

本棚を整理していると、1978年版のユースホステル・ハンドブックがでてきた。財団法人ユース・ホステル協会が発行したガイドブックだ。この本、当時の旅好きな若者はみんなもっていたのではなかろうか。

ハンドブックには往時のようすがのっている。この本をよんでいると瞬時に若いころの記憶がよみがえった。

1981年に自転車旅で旭川ユースにとまった。こんな、辛い、旅なんか、もういやだ、旅を終わろう、汽車にのろう。ユースではさとう宗幸のうたう北海道ユースホステルの歌、『旅の終り』がエンドレスでかかっていた(歌詞の一部だけ記憶していたのだが、ネットで調べたら歌の名前や歌手までわかった。私はさとう宗幸がうたっているとおもったがちがっていたのかもしれない。)。ソロで自転車旅をしていた私は、若さゆえに休むこともせずにペダルを踏み込んでしまった。先へさきへと。朝から夕方まで。当然サイクリングはくるしいものになって、この歌とおなじ心境だった。そのころの札幌駅での野宿風景は『1980年代の札幌駅での野宿風景』をどうぞ。

当時はトムラウシにユースがあったのだ。そして帯広ユース。

1983年のバイク・ツーリングで利用した。朝の集合写真。当時はホステラー(宿泊者をこう呼んだ)やヘルパーさんがあつまって毎度写真大会をやったものだった。

函館の北星荘。この頃からユースで酒がのめるようになった。同じく1983年のツーリングだ。そのときのようすは『1983年の北海道バイク・ツーリング』をどうぞ。

夜バイクの宿泊者だけで函館山にいって夜景をみた。帰りに競争になり、ショートカットして勝利したことを思い出す。

尻屋崎ユース。北星荘の翌日に日本一周中の青年ととまった。その彼と日本縦断ライダーのエピソードは『日本縦断ライダーと日本一周ライダー』をどうぞ。

高校生のときに自転車でたずねた茨城県の筑波山荘。規律がきびしかった。

埼玉県の鎌北湖ユース。友人が土曜日だけステーキがでると聞き込んできて、ランドナーをつらねてでかけた。ミーティングなどがやけにたのしかったことだけをおぼえていて、食事の印象はのこっていない。

大学受験がおわり、発表までのあいだにサイクリングをした伊豆のかえりに真鶴ユースを利用した。伊豆では伊東ユースと下田ユースにとまった。この後浪人が決定するのである。

キャラバン・シューズの宣伝。

ユースでねむるときにはスリーピング・シーツを使用することになっていた。これが面倒くさかった。

予約はがきの書き方。

1983年には伊勢や和歌山にもツーリングにでかけた。その際に大津ユースにとまった。琵琶湖毎日マラソンの前日で、レースに参加するという方と話をした。その方は一般参加の選手だったが、3時間ほどで完走すると言うので、それはすごいですね、と話したことをおぼえている。ユースにとまってマラソンにでるというのは当時としては当たり前のことだが、今となればものすごくストイックだ。

高校生のときに能登半島から京都をまわるサイクリングにでた。その際に京都のユース松三を利用した。そこのばあさんがどこから来たのかと問うので、答えると、車は走っているのか? と言う。京都よりもたくさん走っているとこたえると鼻でわらわれた。学のないばあさんだった。

小西六(現在はコニカ)のカメラ・フイルムの宣伝。キャラクターは欽ちゃん。商品はサクラカラーだ。

東亜国内航空の宣伝。TDAは日本エアシステムに社名変更したのちにJALと合併した。その後はJALは倒産してしまったから、先のことはわからないものである。現在のJALは再出発会社だ。

北海道のページをくっていると養老牛青年の家をみつけた。その地図に開陽台育成牧場とある。ここが現在の開陽台だろうか。

そして北海道ユースの歌・旅の終りの宣伝もあった。歌手名は青木清とある。ネットで検索してみると、この曲をきくことができた。山名敏晴という人もうたっている。ただ私はさとう宗幸の歌をきいたとおもうのだ。さとう氏の声は特徴的だし、青木氏と山名氏の歌もきいてみたが、この声ではなかったとかんじている。しかし昔のユースホステル・ガイドブックはタイムマシーンだ。読んでいると、高校生や大学生にもどってしまう。
ぼくは世代が違うのですが、活気あふれる雰囲気が伝わって来るようです。朗報さんの北海道ツーリングのお供はGSX400Fでしたよね。
ぼくはユースホステルの経験は数えるくらいしかありません。高校生の時に(モンキーで)日本海まで行った時に利用した松本近郊の何処か、20代前半に高知まで行った時は名古屋の動物園近く、宇和島、高知駅前ユースに泊まりました。
名古屋は鉄筋コンクリートのモダンな建物でしたが、宇和島は古い大きな民家と言った感じの所で面くらいました。ぼくの時代でも一緒になった連中と写真を撮り合ったり、連絡先の交換をしたりしました。お遍路?の格好をしてヤマハのトレール車でツーリングしていた人もいました。
今は旅先に行ってもビジネスホテルに泊まってコンビニで買って来た物を食べながら、スマホいじりかもしれません。
ユースホステルは青春の思い出ですね。宿泊代は安いですが同部屋で自由はなし。いろいろな人と交流できますが、お遊戯のようなミーティングにつきあわされたりもします。
でも、今となってはたのしい思い出です。モンキーでの旅もたのしそうですね。