
(先輩サンディー・コーファックス=右=以来の「黄金のサウスポー」の期待がかかるクレイトン・カーショウ。なんとなくルーク・スカイウォーカーとオビ・ワン・ケノービがオーヴァーラップするのだが=笑)
人間、誰しも「見果てぬ夢」を胸に抱いているものだと思う。一人のベースボール・フリークとして私が抱いている夢は、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ、沢村栄治、サッチェル・ペイジの現役時代を、球場で、とは言わないまでも、せめてライブ映像で目の当たりにしたかったということである(現・高野連会長の脇村春夫さんは、米国支社勤務だった御父上とともにNYに在住していた少年時代、ヤンキースタジアムで生のゲーリッグとジョー・ディマジオを見る機会に恵まれたという)。
特に、1960年代のドジャース、というよりもメジャーリーグを代表する左腕投手だったサンディー・コーファックスは、私にとって、その伝記を読んだり、残されている現役時代の映像を見たりするたびに、「一度でいいからドジャースタジアムで生のコーファックスを見たかったなあ」と、いつも思わずにはいられない存在である。160kmを超えたといわれる快速球、落差の大きいカーブ、そして低目ギリギリにもぐりこむチェンジアップ──この三つの球種だけで、コーファックスは1961年から66年まで、メジャーリーグ最強の本格派サウスポーとして君臨し、同じナショナル・リーグではウィリー・メイズ、ハンク・アーロン、フランク・ロビンソン、アーニー・バンクス、ウィリー・マッコヴィー、ワールドシリーズでもミッキー・マントル、ロジャー・マリスの「MM砲」やハーモン・キルブルーら歴史的強打者たちの前に立ちはだかった。そして、ドジャースを何度も勝利に導き、完全試合を含む4度のノーヒットノーランを演じ、30歳でユニフォームを脱いだあと(その最後のシーズンも自己最多の27勝をマークしていた)、史上最年少の36歳で殿堂入りを果たしている。
それから40年の間、何度もコーファックスとオーヴァーラップする本格派サウスポーがいろいろなチームに出現した。ランディー・ジョンソンはほとんどの記録において、コーファックスを遙かにしのぐ数字を残している。だが、ビッグユニットも、ヨハン・サンタナも、コール・ハメルズも、スコット・カズミアーも、コーファックスほどの「伝説的存在」に、私の目には映っていないのである。確かに60年代とはベースボールの質が大きく変わっている。とてつもなく速い球や二階から落ちるようなカーヴボールを持っていても、球種の少なさはデータ全盛のこの時代、相手打線にたちまち丸裸にされかねない。だが、たとえ三つの球種しかなくても、そのいずれもが超一球品で、それをフルに生かす頭脳と投球術、それに幸運に恵まれていたら、「コーファックスの伝説」は再現されるのではないか?
その見果てぬ夢を実現してくれそうな超有望株が、ドジャースに出現した。クレイトン・カーショウ。コーファックスと同じサウスポーで、2006年のドラフト1巡目指名。つい先日、20歳になったばかりの若者である。
すでにドジャースは今年の春季キャンプで、コーファックス本人にカーショウの特別コーチを依頼。時速150km台後半をコンスタントに記録する速球、190cmの長身から投げ下ろすカーヴ、そしてチェンジアップと、全盛期のコーファックスを思わせる一級の球種は、いま、この瞬間も、成長の真っ只中にある。
そのカーショウのメジャー2戦目、日本でのテレビ中継「デビュー戦」を、私は今日のスカパー!MLBライブで、Aki猪瀬さんと担当する幸運に恵まれた。投球内容は、決してホームランバッターとはいえないメッツの二塁手ルイス・カスティーヨに2ランホーマーを浴びたり、大都市NYでの初登板でやはり緊張したせいか四球を連発したりと、その才能をいかんなく発揮したというわけにはいかなかったものの、90マイル台後半をコンスタントに計時するストレートといい、高めの速球と同じスピードとコースから鋭く曲がり落ちるカーヴボールといい、1球投げるごとに思わず「スゴイ!」を連発するほどだった。不振とはいえ、メジャーを代表する左の強打者カルロス・デルガドを自慢のカーヴボールで再三のけぞらせたシーンは、18歳でデビューした1966年に、打撃の職人といわれた山内一弘選手を同じようにカーヴでのけ反らせた堀内恒夫投手(読売ジャイアンツ/今季野球殿堂入り)をも彷彿とさせた。昨日の試合で2本塁打を放つなど、ドジャース戦にはめっぽう強いメッツの若き主砲デイヴィッド・ライトを初回にわずか4球で三振に討ち取った場面も圧巻だった。
