本日は西区民センター→HOKUBU→法邑→レタラ→エッセの5か所。思ったほど行けなかった。
■HOKUBU記念絵画館「人間を知り、自分を知る」。今回はあまり説明書きもなく、ちょっとわかりにくいところがあった。
坂本朝「(無題)」:紙粘土で作った人形を自然の中において撮影した写真作品。人形ではあるものの、ある種の特徴をとらえて「きっとこういう人なんだろうな」と思わせるところが面白い(写真に写りこんだ青い光は窓のステンドグラスである)。

坂本朝「(無題)」:これは水族館の水槽を眺めるサボリーマンか。

撮影された人形がケースに展示されていたが、なるほど、思ったより小さいものなのだね。

キム・ソヒ「Bus」:缶詰の四角い缶をバスに見立てて、動物と人間が混在している。スマホを眺めている人がいるが、やはり韓国でも乗り物の中では皆スマホを見ているのか。

キム・ソヒ「Platform」:袖の先にカバンがついているものがあるせいか、何となく駅のプラットホームで交錯する人々を見ているような気がする。また、服を見れば人が分かるというような意味合いもあるのかもしれない。

重野克明「星雲球」:星雲が合体して球を形作るという、高次空間理論に基づいた版画なのかも。

吉川聡子「巡る時の中で」:遠くから見て「誰の作品だ?」と思っていたら、吉川聡子の作品であった。これは初めて見るのだと思う。サイズは120号×4枚かな。吉川さん(←面識ないが)もどこかこの階段の高いところを元気よく歩いているのかもしれないと思うと、ちょっとしんみりしてきた。

入口すぐのところにあった、作家名・作品名不詳の絵画。描かれているのは貝だろうか、マドレーヌだろうか。色合いがなかなか良いので、撮影しておいた(ちょっと光が当たってしまい白っぽくなっているが)。

いつもの通り、コーヒーとお菓子を頂くことにしよう。


■茶廊法邑「綾子のすべて展」。さとう綾子の展覧会だが、子供のころの作品(学校の授業で描いたものだろう)から、若い時の自画像、そして子供が生まれ、今に至るまでをすべてさらけ出した、まさに「すべて」展である。
地下鉄の環状通東駅に戻る時に、小学校の前で発見。彫刻というものでもないだろうが、モニュメントとでもいうものか。

■ギャラリーレタラ「十勝ゆかりのアーティスト12人」。サブタイトルに「トンネルのあっちとこっち」とついているが、札幌と帯広は遠いような近いような場所である。特急で移動するとそこまで時間はかからないが、何となく独自の土地という感じがある。
古山一彦「猫たち」:描かれた猫たちがそれぞれ一言もの申しているのだが「きびだんごにつられてしんりゃくにいくようなおばかにはなりたくないね」だそうだ。まあ、盲目的に某国に従い、戦争発生の確率を上げている人間たちに聞かせるべき言葉だな。
赤間裕史「源氏物語の世界より まぼろし」:「幻」という字の篆書体を描くとともに、その形のままに立体作品もつくってしまったという面白いもの。書の一つの方向性としてあり得るな。
レタラは円山公園駅で降りて行き、西28丁目駅から街中に戻る。その途中にあった看板を撮影。

この辺りの建物は新しい店に入れ替わったり、少しづつ変化しているようだ。この後、さっぽろ駅に向かい、書店へ。
そういえば西28丁目駅で東洋系の人に英語で「札幌市中央卸売市場はどうやって行くのか」と聞かれたのだが、あれはとても説明しづらい。街中からみると街路の角度が変わっている所だし、二十四軒駅から近いとも言いづらいし、困ったものである。しょうがなく「二十四軒駅の方向ではある」ということを教えたのだが、自信なさげだったせいか、あまり信用されなかったようだ。ホント、こればっかりはどうしようも無いよ(金があるなら、タクシーに乗ってください)。
■HOKUBU記念絵画館「人間を知り、自分を知る」。今回はあまり説明書きもなく、ちょっとわかりにくいところがあった。
坂本朝「(無題)」:紙粘土で作った人形を自然の中において撮影した写真作品。人形ではあるものの、ある種の特徴をとらえて「きっとこういう人なんだろうな」と思わせるところが面白い(写真に写りこんだ青い光は窓のステンドグラスである)。

