上田龍公式サイトRyo's Baseball Cafe Americain  「店主日記」

ベースボール・コントリビューター(ライター・野球史研究者)上田龍の公式サイト「別館」

ダルビッシュ、村山実、稲尾和久──エースの「敗戦の弁」あれこれ

2008年07月25日 | Baseball/MLB

(母校の尼崎産業高校庭に立つ村山実投手の銅像。早いもので亡くなられてからもう10年の歳月が経った……)

 

 昨夜の北海道日本ハムファイターズ対千葉ロッテマリーンズ戦で、4回表に無死満塁の場面で二者連続三振のあと、橋本に今季初となる満塁アーチを浴び、結局165球を投げながら敗戦投手となったダルビッシュ有は、試合後の取材で、橋本に投じた一球について、「打たれるべくして打たれた球。自信を持って投げたので、まったく悔いはないとコメントしていた。 この試合は自慢の速球こそ走っていたもののコントロールに苦しみ、4回のピンチも先頭打者にフォアボールを与え、2本のシングルヒットを浴びて招いたものだった。そのあと、大松、今江、橋本に対していずれもストレート勝負を挑み、大松と今江は三振に切って取ったものの、やはり相手もプロ。いかに150kmを超える豪速球とはいえ、10球以上立て続けでは、確かにダルビッシュの言うとおり「打たれるべくして打たれた」一発であったといっても仕方のないところだろう。

 これは決してダルビッシュへの批判ではなく、あくまで私個人の「感想」なのだが、「まったく悔いはない」という彼のコメントを読んで多少の違和感は否めなかった。確かに投手対打者、一対一の勝負というレベルならば、そういう「あきらめのつけ方」もあるだろう。しかしベースボールはチームスポーツであり、まして先発投手は勝敗を背負ってマウンドに立ち、それがプロフェッショナルともなれば、自分を含めた25人の登録メンバーの「生活」もかかっている。もちろんダルビッシュ本人は実際のところ大いに「悔いが残っている」はずだし、おそらく生来の負けん気の強さが「悔いは残っていない」という発言につながったのだと思う。だから変に周囲に気を遣いすぎるコメントを口にするよりかはまだましだと考えてはいるのだが、やはりチーム全体のことや彼のピッチングを見にチケットを買って札幌ドームに足を運んだファンのことを考えると、もっと別の表現方法があってもいいのではないかという気がする。

 プロ野球史上、もっとも有名なエース投手の「敗戦の弁」といえば、やはり1959年(昭和34年)6月25日、昭和天皇夫妻が来場した後楽園球場で開催された東京読売ジャイアンツ対大阪タイガースのいわゆる「天覧試合」で、長島茂雄にサヨナラ本塁打を浴びた村山実投手「あれはファールや」発言だろう。この試合の記録フィルムとして流される資料映像は、局によっては当日のものではない別の試合の映像を継ぎ合わせたものも見受けられ(たとえば打席に立つ長島やマウンドの村山が着ているユニフォームが、明らかに1960年代以降の胸番号が入ったデザインのものだったりなど)、なかなかきちんとこの打席の一投一打を正確に記録したものが放送されないのだが、まずホームランを打った直後の長島のフォロースルーを見る限りは、左翼ポールギリギリの打球を放った打撃フォームには見えないし、打球を見上げる左翼手の顔もポールよりかなり内側を向いているように思える。また史上初の天覧試合という背景があったとはいえ、左翼線審の判定に対して村山やタイガースベンチは何の抗議もしていない。

 また、ダルビッシュが橋本に投じた一球が文字通りの勝負球だったのに対し、村山が投げた長島への一球は、2ストライクのあと、外角への勝負球の伏線として、長島の体を起こす効果を狙って内角へのボール球を投げたつもりが甘いコースに入ってしまったいわば「失投」だったという違いがある。おそらく村山がその現役生活のみならず、1998年に61歳でこの世を去るまで、終生「あれはファール」と言い続けたのは、そんな自らの失投への悔いや負け惜しみ、長島への強烈なライバル心とともに、やはりタイガースの大看板としての責任感が言わせたものだったのではないだろうか。両者の一球の背景も時代も違うし、単純比較は避けたいが、私個人としてどちらのセリフに惹かれるかといえば、やはり村山のひと言により大きな魅力を感じる

 だが、私がダルビッシュや村山よりも、さらに上を行くエースの「敗戦の弁」だと思っているのは、昨年秋にこの世を去った「神様仏様」稲尾和久投手(西鉄ライオンズ)である。西鉄とパ・リーグの覇権を争っていた南海ホークスの大エースだった故・杉浦忠投手は、生前、稲尾投手についてこんな思い出話を語っていた。

 

「南海対西鉄戦で、稲尾がホークス打線に大量点を取られた直後のマウンドに上がった時、本来ならスパイクでデコボコになっているはずのマウンドの土がきれいにならされていた。(温厚な性格で知られた)稲尾の性格を考えれば、自分のあとに登板する投手に気を遣って、自分が掘り返したマウンドをきれいにならすのは彼らしい行為なのだが、自分が集中打を浴びて悔しい気持ちでいっぱいの心理状態にあっても、なお自分のあとに投げる、しかも相手チームの投手に対する気遣いを忘れない稲尾の人間性に大いに敬服したものだ」

 

 毀誉褒貶の多いプロ野球という世界にあって、稲尾さんに限っては、悪く書かれたり言われたりすることが皆無だった理由が、この杉浦さんのひとことからもよくわかる気がする。しかも、このときの稲尾さんはおそらくプロ入り3年目の20歳か21歳の頃で、来る8月16日に満22歳となるダルビッシュよりも若かったのである。

 プロフェッショナルの野球選手は、フィールドでのパフォーマンスだけでなく、メディアやファンへの言動もまた「プロ」であるべきだと私は考えている。私はできれば、これからのダルビッシュに「悔いはない」という敗戦の弁ではなく、村山さんのように人間味とエースとしての責任感にあふれた「負け惜しみ」を大いに語ってほしいし、さらに高みを目指すのであれば、杉浦さんを感服させたマウンドでの稲尾さんの態度を見習ってほしいと思う。もしダルビッシュがピッチングのみならず、そうした姿勢においても村山さん、あるいは稲尾さんのレベルにより近づけば、彼は日本の野球ファンが心から誇りを持ってメジャーのマウンドに送り出せる存在になると私は思うのである。

 

 

 

プロ野球最強列伝―沢村栄治からダルビッシュまで
水道橋野球倶楽部
双葉社

このアイテムの詳細を見る


最新の画像もっと見る