シェイスタジアムで先発登板した投手としては、1984年のドワイト・グッデン(当時19歳)に次ぐ若さだったが、未熟さがまだ目立つとはいえ、その投球から受けた衝撃度は、確かにグッデンクラスだったと思う。
残念ながら味方打線の再三の援護をいかせず、メジャー初勝利こそならなかったが、それでも4連敗中だったドジャースは8回に見事な連打を見せてビッグイニングを作り、勝率5割に復帰した。このあたりも、ジョー・トーリ監督がヤンキースの指揮官になった96年に新人王に輝いたデレク・ジーターのように、チームに運をもたらす大物ルーキーの雰囲気を漂わせている。
ドジャースのチームメイトはデビュー戦となった先日のカージナルス戦で早くもそれを感じ取ったようで、初登板では「54」だったカーショウの背番号が、今日は「22」に変わっていた。これはこの番号をつけていた代打男のマーク・スウィーニーが、カーショウがかつてジャイアンツの主砲として活躍したウィル・クラークのファンだったことを耳にすると、「これからのドジャースを背負う若者に一日でも長く背負ってもらいたい」と、自ら進んで譲ったものだという。トレードやマイナーとの入れ替えなど、シーズン中でも選手の移動が激しいメジャーでは、背番号がシーズン途中で変わることも珍しいことではなく、たとえばメジャー最多盗塁記録保持者のリッキー・ヘンダーソンは、シーズン途中でヤンキースからアスレチックス、あるいはアスレチックスからブルージェイズに移籍した際、愛着のあった背番号「24」を、それまで着けていた選手にお金を払ったり高級腕時計などの贈り物などをして譲ってもらったというエピソードがあるが、今回のスウィーニーのような心温まる話は実に珍しい。
また先輩投手のデレック・ロウは、カーショウがかつてマリナーズ傘下のマイナー時代同僚だったAロッドことアレックス・ロドリゲスに共通する大物の雰囲気を漂わせていると証言している。
この若者がこれからどのような野球人生を歩んでいくかは、「神のみぞ知る」ことである。しかし、願わくばコーファックスを超える伝説を、ベースボールの歴史に残していってほしいと願ったのは、おそらくAkiさんや私だけではないはずだ。
かつて、「最後の4割打者」テッド・ウィリアムズは、シンシナティ・レッズの新人捕手ジョニー・ベンチをオープン戦で見て、試合後にベンチに求められたサインボールに「将来の殿堂入り捕手へ」と添え書きし、その予言が見事当たったという逸話を残しているが、もしウィリアムズが生きていれば、ベンチを見たときと同じ感想を抱いたのではないだろうか。カーショウの前途に栄光あれ!
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20歳でメジャーに上がってきたくらいですから、そうとうの強運と才能の持ち主であることは間違いありません。それに加えて「投げるところを見に行こう、応援してやろう」とファンに思わせる愛嬌というか「かわいげ」があれば、いっそう魅力ある選手になるはず。楽しみに見ていきましょう。
「エラゴン」は「指輪物語」の世界に「スターウォーズ」を移植した作品でした。(特に前半は大人だったら単なる「スターウォーズ」のパクリと言われかねなかった) ただし、物語の後半にかなり光るものがありました。しかし、彼はその後、「エルデスト」で20勝をあげるわけです。(これは凄い作品だった)
彼はこの夏にでる第三作で歴史に名を残す大投手になれるのか、ワンシーズンだけ20勝をあげた投手で終わるのか分かります。
この夏、二人の若者の成長が気がかりで、しかも待ち遠しいです。