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元プロ野球投手(最高学府出身)K氏への忠告

2006年01月30日 | Baseball/MLB
(「ニグロリーグは多彩な人種がプレーする現在のMLBの基礎を築く役割を果たし、その役目が終わったとき、静かに舞台を降りたのだ」と、元ニグロリーグの選手・監督で、ジャッキー・ロビンソンの同僚でもあったバック・オニール氏は語っている)

 最近、テレビでプロ野球に関する討論番組があると、よく顔を出す「K」という人物がいる。あえて実名は伏せるが、元プロ野球投手で(でも一軍登板なし)、最高学府とされる大学の出身で、何年か前には選挙に出て某球団の取締役に名前を連ねていて……ここまで書いたらわかっちまうか(笑)。

 まあ、彼と私のプロ野球、あるいはメジャーリーグに対する考え方は180度異なるものだし、彼と彼の雇用主が訴えているプロ野球への「自由競争論理の導入」は、とても受け入れがたいものだが、その是非については私自身がこのBlogでも寄稿した文章でも意見を述べ続けているので、あえてここでは述べない。
 ただ、彼が一昨年の球界再編騒動の際、「朝まで生テレビ」に出演したときに口にしていたある「説」については、100%間違いだとは言わないが、彼の主観のみに基づく見解であって、視聴者や読者(その著書でも同様のことを書いている)の誤解を招きかねないので、ここで指摘しておきたい

 K氏は第二次世界大戦終了後から60年代にかけてのメジャーリーグにおけるジャッキー・ロビンソンなどアフリカ系選手の登用について、「メジャーが競争相手だったニグロリーグをつぶすために、スター選手の引き抜きを行ない、それによって60年代までにニグロリーグは消滅した」と語っていた。この見方は100%間違っているとは思わない。ただし、ニグロリーグが消滅した要因に占める割合としては下位にランキングされるものであって、少なくとも主因ではない

 まず、ニグロリーグが衰退した最大の原因は、50年代に入ってからのテレビの普及、そして球団数の拡張である。1901年に現在の二大リーグ制となり、半世紀以上も16球団制が維持され、しかも1903年にア・リーグでNYとセントルイスへの球団移動があってからは、本拠地の移動も50年代までメジャーではなかった。当時、メジャーの本拠地で最北端だったのはボストン(レッドソックス、ブレーブス)、主要球団が終結していた東海岸の最南端はワシントンDC(セネタース)、米大陸全体でも最西端はセントルイス(カージナルス、ブラウンズ)だったから、メジャーリーグといってもそのテリトリーは合衆国全体の30%程度であった。もちろん、カナダへはまだ進出していない。それをカバーしていたのが全米に設立されていたマイナーリーグであり、さらにメジャーとマイナーから締め出されていたアフリカ系アメリカ人の活躍の場として、1920年代にニグロリーグが誕生する。
 しかし、やがて航空機網の発達で大陸間の移動が容易になったことで、ドジャースとジャイアンツがニューヨークから西海岸に移転し、61・62年に計4球団が加わったことで、メジャーのフランチャイズは全米を網羅するようになり、テレビの普及によって試合中継も広く視聴されるようになり、メジャーの空白地域を本拠地としていたマイナーリーグとニグロリーグは、市場と有力な選手をメジャーに奪われる形になり、マイナーはそれまでAAAから最下級のD級まで7段階あったのが大幅に規模の縮小を余儀なくされて、ほとんどがメジャーの傘下(ファーム)となり、ニグロリーグもほぼ同様の理由で消滅の道をたどった

