ひと日記

お気に入りのモノ・ヒト・コト・場所について超マイペースで綴ります。

濃紺のスリーピース

2010-06-05 04:00:00 | 白井さん


 今日、遅い朝飯を済ませた後、陽気に誘われて散歩をしようと思い起った。

 明るい陽射しに合わせて白蝶貝のネイビーブレザーを選ぶ。ライトグレーのトロピカル織りのパンツに足元は信濃屋オリジナルのUチップ。シャツは休日気分を一人盛り上げたくて麻のギンガムチェックを選ぶ。近所を歩くだけなのだからそんなことはしなくても良いのだろうが、でもちょっとだけドレスアップもしたくて濃紺のニットタイも結んでみた。フランコバッシ(伊)のものだが締める時のシャリシャリした感触が好きなのだ。当然靴下はタイの色に合わせる。ポケットカチーフは茶のシルクペイズリーを裏返しにして挿してみた。裏側は無地で、どことなく白井さん秘蔵の日傘のシルク地に光沢と色が似ている。陽射しに映えるかな?と思ったのだ。この日傘についてはいづれ必ずご紹介させていただけると思っている。

 何の予定も無い休日の昼下がりは何とも気分が良い。自然、歩調は緩やかに、歩幅は大きくなってくる。最寄り駅ビルにある本屋へ向った。

  

 『“池波正太郎”入門に最適な3冊!!』

 という謳い文句が目に留まった。『食卓の情景』、『男の作法』、『散歩のとき何か食べたくなって』の三冊が書店員のお薦めとして並んでいたのだ。

 池波正太郎

 言わずと知れた時代小説の大家である。映画通、食通としても名を馳せておられる。私もある時期、一念発起して『鬼平犯科帳』に挑戦してみたことがあったが、

 「おれも妾腹の上に、母親の顔も知らぬ男ゆえなあ……」(第一巻の第一話『唖の十蔵』のラストシーン)
 
 という長谷川平蔵の台詞で私の『鬼平』挑戦は中断したままだ。

 『“池波正太郎”入門に最適な3冊!!』

 まさに私のような根性無しをターゲットにした素晴らしい企画だ。早速その三冊を手にとってパラパラと捲ってみた。『食卓の情景』はどうやら池波“食”文学を代表する作品のようだ。本の厚さも3冊の中では一番厚い。『男の作法』には靴やネクタイなどの服飾についてのエッセーが載っていたので興味をそそられたが、何せタイトルが“男の作法!”だ。読む前から叱られているような気がしてしまう。完全に位負けである。そう、こんな時は一番簡単そうなものを選ぶに限るのだ。

 『散歩のとき何か食べたくなって』

 私も散歩のときは何か食べたくなる方だ。目次に“横浜あちらこちら”ともある。明日白井さんとの話題の肴になりそうだ。よし!これにしよう!私は『散歩のとき何か食べたくなって』を買って近くの馴染みのカフェに向った。案の定、何か食べたくなったので珈琲とともにプリン・ア・ラ・モードも注文した。



 『そのころの横浜のエキゾチズムを何と語ったらよいのだろう。秋になると港には夜霧がたちこめ、その港の霧が弁天通りのあたりまでただよってい、ペルシア猫を抱いた異国の船員がパイプをふかしながら、霧の埠頭を歩いて来て、自分の船にあがって行くのを見て、わけもなく感傷に浸ったりしたものだった。』(新潮文庫『散歩のとき何か食べたくなって』池波正太郎著より)

 東京生まれの東京育ち、生粋の江戸っ子である池波氏は往時をそう振り返っていた。10代の頃、横浜を初めて訪れたときは『東京の近くに、こんなに、すばらしいところがあのか・・・・・・』と思ったそうである。大作家なのになんと素直な心情表現だろうか、と私は内心驚いてしまった。でもよくよく考えれば、私も横浜を初めて訪れた時は全く同じ感想を持ったし、それは今でも変らない。私の中で池波正太郎という作家は“強面”でとっつき難く近寄りがたいイメージがあったのだが、これでぐっと近づけた気がした。

 文中、池波さんは、弁天通りのカフェ『スペリオ』のマダムの話、常磐町のカクテル・バー『パリ』で憶えたウイスキーの味、南京街『徳記』の腰のつよいラウメン、曙町の牛なべ屋『荒井屋』のロース鍋やあおり鍋、伊勢佐木町『博雅』の焼売、戦後、同じく伊勢佐木町の居酒屋(兼)食堂『根岸家』で織りなされていた奇々怪々の世界の話などをご披露されていた。『荒井屋』や『博雅』は白井さんからも伺ったことがあったっけ(笑)。ここでいきなり前回訂正だが、白井さんが鰻屋さんなのに何故か親子丼を召し上がるお店は元町ではなくて関内にあるお店だそうです。

 池波さんの文章はごく簡潔で平明達意の極みだ。同時に横浜への愛着も感じらる。私は池波さんの筆で私の知らない横浜を案内してもらった。



 池波さんは最後にこう結んでいる、

 『これからは暇をこしらえて、度び度び、横浜へ行きたいものだ。そして横浜を舞台にした小説を書きたいものだ。』

 と。ここでハタと我に返り妙にしんみりしてしまった。私は現在週に2度、横浜を訪れ、小説ではないが、こうしてブログを書いている。そう、これはかなり贅沢なことなのだ。池波さんにはいい迷惑だろうが、何だか池波さんと時空を越えて同じものを共有している心境になってしまった。池波さん、頑張ります!

     

 白井さんはこのところいつも、

 『どう?今日は収穫あった?』

 と私に聞いてくださる。このブログの内容を気に掛けて下さっているのだ。この日も、前回の更新であまりに服の話が少なかった(というより殆ど無し)のを心配されたのか、

 『この前のね、セントアンドリュース(伊)のブレザーだよ。』

 と前回の補足までしていただいたのだ!ただ、私も最近はセントアンドリュースの服だけは判るようになってきていて、前回のブレザーも“あ!セントアンドリュースだな”と直感していた。正直に言うと“迷った時はセントアンドリュース!と考える”と言った方がより正確なのだが、それは、それだけ信濃屋ネームのこのメーカーの服が私にとって特別な存在になっているとも言える、ということなのだ。

 白井さん  『今日のは間の時期に着る服。イザイア(伊)のス・ミズーラ。今は知らないけど当時はアルニス(仏)にしかやってなかったんじゃないかな。生地はカルロ・バルベラ(伊)。』

 私     『今日のスーツは“濃紺”でしょうか?』

 白井さん  『これは“濃紺”って言っていいだろうね。ちょっとギャバディンっぽい感じだけどね。靴はセブン・アイレッツ!』

 私     『フローシャイム!』

 白井さん  『そう、フローシャイム(米)。表はあんまりだけど底は減らないね~この靴は(笑)。』

 今日の白井さんは濃いめの“ブルー尽くし”だ。また、ブルーの服に黒の靴を合わせられたのは今回が初めてだ。シャツ、タイ、チーフにはそれぞれ違うパターンを用いられている。まことに難しい高度な着こなし!そんな印象だった。

 今日の白井さんは努めて多くの情報を私に与えてくださった。白井さんありがとうございました!ただ最近は、個々の品についての情報も知りたいと思いつつも、白井さんがそれぞれを“どう組み合わせているか”ということが私の中でより重要になってきている。更に、許されるならば、何故その組み合わせにしたのか、その感覚を生み出す元は何なのか、より深く掘り下げられればと思っている。そして、白井さんの背景にある横浜という街にも私は今、深い関心を抱いている。