレンツエの由緒あるヴァザーリの回廊の撮影許可を10年がかりでとった重延さんの、一貫性のようなものを感じる。
撮影が終ると、みんなでパリの街に繰り出した。
ちょうど生牡蠣が食べられる季節で、私たちは大衆的な店でせっせと食べまくった。
重延さんは「大きいのより、このへんの、ほどほどのものがうまいよ」
と言い、中粒のものを選んでいた。
翌日、仕事がオフだったので、私はひとりモンマルトルを歩いた。
私の前方に、不自然な歩き方をしている日本人とおぼしき男性がいる。
よくみると、日頃よく仕事をしている博報堂の方だった。
「どうしたんですか?」と訊くと、
「いやー、昨夜生牡蠣を食べ過ぎて、当たっちゃったんですよ。でも、せっかくのパリだから、無理して歩いてるんです」
と言いつつお腹を押さえている。
私は胃と腸が強靭なスタッフの一員でよかった、と思った。

写真 (撮影者・不明) オスカル役のカトリオーナ・マッコール。左がディレクター時代の重延さん。