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「ブログ人」終了なので引っ越してきました。

あの日から1年

2012-03-11 | 東北地方太平洋沖地震

今日3月11日は、東日本大震災と福島第一原子力発電所事故をもたらした東北地方太平洋沖地震の発生から1年。自分も地震発生時間の14時46分に黙祷を捧げてきました。

震災で被害を受けた人や地域のことはもちろん、こちらでもいずれ起こるといわれている直下型地震に備えるのも忘れてはいけないと改めて強く思った1日でした。

色々と思うことはあるのだけど、上手く文章にまとめることができないです…。


思い出の場所が…

2011-04-21 | 東北地方太平洋沖地震

そういえば…と思い出して、昔作っていたホームページから、在りし日の松川浦の写真を引っ張り出してみました。大昔に写真をスキャナーで取り込んだやつなので、小さくて見づらいですが。

Soma2 まず、これは松川浦を通り抜ける道路。向かって右側が太平洋で、反対側には松川浦が広がり、ドライブしていて楽しい道でした。太平洋側の砂浜で何度も黄昏れたり、大学時代は友達や先輩と連れだって星空を見に行ったこともありました。

Soma4 これは松川浦大橋を渡ってからすぐにくぐるトンネルの上にある鵜の尾埼灯台。この鵜の尾岬の沖合で海洋調査船が遭難したとかで慰霊碑が建立されていたのを覚えています。

学生時代には何度か相馬や猪苗代、ぶっちゃけR115沿いをずいぶんと走り回ったのですが、相馬の方に最後に行ったのは2007年7月。リンク先には松川浦大橋と東京電力福島第一原子力発電所の写真がありますが、あのときは前日に利府町にある新幹線総合車両センターの車両基地まつりを冷やかしつつ、仙台と福島に住む大学時代の知り合いたちと仙台市内で飲んだ翌日、名取川上流の秋保大滝を見てから仙台南部道路や東部道路を通って福島県浜通りに抜けて、松川浦や第一原発のPRセンターに寄りながら帰宅したのでした。
本当は亘理ICからR6で相馬や双葉郡のほうに向かう予定が、ナビが海沿いを行く県道を指定したため、ちょっとした漁村集落やら太平洋やらを眺めつつ南下することになったのですが仙台東部道路から海側の地域、松川浦周辺が津波で流されたのをニュースや個人の方のブログで見たり、そのほかの沿岸地域もおそらく流されてしまっているだろうと推測したり。
#ちなみに、松川浦近辺の衛星写真がナショナルジオグラフィックに載っていました。

福島や仙台に住む友人知人たちの見舞いをしに、いずれ東北に行きたいと思っていますが、放射性物質よりもむしろ一時より減ったものの未だに続く強めの余震等のほうが気になって行くタイミングを決めかねているところです。帰れなくなって迷惑かけるわけにもいかないので。
ただ、最近津波の被害を受けた場所を見物する野次馬のことも騒がれていますが、自分とすれば「不謹慎だから行かない」じゃなくて「思い出の場所が失われたという現実を見るのが怖くて行けない」という気持ちの方が強いです。


震災から1月

2011-04-11 | 東北地方太平洋沖地震

早いもので、東日本大震災発生から今日で1月。
地震発生時間に合わせての黙祷はクルマ運転中だったのでできませんでした

3月11日のことは先に書いたとおりですが、あれから計画停電は事実上終了して日常生活を取り戻しつつあるものの、原発は一進一退、余震も再び活発になって先日は宮城で、今日も福島県浜通りでマグニチュード7クラスの大きな余震が発生したりしてまだまだ落ち着く日は遠いようです。

宮城の余震のときは自宅にいたけど、今日の余震のときは出先で遭遇しました。ぶっちゃけイオンなのですが。
カレストで洗車ののち市街地に寄り道し、銀行や散髪などをして、マーチを駐車したイオンに着いたとき誰かがケータイのエリアメール受信したと会話が聞こえてきてすぐにシャッターががたがたと激しく揺れましたが、立っていられないほどの揺れではなく特にパニックも起こることもなく防災アナウンスで「ただいま安全点検中です。エレベーターやエスカレーターは使用しないでください」という放送が入った程度で、こちらもすぐに点検終了。異常なかったようです

地震も落ち着いてきたから、桜のシーズンだしぼちぼち花見と気分転換兼ねてドライブでもしたいなあと思っていたのですが、まだまだ遠出は無理っぽいです。
最近は電車やクルマでも、大規模な余震で電車が止まったりクルマを放棄せざるを得なくなった場合に備えて、徒歩で数時間以内(通常時)に帰宅できる範囲内しか出かけてません。もちろん江戸川を渡って東京都内にも震災以来出かけてないです。

この状態がいったいいつまで続くのか…。