 この過程で、MLBの経営者がマイナーやニグロリーグのマーケットや人材を意図的に狙い撃ちにしたとのK氏の見方は否定しない。ロビンソンを登用したドジャースの会長兼GMのブランチ・リッキーは、カージナルスGM時代に、マイナー選手のスカウトにあたって発生する移籍金の節約を目的に、他球団に先駆けてファームシステムを作った人物でもあったから、彼や他のオーナーにもおそらくそうした意図はある程度存在しただろう。ただ、それがコミッショナー以下、全球団のオーナーによる統一した意思のもとで行なわれたのかといえば、それは違うだろう。
まず、黒人選手の登用については、球団間で相当の温度差があった。ジャッキー・ロビンソンのドジャース昇格がナ・リーグで報告された際、ドジャースを除く7球団が反対したのは有名であり、その後、ロビンソンの成功を見て、登用に踏み切った球団は増えたものの、それでもカージナルスなどは明らかに黒人選手の採用が遅れたし、またナ・リーグに比べてア・リーグのアフリカ系選手登用はさらに遅れた。ナ・リーグでロビンソンが1949年に最初のMVPになったのに対し、ア・リーグでは63年のエルストン・ハワード(ヤンキース)が第1号であり、その間にナ・リーグではロイ・キャンパネラ、ドン・ニューカム、ウィリー・メイズ、ハンク・アーロン、アーニー・バンクス、フランク・ロビンソン、モーリー・ウィルスがMVPに輝いていたのだ。
 また、ジャッキー・ロビンソンがその典型だが、メジャーは必ずしもニグロリーグの大スターをかき集めたわけではない。最大のスターで、ロビンソンに遅れてインディアンス入りしたサチェル・ペイジにしても、メジャーでデビューしたのは公称42歳になってからであり、メイズ、アーロン、バンクスにしても、ニグロリーグでのキャリアは浅かった。さらにおそらくニグロリーグとマイナーが衰退した最大の原因だったテレビ中継にしても、実は始まった当初は現在のように巨額の放映権料が入ってこなかったことなどもあって、球団オーナーは試合の中継に積極的とはいえなかった。マントル全盛期のヤンキースはほとんど「敵視」していたといってもよく、ドジャースのように比較的最近まで、ホームゲームの地元向け中継を行なっていなかった球団もある。

 そして何よりもK氏の視点に欠けているのは、そもそも「ニグロリーグ」はどうして誕生しなければならなかったのか?ということである。メジャーリーグやその傘下・影響下のマイナー組織から締め出されたアフリカ系選手たちが、プロ選手として活躍する場を得るために組織されたのである。もちろん、一気呵成に進んだわけではないが、それでもジャッキー・ロビンソンのデビューによってメジャーにおける人種の壁が破られてからは、黒人や有色人種のプレーヤーが増えることで、必然的にその役割を終えたと考えるのがむしろ自然な歴史の流れだろう。リンカーンの奴隷解放宣言によって南部の黒人が奴隷でなくなり、公民権法の施行によって少なくとも連邦法上はアメリカ市民として公正な市民権を保証されたのと同じである。確かに、奴隷商人や南部の大農園主はリンカーンを、極右やKKKはJFKをたいそう恨み、憎んだであろうが、K氏が「メジャーがニグロリーグをつぶした」と声高に主張するのは、それとあまり変わらない浅薄な意見・見解とは言えないだろうか? 

 ロビンソンのカンザスシティ・モナークス時代の同僚で、メジャー最初のアフリカ系米人コーチでもあったバック・オニール氏は、次のように語っている。拙訳だが、意味は伝わると思う。

How did you feel a few years after the majors integrated, when the Negro Leagues began to die?
(インタビュアー)メジャーリーグで黒人の排除がなくなって数年後に、ニグロリーグの衰退が始まったとき、あなたはどうお感じになりましたか?

