ひと日記

お気に入りのモノ・ヒト・コト・場所について超マイペースで綴ります。

SHIRAI STYLE

2010-12-31 21:27:51 | 白井さん


 『おしゃれに関して、どんなこだわりがありますか、とよく聞かれるのですが、ちょっと答えに窮してしまいます。私はこれまでずっと、自分がいいと思うもの、その感じる心を大切にしてきました。あえて言うのなら、長く愛着を持って着られる服ということでしょうか。そうなると自然と、ベーシックなフォルムで、仕立てや素材にクォリティの高さが感じられ、それでいて着る人の個性をキラリと主張する、そんな洋服に惹かれるのです。

 私はこれまで、紳士服というものに、一方ならぬ情熱を注いできました。それは持って生まれた性分かも知れませんし、育った土地柄や、時代、あるいは信濃屋との出会いが、私の人生をそのように導いたともいえるでしょう。

 私は1937年に生まれ、小学2年生で終戦を迎えました。疎開先から戻った生まれ故郷の横浜は焦土と化していました。そんななにもない時代に、本牧を闊歩するアメリカ兵たちの、オリーブグリーンの軍の制服が、私の目にはたいへん印象的に映りました。子供心には敗戦国の負い目や敵国という意識はなく、ただ単純にアメリカ兵のカッコ良さが胸に染みたのでした。

 それから中学、高校時代になると、さらにアメリカは未知なる憧れとなり、映画で見るシカゴのギャングのちょっと悪だけれどエレガンスなファッションに心ときめき、伊勢佐木町を流れるカントリー&ウエスタンと闊歩するアメリカ兵を羨望し、その魅惑的な空気が私のファッションへの興味へとつながっていきました。

 高校を卒業して東京の学校でデザインの勉強をしていた頃、アルバイトで働くようになったのが、信濃屋との出会い。この店の魅力に取り付かれてそのまま社員となり、今日まで年月を重ねています。』

 

 『横浜の信濃屋といえば、当時から老舗の洋品店として知られ、政治家から映画関係者まで、お客様はそれこそファッションに目ききの一家言お持ちの方ばかり。店で扱う商品も、それぞれにこだわりのある一級品ですから、二十歳そこそこの若造が簡単に売れるような代物ではありません。最初は「商品がわからないのに、お客様に売るな」と先代の社長に言われて雑用ばかり。でも、せっかく信濃屋で働いているのに、自分で商品が売れないのでは面白くないでしょう。そこで自分なりにもっと勉強をしようと、アメリカの「メンズウェア」など外国のファッション雑誌を買い求めては、いつも知識を貯えていました。英語はそれほど得意ではありませんが、ファッション用語だけはしっかりと頭にはいったものです。もちろん日本でそんな言葉を使っても、誰も知らないような時代ではありましたが……。こうして私がお客様に商品を直接売るまでには10年かかりました。

 ただ、店員として恥ずかしくない知識はあっても、その上をいくお客様がいらっしゃるのが、ここ信濃屋の老舗たる所以でしょうか。こんな思い出があります。

 いつもとてもダンディな着こなしをされていて、フラリと立ち寄られては、サッと好みのものを買っていく。それがまた、私たちをうならせるような品選びをする方がいらっしゃいました。ある日その方が麻のスーツをお求めになられたのですが、そのときに私に向かって「白井君、麻のスーツというのはね、3年くらい着こまないと、本当の麻の良さが出ないんだよ。だから3年目の味わいを出すために、最初の2年間はムダに着るわけだよ」とおっしゃられた。私はこの言葉を聞いて、自分の装いを楽しむゆとりや豊かさ、しゃれ心とはなにかを教えられたと思いました。』



 『ファッションに関する情報も、昔とは違いとても豊富になっていますから、最近のお客様は、スーツなどを選ぶとき、ブランド名や、値段をその基準にされる方が多いのは当然のことでしょう。しかし私はまず、その商品そのものを純粋な気持ちで見ていただきたいと思っています。デザイナーの名前や値段にとらわれるのではなく、自分の気持ちに触れるものをぜひ手にとって欲しい。

 仕立てのよさ、素材の良さも含めて、本当にいいものには人を惹きつける輝きがあります。その魅力があなたの心に共鳴するような、そんな出会いをしていただきたいと思います。』~信濃屋HP“白井俊夫のおしゃれ談義”より~











 今日は2010年の大晦日。私にとって、この一年は、“白井さん”に明け、“白井さん”に暮れる一年になりました。このブログ“白井さん”の最終回、タイトルは、やはりこれを措いて他にありませんでした。

