一法学生の記録

2014年4月に慶應大学通信部に進んだ法学生の記録である
(更新)2017年4月に神戸大学法科大学院へ進学しました。

制限行為能力について

2015-11-08 18:50:09 | 民法総論
制限行為能力について

 制限行為能力者は、主に、次の三つ(乃至四つ)である。

1.未成年者
2.成年被後見人
3.被保佐人
4.被補助人

 未成年者とは、生まれてから満二十年に達しない者をいう。未成年者の権利を取得し義務を負担する能力は、法定代理人の代理権及び同意権によって、制限を受けることになる。成年被後見人とは、改正前の民法では禁治産者と呼ばれていた。成年被後見人の法律行為は、原則として成年後見人制度の下で、その保護者には専ら代理権が与えられる。そして、被保佐人とは、すなわち旧、準禁治産者であり、保護者には同意権が与えられる。

 成年被後見人は、〔民七〕「精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にあるもの」、被保佐人は、〔民十一〕「精神上の障害により事理を弁識する能力が著しく不十分であるもの」と規定されており、いずれも家庭裁判所で認められる必要がある。

 制限行為能力者の行為は、行為ときに意思能力がなかったことが証明されれば、その行為は取消することができるが、成年被後見人及び被保佐人の場合には、行為のときの意思能力の有無にかかわらず、制限行為能力者であるという理由から直ちに、その行為を取消しすることができる(被補助人については、分らない)。

 次に、これら制限行為能力は原則として民法の財産関係において適用される規定であり、身分関係においても同一に適用される訳ではない。たとえば、未成年者による氏の変更、成年被後見人の結婚・離婚などは、制限行為能力者が単独で為しうるものである。なぜなら、身分上の行為は財産上の行為よりも、本人の意思を尊重すべきものであると、考えられるからである(財産関係の行為は公共性が高いということも言えるのであろうか)。

 最後に、著者の見解として、現代社会は個人本位の法思想から、社会本位の法思想に移りつつある。たとえば経済的活動は、より広汎で、一斉に、形式的な反復によって、為されるようになってきている。この様な手法によって、同時進行的に大量の契約が結ばれるようなビジネスでは、そのうちの一人の意思能力が欠けているからと言って、その経済活動自体を取消しすれば膨大な損失が生じるから、取引の安全のために、その一個人の意思は無視しなければならないかという、問題である。言い換えれば、社会全体の利益のために、個人の意思は後退せざるを得ないという趣旨である。

 以上

行為能力について

2015-11-08 17:57:31 | 民法総論
行為能力について


 行為能力の前提として、意思能力を説明しなければならない。

 意思能力とは、物事に対する正常な判断を行うことができる精神的能力であり、認知力や予期力が含まれるものである。民法は、あらゆる物事は個人の意思を基本として規律すべきであるという、法思想に立脚している。このため、本人の意思能力が不十分であり、瑕疵のある意思によってなされたと認められる不法行為は、その責を負わないこと。また、瑕疵のある意思に基づいた法律行為についても、当然無効であるということが、言える。

 しかしながら、ある者が不法行為を行ったときに、その者の意思能力がその不法行為を行った場面において、欠けていたと証明することは、容易ではない。もっとも、みずから証明することはより困難であろう。このため、民法では、予め、意思能力に制限があるものを、無能力(制限行為能力者)とみなして、一律に区別を設けることによって、該当の者が行った行為に、法的な効果が生じないように、制限を設けている。これが、制限行為能力者制度である。

 従って、行為能力者とは、上記の制限行為能力者制度で、制限行為能力者と区別されていない人が、これに当たる。

 以上

権利能力について

2015-11-01 18:23:05 | 民法総論
権利能力について


 今日は、権利能力を勉強した。

 権利能力とは、一言でいうならば、権利や義務を取得することのできる主体としての地位または資格である。私法関係においては、私人と私人の間の権利義務の関係を規定するのが民法であるから、その構成分子として権利と義務を取得できる主体としての地位を有するものであり、日本民法では、自然人と法人が、これに当たる。

 権利能力に対して、行為能力があるが、私の理解では、権利能力を有するものが、その権利や義務を実際に行使しうる能力のことである。

 まず問題となるのは、自然人において権利能力が生じる始期と、権利能力が喪失する終期についてである。民法は、始期については、人が生まれたときを始期とし、人が死亡したときが終期と定めているが、ここにはいくつかの約束事がある。

 まず、人が生まれたときであるから、胎児は含まない。また、民法上の権利能力が生じるのは、生きて生まれてくる子が全部露出したときであり、一部露出をとる刑法の立場とは異なっている(当然の理由があるがここでは省く)。

 だが、胎児が含まないとすると、胎児には権利能力がないから、生まれてくる直前(あるいはその前)に父が死亡した場合に、その子の相続権は生じないことになる。また、生まれてくる前に、父が他人に殺された場合にも、その子に損害賠償請求の権利は生じないという、人情に背く結果をもたらす。

 このため、胎児について民法では相続・損害賠償請求・遺贈の項目について、すでに生まれたものとみなすと、例外の規定を設けている。だが、すでに生まれたものとみなされた胎児にたいする法律的性質については、生きて生まれたときに事件(父の死亡など)が起こった時まで遡及効が及ぶとする説と、死んで生まれてきたときに事件が起こった時まで、遡及効が消滅するという説が紹介されているが、この点については教科書が旧すぎる。

 自然人の、権利能力の始期で述べた以上に、終期が定まらないことはもっとよくある。

 例えば、家族が災害や遭難などの同一の危殆に巻きこまれたとき、あるいは、一方が海外で亡くなり、一方が国内で亡くなった場合など、どちらが先に亡くなったかどうかを判定するのが容易ではない。しかも、医師の診断書に記載する「死亡年月日時分及び場所」に記載する時間には、多少なりとも、医師の推測が加わることになる。

 このことは、相続の場合を想定したとき、不都合が生じる。たとえば、父子が同一の危難によって死亡し、どちらが先に亡くなったか判定できない場合が典型である。かりに、父親が先に亡くなった場合には、相続権はいったん妻と子に発生し、そのあとに子の相続権が(母としての)妻に移ることになる;子が先に亡くなった場合には、この時点で父は生存しているのであるから、相続権の子への発生はなく、相続権は直接父の母と妻に生じることになる。

 このような不備を是正するため、〔民三二の二〕では、「同時死亡の推定」が規定されている。

 だが、「同時死亡の推定」を定めたことにより、別の不都合が生じる。上の例になぞらえて、言えば、同時死亡の推定により、同時に亡くなった子に相続権が発生しないことが明らかにされたが、その子に子がいるばあい、すなわち孫については、相続権が発生するかといいう問題と、生前に父が子に遺贈をしている場合には、いかに対処するかという問題である。

 二点については、「同時死亡の推定」を定めたとき、関連する条文が同時に改訂されている。すなわち、前者については、被相続人の子が相続の開始以前(同時を含む)に死亡した場合には、「その子が相続するものとする」と代襲を認めている;後者につては、同時に死亡したときには、遺贈の効力を生じないという旨を明らかにした。


 以上