皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

西新宿 策の井

2018-12-08 19:47:13 | 史跡をめぐり

新宿駅西口を出て都庁に向かう途中青梅街道を左に一本入ると、新宿エルタワーの緑地の中に小さな史跡を見ることができる。現在は都の旧跡指定となっている、「策の井」と呼ばれる井戸の跡。「策」は即ち「鞭」と同意でかつて家康公がこの地で鷹狩に用いた鞭を洗ったとする伝承に由来するという。

都の旧跡書によれば、江戸期より名井として知られ天保年間に出版された戸田茂睡の「紫の一本(ひとひも)」の中に『策の井は四谷伊賀の先にあり、今尾張摂津下屋敷内にあり、東照公鷹野に成られし時、ここに名水ある由きこし召し、水を召し上げられ、御鷹の策の汚れを洗われたる故、この名あり」と記されているという。同じく享保年間に記された「江戸砂子」にも同様の記載があり、昭和年十六年に都の旧跡となっている。

 

史跡と旧跡に違いにつてはその指定が戦前ならば旧跡、戦後であれば史跡とされているようだ。都内には勿論多くの史跡が残っており都市開発と共にその形も補修されたものも多い。オリンピックを一年半後に控え都庁周辺の工事も師走を迎えながらあわただしく進められていた。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

monaka

2018-12-07 23:03:21 | 食べることは生きること

 十万石の福久俵最中を頂いた。歳と共に和菓子が好きになっている。一時期にしろ、和菓子の業界にお世話になった縁に感謝している。あの頃もっと和菓子や原料について学んでおけばと後悔しつつ、現在も食品関連の会社に身を置きながら食についての知識も浅く、恥ずかしい思いをすることも多い。

最中の皮を最中種といい、和菓子屋さんによっては問屋から買い入れ自店の餡を入れて商品化するところもある。最中種を専門に焼く店があり、問屋が仕入れて別の和菓子屋に卸していた。十万石の最中種はもちろん自社製造で新潟黄金餅を使っていると品書きにある。うるち米の品種はここ数年かなりブランド化が進み、各都道府県において新しい品種が生まれTVCMも流れる時代だが、もち米についてはあまり知られていないように思う。関東では千葉のヒメノモチ、米どころ新潟ではわたぼうし、こがねもち、東北では宮城黄金餅、岩手ヒメノモチなどを扱っていた。それぞれのしもちに向くものや赤飯にするものなど様々で、和菓子屋によって好みがありお店の品質として選ばれる。

笑い話になるが、営業に出たての頃何も知らず北海道の大手和菓子メーカーの埼玉工場に商談に行かせてもらった際、「弊社の今年のおすすめはこの新潟特選米(わたぼうし)です」と商品開発担当者に案内してしまったことがある。開発課長は笑って「君ね、うちは十勝のブランドだよ」とあきれられてしまった。かえって何も知らない担当者だとかわいがってもらい、取引の商材を増やしてもらったこは懐かしい記憶の一つになっている。

最中の餡は皮種が湿気を含むのを避けるように水気を少なく仕上げることが多いという。その分砂糖の量が多くなり、照りや粘りが強い。十万石の福久俵は販売時に餡と最中種を別にして食べるときに挟むようにしてある。これだと最中種のサクサクした食感が失われることがない。

池の面に照る月なみを数ふれば今宵ぞ秋のもなか(最中)なりける


拾遺和歌集にある歌が最中の由来とされているらしい。宮中の月見の席において白くて丸い餅菓子が出たのを見て「もなかの月」と呼んだとされる。江戸時代になって「最中の月」として命名され円形でないものが出回り、「最中」と呼ばれるようになったという。

FM79.5ラジオリスナーにとって「最中」といえば「monaka」であり、平日10時からの人気番組だ。リスナーのあん(案)が詰まったという意味と、聞き手が仕事の「最中」愛される番組という意味らしい。

十万石のお品書きにある「幾久しく」幸いあれというのもまた美しい大和言葉だ。今年の大河ドラマ「西郷どん」の中盤に、13代将軍家定が篤姫に向かって「そなたと幾久しく」と繰り返し口にしたシーンが印象深い。家定を熱演したのは芥川賞作家となったピース又吉氏だった。

 

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡古井 通殿神社

2018-12-04 22:01:36 | 神社と歴史

 加須市岡古井の地名の由来はとても興味深い。埼玉の神社によれ長暦三年(1039年)合の川の氾濫による大洪水で、不動明王がこの地に流れついたという。ところが拾い上げたところ地面が揺らいだ。地震が起きたのだという。洪水で騒いでいたところを続けて起こった天変地異に村人はたいそうおどろいた。お不動様が怒ったに違いない。慌てて不動様を川に戻して流すことにした。この不動様を拾い上げたところを岡古井村といったそうだ。岡震えから岡古井と転じたという。話はそれるが、皿尾の久伊豆大雷神社には昔からこの岡古井からの参拝者が多い。虫封じ祈願に来られる方もいた。どういうご縁でこの地から参拝にいらしているのか由来は不明だが、私が子供のころから参拝者名簿に岡古井の地名が書かれていてことを聞かされていた。今でも月参りに来ている方もいらっしゃる。

 その後川の流れに戻されたお不動様が行き着いた先は岡古井の東にある岡村というところであった。合の川に中州に留まるお不動様を村人が拾い上げ不動明王を祀ることにした。現在の加須市の総願時、地名は不動岡になったという。

岡古井の村社とされる通殿神社。其の創建は社伝によると、その昔この地を訪れた奥州の修験者が水害に苦しむ村人を見て、救済するために一念発起し厳島神社を勧請したとされる。社名は蔵王権現が訛る過程でザオウドノから、ゾウドノ、ズドノと転化し「通殿社」となったされている。今でも名残から「権現様」と呼ばれるという。ご祭神は市杵島姫命。宗像三女神の一柱で弁天様と同一視されている。水の神様である。

