日本から“流行歌”“歌謡曲”が消えてどれくらいの時間が経ったのだろう。
年末の「日本レコード大賞」「NHK紅白歌合戦」も、少なくとも私にとっては“年中行事”でなくなって久しい。
1990年代後半あたりからの日本におけるポピュラーミュージック(Jポップ、演歌などいわゆる“大衆音楽”全般を指す)の状況は、作家・村松友視氏が語った次の言葉でほとんど言い表されていると思う。
「かつてのミリオンセラーは日本中の人たちが知っている曲だったが、現在のミリオンセラーはそのCDを買った百万人の人たちしか知らない曲になってしまっている」
なぜ、100万枚以上CDが売れても、「日本中が知っている曲」にならないのか? そのもっとも大きな原因は「歌詞」の衰退にあると思う。
いま、日本のポピュラーミュージックの多くでは、作曲が優先され、それに合わせて歌詞が付けられる。もちろんそれは作曲術のひとつなのだろうが、あまりにもそれが行き過ぎて、多くの歌詞は「詩(詞)=ことば」ではなく、ただの「文字(単語)=記号」の羅列になってしまっている。あえて具体例をあげるならば、大塚愛の楽曲はその典型ではないかと考えている。いまCMで流れている「♪あ~い~」って曲、ファンの方には申し訳ないが、私はあれがテレビから流れてくると、リモコンで他局に回してしまうのだ。「さくらんぼ」なんて、以前書店でBGMとして流れてきたとき、気分が悪くなって店員さんにボリュームを下げてほしいって頼んだくらいでしたからね。
この大塚愛、あるいは浜崎あゆみといった現在トップアーティストと呼ばれる人たちは、楽曲(特に歌詞・日本語表現能力)に上記のような問題があるうえに、そもそもシンガーとしての実力や魅力にも疑問符が付く。「不特定大多数の大衆をひきつける歌手としての魅力・実力」を持っているのは、ざっと見渡しても平井堅、森山直太郎、平原綾香、青山テルマぐらいだろうか。
そんな状況にあって、桑田佳祐(サザンオールスターズ)が30年以上にわたって日本ポピュラーミュージック界の頂点に立ち続けているのは、彼がデビュー以来送り出してきた曲が、どれもすぐれた「歌詞」に彩られているからだ。
歌詞に意味を持たせる、メッセージを込める、ストーリーをつむぐ、韻を踏む、情景を描く──あまりにも衝撃的だったデビュー曲の「勝手にシンドバッド」からして、そうしたオーソドックスな作詞法はきちんと活かされていた。「女呼んでブギ」「エロティカセブン」などエロティックな内容で話題となった楽曲においてさえ、いやそうだからこそ、桑田のボーカルに乗って耳に運ばれてきた歌詞はずっと心に残る。桑田の作曲法もまたメロディー優先だが、そこに乗せられる歌詞は、決して「記号の羅列」ではなく、(放送禁止ギリギリの歌詞でさえ)言語表現が見事に局とシンクロナイズドしているのだ。
もちろん、桑田の歌詞にはすぐれたメッセージ性を持つものも多い。表現方法に違いはあるが、プロテストソングを作り、歌う点では、忌野清志郎と双璧といえる存在でもある。
桑田は優れたソングライターであるとともに、日本のポピュラーミュージック史において稀有で魅力的なボーカリストでもある。それを見事に証明したのが、先日発売されたDVD「昭和八十三年度! ひとり紅白歌合戦」だ。
桑田が1993年以来取り組んでいるエイズ啓発活動「アクト・アゲインスト・エイズ(AAA)」のイベントとして、昨年末に横浜で開催されたこのライブは、WOWOWで放映されると大きな反響を呼んだ。一部のメディアなどでは「ひとりモノマネショー」のように取り上げられたが、実際には終戦直後から21世紀の現在に至るまでの「戦後歌謡史」をひとりで歌い切った「一大カバーライブ」で、アレンジや音程も原則としてオリジナルのものが用いられている。もちろん、サザンや自身のソロ活動で数々の伝説に残るライブパフォーマンスを演じてきた桑田だけに(「チャコの海岸物語」で出場した1982年の紅白で演じたパフォーマンスも含む)、全61曲の最初から最後まで、「三年目の浮気」で登場した特別ゲストも含め、決してあきさせることがない(そのプログラムの中に「勝手にしやがれ」と「渚のシンドバッド」が入っている理由は、もちろん皆さんご存じでしょうね=笑)。
桑田佳祐(サザンオールスターズ)は、過去四半世紀あまりの日本ポピュラーミュージック界を振り返っても、「日本中の人たちが知っているヒット曲」、つまり「スタンダードナンバー」をもっとも多く生み出してきたアーティストであり、だからこそ美空ひばりに始まる「戦後歌謡史」を一人舞台で披露する才能も資格もある。
日本ポピュラー音楽史上最高の男性エンタティナーとしての桑田佳祐の魅力を、ぜひこのDVDでご堪能あれ!
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