ひと日記

お気に入りのモノ・ヒト・コト・場所について超マイペースで綴ります。

Merry Christmas in YOKOHAMA

2010-12-25 04:00:00 | 白井さん














 『白井さんの魅力って何だと思いますか?』

 先日の信濃屋さんのクリスマスパーティーで初めてお会いしたO様は私にそう訊ねられました。

 O様は以前、信濃屋さんのスタッフとして白井さんと共に働かれていた淑女。当日、信濃屋さんのPCからこのブログを初めてご覧になり、私に親しくお声をかけてくださいました。とても快活な方で、パーティー会場ではデジタルムーヴィーカメラを片手に、カントリーを歌う白井さんの姿を中心に、ゲストの皆さんの楽しげな雰囲気を積極的にカメラに収めておられました。

 不意な質問にぐずぐずしながら答えに窮していた私に、О様はたった一言、

 『私は、白井さんって“横浜の魅力そのもの”だと思うんですよ(笑)。』

 と仰っていました。単刀直入でありながら女性らしい詩的な表現に、私も“まさにその通りです!”と、思わず快哉を叫んでいました。

 
 
 “横浜の魅力”・・・。

 東京に次ぐ有数の大都市でありながら、都市としての歩みは150年あまりと比較的新しく、尚且つその歴史は極めて独特で、個性的な発展を遂げてきた街・横浜。その中でも“開国”と“占領”という2つの歴史的な出来事と、それらをもたらした“西洋文明”は、今も昔も“港街横浜”と密接な関係にあるでしょう。船による海外渡航が一般的だった時代は言うに及ばず、羽田空港ハブ化の話題で賑わう現代でも、横浜港は我が国の輸出入最大の“窓口”であり続けています。日本の近現代史において、戦前も戦後も海外からの“新奇なもの”の多くが横浜から陸揚げされてきたのです。

 白井さんが海外へ仕入れに赴かれると、取引先の外国の方は日本に対する先入観からか、信濃屋さんの所在地を“TOKYO”と勘違いされることが時折あったそうです。もちろんその都度、

 『“YOKOHAMA”だよ。』

 と、白井さんは訂正されたそうですが、そう私に話された時の白井さんの語調はいつもより少し強めで、私は白井さんの中にある、横浜は日本における世界の窓“YOKOHAMA”であるという気概、そして生まれ故郷に対する“誇り”を感じました。

 我がふるさとを誇る心は大なり小なり、誰にでも在ることながら、横浜っ子のプライドを支える精神の中には、新奇なものを常に最初に受け入れてきた人々が培ってきた“進取の精神”と、それら受け入れたものを咀嚼し独自の文化に昇華させてきた“ものづくりの精神”があるのではないでしょうか。小さな日本刀を駆使し銀器に絵や文字を彫り込む技で山手の外国人を唸らせた刀彫り職人、独学で本家英国をも凌ぐ傘を作り続けてきた傘職人、白井さんが古くから愛用してきた横浜メイドのシャツは白井さんと共に海を渡り、その繊細で確かな技術はイタリーのシャツ職人の見本となりました。

 『私はこれまで、紳士服というものに、一方ならぬ情熱を注いできました。それは持って生まれた性分かも知れませんし、育った土地柄や、時代、あるいは信濃屋との出会いが、私の人生をそのように導いたともいえるでしょう。』(信濃屋HP“白井俊夫のおしゃれ談義”より

 横浜が百数十年に渡って醸成してきた“進取の精神”と“ものづくりの精神”は白井さんの中にも濃厚に存在し、それらは白井さんが仕入れや開発に携わってこられた品々において顕れ、その着こなしにおいて結実しています。

 白井さんは私に度々こう仰ることがありました。

 『何にでも関心を持たないとだめ。いつでもよく見てないと。』

 いつもと違う風景、色、形、匂い、肌触り、音、感覚を通して伝わる情報を、そしてそれを感じる心を大切にしなさい、と。何故なら“男の装いは心に共鳴する一着との出会いから始まる”(白井さん談)からではないでしょうか。

 筆が少々大袈裟でとりとめの無いものになってしまいました。やはり私如きには横浜の魅力を語ることは荷が重すぎたようですし、白井さんの魅力についてもまた然りです。もっとゆっくり時間をかけて少しずつわかっていくこと、なんだと思います。

 そして横浜は、昔も今も数多くの人や物が交錯する“出会いの街”。昨年末より続けさせていただいた“白井さん”はいよいよ次回が最終回となります。更新は12月31日を予定しています。このブログを通じて私に多くの出会いを与えてくださった横浜の街、信濃屋さん、支えてくださった皆様、そして白井さんにたくさんの感謝を込めて、
 
 Best wishes for your Merry Christmas !