温和な女神である故神輿を揉んだり獅子舞を奉納することはないという。かつて一度天王様の神輿を作って担いだところ、白い大蛇が表れて田畑を荒し、村に疫病が流行ったという。以降神輿は他所へ譲られ、賑やかな祭りは行わないようにしたという。一説にその白蛇が御神体になったとも伝えられる。

須佐之男命を祀った神社では天王様と称して神輿を揉むことが多い。御霊振りという信仰だ。一方天照大神や天神様など、静かに神輿を出すところもある。女神として、或は大宰府に流された菅原公の怒りを買わないようにする信仰だ。

神輿を出さない代わりに、八月一日に名越祭を行うという。社殿正面の柱に菰を束ねた輪を立てて

参拝者が潜る。所謂輪潜り神事で、疫病除け無病息災を願い、人形も流すという。

不動様は隣村に流れていったが、疫病除けの信仰を守りながら権現様は村の暮らしを静かに見守っているという。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人斬り半次郎

2018-12-03 21:54:47 | 神社と歴史
大河ドラマが大詰めを迎えている。幕末から明治維新を駆け抜けた西郷隆盛の生涯を描いている。構成に関して意見もあるようだが、毎週楽しみにして見ている。一年間、その時代を旅する様な感覚だ。
いよいよ西南戦争に突入したが、主人公西郷吉之助の右腕として、その最後の内戦を指揮したとされる、桐野利秋。元の名を中村半次郎といい、貧しい士族の家に生まれ苦労して生き抜いた様子がドラマでも描かれていた。幼少期に芋泥棒として捕まりながら、剣術で捕まえた相手を叩きのめし、西郷に芋泥棒のラッセンボと言われていた。今回の大河で桐野を演じているのは、大野拓郎。さいたま市出身でとてもカッコいい。すっかりファンになってしまった。
西郷に軍人として見出され、明治陸軍の近衛将校とまでなったが、明治六年の政変で、西郷が薩摩に帰ると、桐野もその地位を捨て私学校で後進の指導をしながら、一生朽ち果てる覚悟で百姓となった。前回の放送で、政府の密偵を突き止め涙ながらに西郷に詰め寄る場面が最高だった。廃刀令で、士族の魂である刀を差し出し、録を廃止されて生きる術も奪われ、最早士族の生きる場所はない。ましてや、西郷の命を狙われては、命を捨てて立ち上がるしかないと西郷に迫った。
わかったと言って立ち上がる西郷。
いよいよ最後の戦いに向かって行くのだが、薩摩軍の実質の指揮官は、桐野利秋だったとされる。新撰組の土方歳三にも恐れられていた、人斬り半次郎であったが、指揮官としては無力であったとも伝えられている。田原坂の本体とは別に山麓方面で政府軍と激突した桐野利秋部隊。最後の戦いがどう描かれているのか、あと二回の放送が待ち遠しい。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕と車と黄帽子

2018-12-02 21:49:05 | 物と人の流れ

 自動車なしでは生活もままならない北武蔵の田舎町。車は生活の必需品、仕事に行くのも買い物に行くのも欠かせない。今月は車検を迎え、先月に予約しておいたイエローハットに夕方持ち込んだ。明日一日で戻してもらうため、朝一ではなく前日に持ち込み台車を用意してもらった。

事前に見積もりを取り、必要書類をそろえ準備万端の手はずだった。鍵を渡し代車を借りる書類にサインして、確認のため免許証を出そうとすると免許書がない。財布のどこを探してもない。あたふたしていると店のスタッフが心配してくれた。『ともかくよく探して、無ければすぐに紛失の届をした方がいいですよ。車検自体は受けられますから』途方に暮れ思案しているところ親切に気遣ってもらった。

 代車はあきらめ車検だけはともかくお願いし、潔く家まで歩いて帰った。案の定家のコピー機に挟まっている免許証。先日手続きでコピーしたまま忘れていた。うっかりでは済まないだけに反省するばかり。

 イエローハットが好きだ。車にあまり興味はなく、必要最低限の整備しかしないライトユーザーだが、車のことはほとんどイエローハットにしている。以前仕事も忙しく車検の時期を過ぎてしまったことがある。慌ててディーラーに電話すると、車検切れの車の持ちこみは受けられない旨のことを言われ、藁をもすがる思いでイエローハットに連絡すると『お気をつけてお越しください、対応しますから』とあっさり受けてもらったことがある。コンプライアンス云々よりもお客の立場に立っているかの違いだ。困っているときに助けてもらったことはやはり忘れられない。

社名の由来は小学校の児童がかぶる黄色い帽子からきているそうだ。人と車との共存と交通安全を願ったものらしい。20代の頃創業者である鍵山秀三郎氏の本を読んだことがある。『凡事徹底』や『日々是清掃』といった小冊子だ。確かイエローハットの待合所に置いてあった覚えがある。物を整理し掃除をすることは気持ちを整え無駄や汚れに気づくようになるとして、会社のトイレ掃除から取り組み会社を発展させていったそうだ。退任後は「日本を美しくする会」を発足させ海外にまでその活動が広がったという。

本の中の言葉に「一つ光る、皆光る、何もかも光る」というのがあった。何事においても身近なことから徹底的に磨き上げれば、万事が輝きだすという教えだ。迷ったとき目の前のことに集中することの大切さを教えてもらった気がしている。

日曜の夕方過ぎでピットは忙しそうであったが、受付の担当の方は丁寧であり難い。タイヤの履き替え時期で益々これから忙しくなるのだろう。明日また田舎道をのんびり歩きながら車を取りに行くことを楽しみにしている。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする