(実現不可能と思われたルースら米オールスターの来日が日本のプロ野球を誕生させた)
今回の震災に際し、被災地へ様々な形で支援の手を差し伸べたスポーツ界で、唯一ネガティヴな話題を提供してしまったセ・リーグの開幕にまつわる迷走劇も、国家権力の介入という不本意な事態を招いた末、両リーグ同時開幕で決着を見た。
数回前のエントリーにも書いたが、私の基本的なスタンスは、プロ野球に限らず、スポーツ界は「市民社会の公共財産」としての使命に基づき、試合と球団・選手による社会貢献活動の両輪で、震災からの復興を側面援助すべきで、そのためにも12球団の経営者・選手は一体となってその役割を果たさなければならないというものだ。
文部科学大臣や節電担当大臣が事実上「介入」しての決着は、一歩間違えれば最悪のシナリオである(Jリーグなど他のスポーツリーグも含めた)「シーズン全休」の事態を招く危険があっただけに、今後こうした非常事態が起こった際は、NPBと選手会が合同委員会を構成して方針を話し合い決定するシステムを野球協約に盛り込み、権力(今回の場合は○○○○サン&国家)にとやかく言われる前に、自分たちのやるべき仕事を自分たちで決める体制を構築するべきだろう。機構・経営者側は選手抜きに「資本の論理」だけで野球界全体の方針を独断的に決めることはできないし、逆に選手会も野球界の運営に関して共同の社会的責務を負うことになる。
さて私が特に選手会に向けて提案したいのは、2006年秋の開催を最後に選手会の意向で中断されている秋の日米野球を、「震災復興チャリティー試合」として開催することだ。ともにアジアからWBCに参加している韓国、中国、台湾、オーストラリアの選手にも参加を呼び掛けてもいいし、キューバなど中南米からの参加があってもいい。
選手会はアジアシリーズなど日程の過密化と、WBCの開催などで「野球の国際交流」が進んでいるなどの理由をつけて、日米野球への非協力を打ち出してきたが、今回の震災に際しては、コミッショナーをはじめとするMLB機構、各球団、選手、ファン、メディアが支援の手を差し伸べてくれた。選手たちはその友情に応える意味でも、日米野球の再開に同意すべきだし、むしろイニシアティヴをとって、「チャリティー日米(国際)親善試合」を実現すべきではないだろうか。
選手会に再認識してほしいのは、ファンがもっとも見たいのはMLBの一流選手たちの生のプレイであり、その対戦相手として恥ずかしくない高度なプレイを披露することは、彼らが果たすべきファンへの責務だということだ。明治初期の野球伝来から、ベーブ・ルースらオールスターチームの来日、戦後のSFシールズの来日などを通じて、日本の野球はその都度発展を遂げてきた。日米野球の中断は、150年近くにわたって脈々と受け継がれ、日本における最大の「国民的娯楽」へと発展してきたベースボールのスポーツ文化としての歩みを断ち切っている。
もし日程的に多くの都市・球場での試合開催が難しい場合は、MLBとアメリカ野球殿堂博物館の協力を得て、日米野球来日経験者を中心に、「日米殿堂入りOBオールスター」を開催してはどうだろうか。日米野球来日経験者の存命している殿堂入り野球人だけでこんな顔ぶれができる。
【監督】アール・ウィーヴァー(Orioles)、トミー・ラソーダ(Dodgers)
【投手】ホワイティー・フォード (Yankees)、ボブ・ギブソン(Cardinals)、スティーヴ・カールトン(Phillies)、ジム・パーマー(Orioles)、トム・シーヴァー(Mets)、バート・ブライレヴェン(Twins)、リッチ・ゴセージ(ダイエーホークス=笑)
【捕手】ヨギ・ベラ(Yankees)、ジョニー・ベンチ(Reds)、
【一塁手】ウィリー・マッコヴィー(Giants)、エディー・マレー(Orioles)
【二塁手】ライン・サンドバーグ(Cubs)、ロベルト・アロマー(Indians)
【三塁手】ブルックス・ロビンソン(Orioles)、ジョージ・ブレット(Royals)、ウェイド・ボッグス(Red Sox)
【遊撃手】カル・リプケン(Orioles)、オジー・スミス(Cardinals)
【外野手】スタン・ミュージアル(Cardinals)、ウィリー・メイズ(Giants)、フランク・ロビンソン(Orioles/ぜひ大家と対決させよう=笑)、ルー・ブロック(Cardinals)、トニー・グウィン(Padres)
【指名打者】ポール・モリター(Brewers)
このうち5人でも6人でも来てくれれば大成功。おそらくリプケン、サンドバーグ(1986年の日米野球で日本人ファンだけが見た超大型二遊間コンビ)、アロマー、ブレット、モリターは来てくれるのではないだろうか。カールトンが来たらほんとにすごいが(江夏と成田に会わせたい=理由はそのうち)。
日本のプロ野球は「ベーブ・ルースを日本に呼ぶ」という正力松太郎の大言壮語が実現して始まった。もちろん最大の目的が読売の拡販だったとしても、正力はそれを土台に日本のプロ野球を作り上げた。
当時の資料を何度も読み返したが、来日交渉にあたった鈴木惣太郎氏の費やした労力は想像を絶するものだ。何しろもっとも早いやり取りが電報で、日米の往復は客船と大陸横断鉄道。人種差別が公然と米社会にまかり通っていた時代に、不可能と思われた大イヴェントを実現させた当時の関係者には、ただただ感謝する以外ない。
NPBと選手会は、ベースボールという不朽のスポーツ文化を今後も守り抜くためにも、野球界が復興に寄与できることを自らの手で証明すべきではないだろうか。
東京ジャイアンツ北米大陸遠征記 | |
永田陽一 | |
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白球太平洋を渡る―日米野球交流史 (1976年) (中公新書) | |
池井 優 | |
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