 “SHIRAI STYLE”

 でも、今更私がここで何を言うことがありましょう。私が“白井流”について語るなんて、そんなことは天地がひっくり返っても不可能ですし、もう既に白井さんご自身が、冒頭に引用させていただいた、信濃屋さんのHP“白井俊夫のおしゃれ談義”において簡潔に纏められているのですから。思い返せば、この一年間は、“冒頭の一文”で白井さんが語られていたことを、私自身の耳目で確認する一年間だったのかもしれません。そして、一年が過ぎた今、自信を持ってはっきりこう言うことができます。白井さんの言葉は紛れも無く全てが真実でした、と。

 文中で白井さんは、

 “私はこれまでずっと、自分がいいと思うもの、その感じる心を大切にしてきました。”

 と、ご自身についてそう言います。私が見た白井さんもやはりその通りの方。白井さんは本当にご自身の心に正直な方でした。

 “正直”という徳目は、人が人の世を生きていく上で最上位に位置づけられている規範の一つですが、同時に、人が人の世を生きていく上でこれほど実践し難い規範もまた無いのではないでしょうか。何故なら、人が自分の心に“正直”であるには余程の“覚悟”と“勇気”も必要とされるからです。

 “白井流”が多くの人を魅了するのは、その堅牢な服飾理論、その類稀な美的感覚は勿論のこと、そのスタイルの根底に在る“覚悟”と“勇気”に人々が共感と羨望を感じるからなのかもしれません。もちろん、それは飽くまで私の勝手な意見ですが(笑)。
 
 最終回が近づくにつれ、私の筆が少し変っていたのを白井さんは見逃していませんでした。

 白井さん  『ここのところは好きなことばかり書いてるね。』

 私     『うっ、申し訳ありません(汗)。』

 白井さん  『ふふ、それでいいんだよ(笑)。』

 白井さんを知れば知るほど、端から見れば何気ない言葉のやり取りにも、私はそこに深い意味を感じることがたくさんありました。いつしかこのブログは、私にとって“着こなしブログ”という枠をとうに超え、“人生勉強”そのものになっていました。
 
 12月25日に最後の撮影を終えた後は、なんだか心にポッカリ穴が開いてしまったような寂しい気持ちになりましたが、ここ数日かけて、一年間の全ての記事を読み返してみました。粗ばかりが目立ち、どうしてもっと上手くできなかったのだろうと後悔の念も込み上げてきましたが、私にできる範囲のことは全てやりきったつもりですので、清々しい気分もあり、今はちょっと複雑な心境です。

 このブログをご高覧いただいた皆様、支えてくださった多くの方々、信濃屋の皆様には深く感謝しつつ筆を置きたいと思います。皆様、本当にありがとうございました(笑)。そして、白井さん・・・。

 撮影最終日は、本来ならきちんと白井さんにお礼を申し上げなければならないのに、何だか面と向って言うのは恥ずかしくて、そこで完全に終わりを迎えてしまうことが何故か切なくて、“良いお年を”のご挨拶もそこそこに、私は逃げるように信濃屋さんを急ぎ足で退散してしまいました。ただ、それではあまりに無礼極まりないのは承知のこと。電車を降り、家に向う道すがら、私は白井さんの携帯に電話を入れました。

 私、    『白井さん、一年間、本当にありがとうございました。』

 白井さん、 『はいはい、お疲れさまでした。』

 私、    『あれ~?白井さん今“お疲れさま”って仰いましたよ??』

 実は、白井さんは近頃よく、

 『最近の人はよく“オツカレサマ~”って言うでしょ。あれは嫌だね~芸能人じゃないんだからさ!普通に“さようなら”でいいのに。』

 と仰っていて、え~!その白井さんが??と、大事な最後のお礼の電話にもかかわらず突っ込んでしまいました(汗)。最後の最後まで言わでものことを口走る無礼にもかかわらず、白井さんは、

 『いいんだよ、こういう時は(笑)。お疲れさま。』

 そう静かに仰ってくれました。このブログを始めた当初は近づき難い“不世出の洒落者”だった白井さんは、ふと気が付けば、いつしか私にとってかけがいの無い“人生の先輩”になってくださっていました。もしかしたらそれは、私にとっての、このブログを続けてきたことへの“最高のご褒美”だったのかもしれません。

 白井さん、ありがとうございました。心から感謝しています。

 では、皆様、よいお年を!

                    Dec. 31st 2010  END