高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

ピンク・レデイー

2005-05-29 | Weblog
76年にデビューしたピンク・レディーに関しては、カメラマンの小暮徹さんから、撮影時のはなしを時々聞いていた。
「撮影時間は平均5分。3分といわれることもあるよ」
私たちは「えー、ウソでしょー」などと相づちを打っていたが、この話が本当なのはわかっていた。
小暮さん自身が超売れっ子カメラマンで、そのころ数年間撮影がオフの日は一日もなかったらしいし、過密な撮影スケジュールにアシスタントもクタクタで、必死で従っているように見えた。
世の中には一握りの超・超売れっ子がいる。この業界にも。
それに比べれば、私はどちらかといえば地味派だわ、と思った。

テレビのスタジオからスタジオへと駆け巡り、ステージ活動もしていたピンク・レディーは、雑誌の取材や写真撮影に加えてCMや広告の撮影も目白押しだったから、誇張ではなく、特別な時を生きていたことだろう。
彼女たちを撮影するために与えられた3分とか、5分という時間は貴重なものだったと思う。
私の経験でも、アイドルのCM撮影で、一日かかることが普通なのを2時間と時間を決められたりする。スタッフはものぐごく緻密に撮影プランを練り、時間内に最大限に魅力的になリうる画面作りに励む。
それでも短い撮影時間には、あと30分、せめてあと10分あったらという悔いが残ったりするものだ。

ある日、ピンク・レディーの撮影が舞い込んだ。
デビューから4年たっているので、今までとは違うピンク・レディーを、ということだった。
撮影は鋤田正義さん、ヘア・メイクは渡辺サブローさんだ。
撮影時間も特に定められず、その日、一日中使っていいとの事だった。
私はいままでのピンク・レディーのグラビア・ページを全てカラーコピーした。それを一枚の大きな紙にして裁断し、紙の服を作った。(現在だったら、それをさらにインクジェットという方法で簡単に布に転写したと思うが)
今までのアイドルであるピンク・レディーだらけの紙の服を、新しいピンク・レディーが着る、というアイデアの服を、自分ではかなり気に入っていた。
そのほかにも、5、6点衣装を用意した。

スタジオに入ってきたふたりは私達の予想とは明らかに違っていた。
ケイちゃんには、撮影そのものに拒否反応があった。
誰かがピンク・レディーの、再生策を練っている。もうそのレールに乗りたくない、という様子が見て取れた。
ミーちゃんは、チャンスがあるなら、どんなことでもやってみたい、という感じだった。

それは、4年間スーパーアイドルとして同じ道を歩みながら、それぞれが見出した未来への志向だったろう。その両極の志向は、両方とも正しい。

ケイちゃんがサブローさんのメイクを承知するまでに午前中いっぱいかかった。ケイちゃんは「なるべくナチュラルなメイクに」と注文してメイクが始まった。
衣装は一点だけ、ミーちゃんがブルー、ケイちゃんがグリーンのサテンのパンツスーツということになった。
鋤田さんがカメラマンで、私がスタイリストということは、多分スタッフの気持の中には、イギリスのグラム・ロックのアーテイストをやっているのだから、その方向で、、、みたいなこともあったと思う。
それは、この場ではちょっと無理なことだった。
ふたりの撮影が終ってから、ミーちゃんが、せっかくだからつくった衣装を着てみたいといい、いつくかを撮影した。ポラロイドで残っているこの写真が紙でつくった服だ。

ピンク・レディーが解散して25年。期限付きで再結成した様子をテレビで見たときは、びっくりした。ふたりとも、時を突き抜けて、明るく輝いている。
踊っている彼女たちの筋肉のみごとさ。歌も格段とうまくなっている。
2年間のあいだに一度はステージを観てみよう、と思った。
だが、気がついたら、もうファイナル・コンサートだ。
コンサートの数日前から、私はジタバタし始めた。
チケットはもう売り切れだったけど、芝居やコンサートは、当日必ずキャンセルが出る。並んで買うか、関係者に頼むか。
当日のお昼ごろ、メイクをしている友人から電話が入った。
「たった今、2枚キャンセルが出たそうよ」
そのうちの一枚を買って、私はその晩会場にいた。

会場にはピカピカの衣装をきた女の子や、新宿2丁目界隈の女の子じゃない女の子などで溢れていた。母親とおそろいのピカピカ服の子供も、スーツ姿のオジサン達もいた。歌って、踊っている時は完璧にピンク・レディーの彼女たちも、その合間のMCでは息を切らせ、47歳であることを隠さなかった。
もうこれが最後だ、と言っていたけれど、60代の私に言わせれば、50代もコワクないよ。5年後は当然、10年後だって、OKですよ。
でも、もちろんピンク・レディーとしてはこれが最後っていうのがいいんでしょうけど。

家に帰ってパンフレットを眺めた。シングルのレコードのジャケット写真の中に、25年前に撮ったグリーンとブルーのサテンの衣装のものを見つけた。「うたかた」というシングル版だ。(肩パットが大きくて、服があの頃のボリューム感なので、今みると恥ずかしいけど)あの時、B全のポスターを20枚ぐらいもらって、それはまだ、物置のどこかに眠っているはずだ、ということも思い出した。70年代と2005年が一気につながる日々だけど、今日もそうだった。

写真 (撮影・鋤田正義)