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王貞治が打てば、スタンドの視線はその打球に釘付けだった

2006年04月30日 | Baseball/MLB

(世界の野球史でもっとも多くの観客の前でもっとも多くの本塁打を披露したのが王貞治である)

先日、ある会食の席で、大変難しい質問をされてしまった。
「いままでメジャーリーグ見てきて、もっともすごいと思った選手は?」
たとえば、私がベーブ・ルースやウィリー・メイズの現役時代を知っていれば、それほど言葉に詰まることがなかっただろう。この二人はメジャーの歴史において、記録・記憶の両方で群を抜いた存在感を保っているからだ。しかし、ルースは私が生まれる10年も前に亡くなっており、また本格的にメジャーを見始める前に、メイズもユニフォームを脱いでいたから、実際のプレーぶりは知りようがなかった。ジョー・ディマジオやテッド・ウィリアムズ、ミッキー・マントルも同様だ。

では、実際にこの目で見てきた選手はどうかと言えば、これは逆に多すぎて選ぶのが難しい。カル・リプケンjr.(オリオールズ)はそのデビューから引退までほぼ見続けた選手であり、彼の通算400号本塁打もこの目で目撃しているほどだ。もし、私がアマチュア野球の指導者になれたら、ぜひ育ててみたいのが彼のような大型ショートストップでもある。人格も素晴らしく、ベスト・プレーヤーにふさわしい人物ではあるが、彼の背中を見て育ったデレク・ジーターアレックス・ロドリゲスも、30歳を超えたばかりですでにリプケンに比肩する偉大なプレーヤーになりつつある。
そのリプケンと、1986年秋の日米野球で、「ただ1回」の超大型二遊間コンビを組んだライン・サンドバーグ(カブス)は、私にとっての「最高の二塁手」である。188cmの長身ながら動きは俊敏そのもので、セカンドベースマンが見せるディフェンスの理想像は現在も彼である。打撃も1990年に二塁手として史上二人目の本塁打王(しかも、主に二番を打ってのタイトルである)に輝くなど超一流で、そんな選手を見てきたからこそ、ロビンソン・カノウ(ヤンキース)のような軽率極まりな守備を「毎試合のように」見せる選手がトニー・ラゼリやビリー・マーティン、ボビー・リチャードソン、ウィリー・ランドルフの守ってきたヤンキースのセカンドを守っていることが私は許せないのである。

さて、では日本のプロ野球における私にとってのベストプレーヤーは誰か? これはすぐに答えが出る。「王貞治」である。

現在でも多くの野球ファンは、記録は他の選手に抜かれても、なお長嶋茂雄を日本プロ野球史上最高のプレーヤーとして挙げるだろう。それに異論を唱えるつもりはない。まだレベルが高くなかった日本のプロ野球界に、攻・守・走すべてにおいてメジャー級だった長嶋が出現し、君臨したからこそ、プロ野球は日本におけるナンバーワンスポーツの座を獲得したのである。長嶋を過小評価する人間に対しては、1968年の秋にカージナルスの監督として来日した殿堂入り野球人のレッド・シェーンディーンストの証言を聞かせてあげたい。当時の日本のプレーヤーでもっとも印象に残ったプレーヤーは誰だったか?という私の質問に対し、シェーンディーンストは王や江夏豊よりも先に長嶋の名前を挙げた。「当時のメジャーには、彼のようにバッティングも守備もともに超一流という三塁手が少なかったんだ。ブルックス・ロビンソンもどちらかと言えば守りの人だったしね」。
この年、長嶋は自己最高の39本塁打を放って、MVPにも選ばれているが、選手としてはややピークを過ぎていた時期でもある。それでも、シェーンディーンストのような一流の野球人をうならせるプレーを見せていたわけだ。

しかし、私にとってのベストプレーヤーは王である。868本の本塁打だけでそう評価しているのではない。2度の三冠王、メジャーでもルースとハンク・アーロンしか記録していない通算2000打点以上、そしてただの「捕球屋」の域を大きく凌駕した一塁守備。よく「記憶の長嶋、記録の王」と呼ばれるが、それは正しくない。ONはともに「記録にも記憶にも残るプレーヤー」だったのである。
ONに対する評価は、おそらく世代によって異なる部分もあると思う。1955年ごろまでに生まれた人たちには、1960年代前半までの、スピード感あふれる長嶋のプレーが記憶に残っているだろうから、おそらく9割が「長嶋派」だろう。しかし、長嶋がデビューした1958年に生まれた私のような世代にとって、V9時代の長嶋は時折本塁打20本台を割るなど、やや「ビンテージプレーヤー」のイメージがあった。一方の王は1964、65年に江藤慎一との熾烈な首位打者争いを演じ、2年連続で惜しくも敗れるなど、長嶋以上に「三冠王にもっとも近い打者」であり、それが長打力の差によるものだったとはいえ、セ・リーグの相手投手に恐れられていたのは、少なくともV9以降は長嶋よりも王だっただろう(ただし、その王に対する敬遠策をたびたびムダに終わらせていたのも長嶋のすごさなのだが)。そして、長嶋がついに獲得できなかった三冠王を、王は二度までも獲得している。しかも、メジャーにも例のなかった2年連続のトリプルクラウンだった。
現在のプロ野球では、あのクソやかましい施設応援団が跋扈していて、フィールドで選手たちが見せている一投一打にスタンドの全観衆の視線が釘付けになる環境など望みようがない。しかし、王貞治がライトスタンドに美しい放物線(それはまさに「アーチ」と呼ぶにふさわしい打球だった)を描いた瞬間、後楽園球場ばかりでなく、他チームの本拠地でも、スタンドの全てのファンは一斉にその打球の行方を追いかけていた。そして、868本ものホームランを放ったということは、誰よりも多くホームランの魅力を球場に来ていたファンに教えたプレーヤーであったことを証明している。バリー・ボンズもアーロンの記録には追いつけるかもしれないが、王を抜くのは不可能だろう。日米のレベルの差は別として、そして記録がハッキリしないニグロリーグの伝説的打者ジョシュ・ギブソン(生涯1000本塁打以上を放ったとも言われている)を抜きにすれば、王ほど数多くの観客の前で本塁打を披露してきた選手はメジャーリーグにもいないのである。



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1 コメント

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Unknown (masaka2)
2006-05-09 19:31:22
こんにちは。丁度、OPSやRCなどの指標も含めて王貞治の記録を改めて見つめてみようと思っていたので、トラックバックさせていただきました。途中ですが、よかったらご覧ください。

私は、王の700号以降しかほとんど記憶がありませんが、やはり王は特別でしたね。

王がいなければ、松井の背番号55もないわですし、またそもそもホームランの喜びも興奮もこれほど味わえなかったのかなと思います。

よくいわれることですが、今こそNPBは「打者版・沢村賞」となる「王貞治賞」を作るべきじゃないでしょうか?指標は記者や監督投票でもいいし、OPS最高打者などでもいいかなと思います。
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