I've welcomed the change. But the only thing I didn't like — in the Negro Leagues, there were some 200 people with jobs. Now, these people didn't have the jobs anymore. We eliminated those jobs. But, still, I welcomed the change because this is what I've been thinking about since I was that high. Rube Foster was thinking about this before I was born. The change that would make it the American pastime. But as to the demise of the Negro Leagues — it never should have been, a Negro League. Shouldn't have been.
(オニール氏)私はその時代の変化を歓迎したよ。もちろんニグロリーグには200人以上の選手が働いていたし、彼ら全員の仕事がメジャーで与えられるわけではなかったから、必ずしも喜ばしいことばかりではなかった。事実、私たちの多くはプレーする場所を失った。しかし、それでも私は(ロビンソンをはじめ黒人選手がメジャーでプレーすることは)最高の理想の形であったので、その変化を歓迎したんだ。それは私が生まれる前から、(ニグロリーグの創始者だった)ルーブ・フォスターが理想として描いていたものだった。その変化は(メジャーリーグ野球を)真のアメリカ人の国民的娯楽の地位に押し上げたんだ。ニグロリーグの消滅は、そもそも存在すべきでなかったものが消えたに過ぎないのだ。

 オニール氏は90歳を過ぎた現在もアメリカ野球殿堂の特別表彰委員や、ニグロリーグ発祥の地カンザスシティーにある「ニグロリーグ野球博物館」の理事長を務めており、2003年に私がこの博物館に取材に訪れた際、直接お話を伺う機会があった。
「この博物館の展示から、かつてニグロリーグ野球の選手たちが置かれた厳しい状況をぜひ読み取ってください。しかし、同時にわかってほしいのは、現在、メジャーで彼らの子孫が中心選手としてプレーし、しかもあなたの国(日本)から来た選手と同じフィールドで試合をする現在のメジャーがすばらしいということです」 
 オニール氏はニグロリーグのスタープレーヤーであり、監督も務め、その野球人生の多くをニグロリーグにささげた人である。それでも、彼にはジャッキー・ロビンソンや多くのアフリカ系米人、そして日本人を含めた有色人種がメジャーでプレーできる土台を作ったことの強い自負と誇りがあった。

 K氏は引退後、アメリカで数年間暮らしたことで、野球界のみならず、アメリカ社会全体に広がる社会的格差や人種差別の現実を目の当たりにされたようだ。そのためにドラフト制度などの「アメリカ的」なシステム、さらにはメジャーリーグをはじめアメリカのスポーツビジネス全体のあり方にも批判的であるようだ。その視点は間違っていないと思うが、しかしアメリカ社会やスポーツ界のシステムややり方のすべてが間違っているわけではなく、また彼がその言動の論拠にしているらしい「価値観」のすべてが正しいわけでもない。

 少なくとも野球に関心のある不特定多数の視聴者に向けて、ご自分の主張や意見を述べるのであれば、その根拠となる事例は一面だけではなく、綿密に調べて、多面的・多角的に紹介すべきではないだろうか。K氏は大学でも教鞭を取っているそうだが、この程度のものの見方や考え方しかできない人物に教わる学生はあまり幸運だとは言えないだろう。

 私は、たとえメジャーが市場と人材を狙い撃ちにした事実はあったとしても、やはりニグロリーグがメジャーに融合されたのは、正しい歴史的結末だったと考えている。たとえそれがアメリカからの「押し付け」だといわれようと、軍国主義よりは民主主義のほうがずっとずっとましなのと同じことである……という結論に私は「った」のでありますが、K林さんはどうお考えですか?(笑)


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2 コメント

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Unknown (jeter)
2006-01-30 21:20:24
オッチョコチョイを1人メンバーに入れておくのが演出であり、そいつが騒ぐことが番組の盛り上がりと考えてしまう、浅はかなテレビ屋は退場願いたいものです。
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だたのオッチョコチョイなら… (上田 龍)
2006-01-30 21:30:45
いつもありがとうございます。

ただの「オッチョコチョイ」ならまだいいのですが、こういう半ばデマゴーグのようなヒトが、プロ野球チームの役員に名を連ねているから困ります。

「朝生」で一緒に出演したある方は、CM中に一喝したそうですが。
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