坂本朝「(無題)」:これは水族館の水槽を眺めるサボリーマンか。

撮影された人形がケースに展示されていたが、なるほど、思ったより小さいものなのだね。

キム・ソヒ「Bus」:缶詰の四角い缶をバスに見立てて、動物と人間が混在している。スマホを眺めている人がいるが、やはり韓国でも乗り物の中では皆スマホを見ているのか。

キム・ソヒ「Platform」:袖の先にカバンがついているものがあるせいか、何となく駅のプラットホームで交錯する人々を見ているような気がする。また、服を見れば人が分かるというような意味合いもあるのかもしれない。

重野克明「星雲球」:星雲が合体して球を形作るという、高次空間理論に基づいた版画なのかも。

吉川聡子「巡る時の中で」:遠くから見て「誰の作品だ?」と思っていたら、吉川聡子の作品であった。これは初めて見るのだと思う。サイズは120号×4枚かな。吉川さん(←面識ないが)もどこかこの階段の高いところを元気よく歩いているのかもしれないと思うと、ちょっとしんみりしてきた。

入口すぐのところにあった、作家名・作品名不詳の絵画。描かれているのは貝だろうか、マドレーヌだろうか。色合いがなかなか良いので、撮影しておいた(ちょっと光が当たってしまい白っぽくなっているが)。

いつもの通り、コーヒーとお菓子を頂くことにしよう。


■茶廊法邑「綾子のすべて展」。さとう綾子の展覧会だが、子供のころの作品(学校の授業で描いたものだろう)から、若い時の自画像、そして子供が生まれ、今に至るまでをすべてさらけ出した、まさに「すべて」展である。
地下鉄の環状通東駅に戻る時に、小学校の前で発見。彫刻というものでもないだろうが、モニュメントとでもいうものか。

■ギャラリーレタラ「十勝ゆかりのアーティスト12人」。サブタイトルに「トンネルのあっちとこっち」とついているが、札幌と帯広は遠いような近いような場所である。特急で移動するとそこまで時間はかからないが、何となく独自の土地という感じがある。
古山一彦「猫たち」:描かれた猫たちがそれぞれ一言もの申しているのだが「きびだんごにつられてしんりゃくにいくようなおばかにはなりたくないね」だそうだ。まあ、盲目的に某国に従い、戦争発生の確率を上げている人間たちに聞かせるべき言葉だな。
赤間裕史「源氏物語の世界より まぼろし」:「幻」という字の篆書体を描くとともに、その形のままに立体作品もつくってしまったという面白いもの。書の一つの方向性としてあり得るな。
レタラは円山公園駅で降りて行き、西28丁目駅から街中に戻る。その途中にあった看板を撮影。

この辺りの建物は新しい店に入れ替わったり、少しづつ変化しているようだ。この後、さっぽろ駅に向かい、書店へ。
そういえば西28丁目駅で東洋系の人に英語で「札幌市中央卸売市場はどうやって行くのか」と聞かれたのだが、あれはとても説明しづらい。街中からみると街路の角度が変わっている所だし、二十四軒駅から近いとも言いづらいし、困ったものである。しょうがなく「二十四軒駅の方向ではある」ということを教えたのだが、自信なさげだったせいか、あまり信用されなかったようだ。ホント、こればっかりはどうしようも無いよ(金があるなら、タクシーに乗ってください)。
情報提供ありがとうございました。
あれだけの作品ですから発表済みですよね。
私はなかなかモエレ沼まで行かないので、見ていませんでした。
雄大でかつ清らかなところのある、良い作品でした。