前・日本野球連盟(社会人野球)会長、国際野球連盟副会長で、オリンピックでの野球競技採用やプロ・アマ問題の解決、野球の国際化に尽力し、1997年には殿堂入りも果たしている山本英一郎さんの訃報が伝わった。享年87歳。
台北一中で甲子園、慶応義塾大で神宮、鐘紡では都市対抗とアマチュア球界のひのき舞台で活躍したあとも、審判員やアマチュア野球団体役員として活躍し、社会人野球のリーダーになると、84年には選手団長を務めたロサンゼルス五輪での野球公開競技で日本チームが金メダルを獲得。2000年のシドニー五輪、2004年のアテネ五輪でのプロ選手参加にも尽力し、また長い間断絶状態だったプロ・アマ関係の修復にも尽力した。去る3月のWBCにおける日本の優勝も、そのルーツをたどれば山本さんの存在と貢献があったればこその偉業だったのだが、残念なことに「世界一報道」に浮かれていたメディアで、この山本さんの功績にわずかでも触れた新聞やテレビは私の知る限り皆無だった。
97年に野球殿堂入りを果たされているが、そのあとの業績もたいへん大きいものなので、野球体育博物館にはぜひ、山本さんのレリーフの下に、そのことを記した説明文を飾ってほしいと希望したい。
それにしても去年の暮れから、野球界にはこうした悲しいニュースが多すぎる。だが、キューバ野球界との交流にも心血を注ぎ、リナレスやキンデランの来日にも道を開いた山本さんだっただけに、日本がキューバと対決して勝ち取ったWBCでの優勝は、何よりの手向けになったことだろう。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
以前はプロ野球選手の(またはだった)父が高校で野球をやっている息子を堂々とおしえられないともきいていましたが。
サッカーでは日本代表チームが合宿で地元の高校生と練習試合をしたり、天皇杯の予選でJのチームと高校が対戦したりするんですが。