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「真央」ゼンスキー?

2005年12月19日 | えとせとら
国際スケート連盟が設けている出場年齢制限のため、来年のトリノ冬季五輪への出場が厳しい状況にあるフィギュアスケートの浅田真央。過去、水泳やジャンプで日本人に不利なルール改正が行なわれるたびに、体協やJOC、各競技団体の国際的な発言力のなさが問題となったが、今回も日本スケート連盟は特例措置の要請さえ行なわないようだ。こうした「政治力」も、日本サッカー協会(それでもはなはだ不満足ではあるが)を除けば、日本のスポーツ界がおよそ不得手としていることのようだ。

さて、今回の浅田の問題に、ある競走馬のエピソードをオーバーラップする人は、かなりの競馬好きかもしれない。マルゼンスキー。ノーザンダンサー系の名馬ニジンスキーを父に持ち、外国で種付けされた母親のシルが日本に持ち込まれ、北海道の橋本牧場(スピードスケートメダリスト橋本聖子の実家。写真右側にいるサングラスかけたキダタローみたいなヒトが馬主の善吉氏)で誕生したが、当時外国で種付けされた生産馬は日本で生まれても「持ち込み馬」として出走が厳しく制限されており、76年の朝日杯3歳ステークス(現・朝日杯フューチュリティステークス)では2位以下に13馬身差をつける圧勝を見せながら、翌年の三冠クラシック、天皇賞・秋への出走が許されなかった。当時騎乗していた中野渡清一騎手が、「28頭立て(当時)の大外枠で、賞金なしでもいい。他の馬の邪魔をしないからマルゼンスキーに日本ダービーを走らせて、能力の確認だけでもさせてくれ」と出走を懇願した話は有名である(私は「ダビスタ」でよく種牡馬に使いました。脚部不安を時々発症しましたが、生産馬の成績はよかったです)。
脚部不安があったため、生涯8戦の出走だったが、そのすべてに勝利し、2着以下の馬につけた馬身差の合計が61馬身! 3戦目の府中3歳ステークスのみ、ヒシスピードにハナ差まで迫られた接戦だったが。これも「ゴール手前200mのハロン板をマルゼンスキーがゴール板と勘違いしてスピードを緩めたため」と伝説になっているくらいだ(実際は、中野渡の騎乗ミス)。それでも直線でまた再び加速して(これじたいが競走馬の常識からして考えられない)ヒシスピードを退けている。種牡馬としてもホリスキー(菊花賞)、サクラチヨノオー(日本ダービー)。レオダーバン(菊花賞)などの名馬を輩出し、また母の父としてもウィニングチケット(日本ダービー)、ライスシャワー(菊花賞、天皇賞・春)、スペシャルウィーク(日本ダービーほか)にその血統を伝えている。

マルゼンスキーが当時クラシックなど主要レースを走れなかったのも、浅田がトリノへの出場が困難になっているのも、根は同じことである。才能のあるものに対してそれにふさわしい舞台を与えないのは、「殺人」と変わらない。4年後、19歳になる浅田の将来は、可能性はあってもあくまで「未知数」なのだ。
こうした問題に政治が絡むのは好ましいことではないが、橋本聖子、荻原健司など、国会には冬季五輪メダリスト出身の議員がいる。まして橋本は、マルゼンスキーの悲劇を目の当たりにして育っている(そして彼女を五輪出場に導いたのも、マルゼンスキーが稼いだお金である)のだから、大いに浅田の問題に関しては、自らIOCや国際スケート連盟に乗り組むくらいの姿勢があっても当然ではないだろうか。メダルやオリンピックの効果で国会に議席を得た以上、それは橋本や荻原が果たすべき政治家としての責務でもあるはずだ。


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