公開早々、ご覧になってしまった方にはまことにお気の毒というほかないが、映画『男たちの大和』を映画館までわざわざ観にいくのは、お金をドブに捨てるのと同じことである。映画の出来を云々する以前の問題で、この映画の製作総指揮を務めている人物は、かつて大手と言われて世に知られていた出版社の社主兼社長でありながら、あろうことか麻薬の密輸入・所持・使用に手を染め、有罪判決を受けて服役、出所後もなんと「冤罪」を訴え、多くの社員や関係者を路頭に迷わせかけた自身の行為をまったく反省していない。
おまけに主題歌を歌っているのは、これもまた、大麻の不法所持で逮捕歴のあるシンガーソングライター。いやはや、腐った肉にハエが群がるのと大して変わらないね。
同じ「戦艦」を見るならば、今年制作から80周年を迎えた、巨匠セルゲイ・M・エイゼンシュテイン監督の『戦艦ポチョムキン』を見るべきである(余談だが、この映画のメインストーリーである戦艦ポチョムキン号の水兵による反乱は、腐ってウジがわいた肉を食べるのを拒否した水兵を、上官が銃殺刑で処刑しようとしたことに対して起こったものだ。まさか「戦艦」をテーマにしたには「腐った肉」や「ウジ虫」がいつの世も、どんな国のものであってもつきものってわけではないだろうが)。
もちろん、旧ソ連のプロパガンダ映画という側面はあるものの、映画理論の根幹ともいえる「モンタージュ論」の集大成、永遠の教科書とも言われるこのサイレント映画は、依然として超一級のエンタテインメントであり、反乱を起こした水兵たちがマストに赤旗を掲げるシーン(モノクロにもかかわらず、エイゼンシュテイン自身がひとコマずつ絵の具で着色した。ただし、最近のビデオ化ではこの場面が「白旗」のままなのは大問題。CGを使えばできるのだから、きちんと赤く着色すべきだ)は、黒澤明監督の『天国と地獄』やスピルバーグの『シンドラーのリスト』で、有名な「オデッサの階段」の場面は、同じく黒澤の『隠し砦の三悪人』やブライアン・デ・パルマ監督の『アンタッチャブル』にオマージュされている(ただし、『アンタッチャブル』のオマージュは何の工夫もなくそのままのモノマネで、私は好きではありませんが)。
世の中には、人間としてやってはならないこと、やったら常識を疑われることがある。たとえばヒトラーの「わが闘争」をナチズムやファシズムの正体を研究するための資料として読むのならばともかく、「愛読書」にしたら、もはや人間失格である。それと同じで、□川○樹なる人物の作る映画、出版する本にお金を出すことは、悪魔に魂を売るのに等しいのである。
じっさい、この人物の愛読書はその「わが闘争」であり、彼自身、日ごろからヒトラーへの尊敬や暴力への賛美を公言してやまない。
『男たちの大和』に使う1800円があれば、ほかにいくらでも楽しく、有意義な使い道がいくらでもある。人生は長いようで短い。お金と時間はもっと大切なこと、楽しいこと、面白いことに使うべきである。
以上、かつて□川氏の会社の従業員(ってより「使用人」「下僕」だったかもな)で、「お家騒動」の被害者だった男からの心からの忠告であります。
おまけに主題歌を歌っているのは、これもまた、大麻の不法所持で逮捕歴のあるシンガーソングライター。いやはや、腐った肉にハエが群がるのと大して変わらないね。
同じ「戦艦」を見るならば、今年制作から80周年を迎えた、巨匠セルゲイ・M・エイゼンシュテイン監督の『戦艦ポチョムキン』を見るべきである(余談だが、この映画のメインストーリーである戦艦ポチョムキン号の水兵による反乱は、腐ってウジがわいた肉を食べるのを拒否した水兵を、上官が銃殺刑で処刑しようとしたことに対して起こったものだ。まさか「戦艦」をテーマにしたには「腐った肉」や「ウジ虫」がいつの世も、どんな国のものであってもつきものってわけではないだろうが)。
もちろん、旧ソ連のプロパガンダ映画という側面はあるものの、映画理論の根幹ともいえる「モンタージュ論」の集大成、永遠の教科書とも言われるこのサイレント映画は、依然として超一級のエンタテインメントであり、反乱を起こした水兵たちがマストに赤旗を掲げるシーン(モノクロにもかかわらず、エイゼンシュテイン自身がひとコマずつ絵の具で着色した。ただし、最近のビデオ化ではこの場面が「白旗」のままなのは大問題。CGを使えばできるのだから、きちんと赤く着色すべきだ)は、黒澤明監督の『天国と地獄』やスピルバーグの『シンドラーのリスト』で、有名な「オデッサの階段」の場面は、同じく黒澤の『隠し砦の三悪人』やブライアン・デ・パルマ監督の『アンタッチャブル』にオマージュされている(ただし、『アンタッチャブル』のオマージュは何の工夫もなくそのままのモノマネで、私は好きではありませんが)。
世の中には、人間としてやってはならないこと、やったら常識を疑われることがある。たとえばヒトラーの「わが闘争」をナチズムやファシズムの正体を研究するための資料として読むのならばともかく、「愛読書」にしたら、もはや人間失格である。それと同じで、□川○樹なる人物の作る映画、出版する本にお金を出すことは、悪魔に魂を売るのに等しいのである。
じっさい、この人物の愛読書はその「わが闘争」であり、彼自身、日ごろからヒトラーへの尊敬や暴力への賛美を公言してやまない。
『男たちの大和』に使う1800円があれば、ほかにいくらでも楽しく、有意義な使い道がいくらでもある。人生は長いようで短い。お金と時間はもっと大切なこと、楽しいこと、面白いことに使うべきである。
以上、かつて□川氏の会社の従業員(ってより「使用人」「下僕」だったかもな)で、「お家騒動」の被害者だった男からの心からの忠告であります。