皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

ポンジ・スキーム

2017-11-17 23:28:01 | 物と人の流れ

 昨日畑の垣根に当て逃げされ、被害届を申請に警察署へ赴いた。実際にはほぼつかまらないと思うが、事故の証明書だけは申告することにした。世の中何が起こるかわからない。
 オレオレ詐欺、還付金詐欺、ねずみ講詐欺など詐欺犯罪は後を絶たない。低金利時代において、高利回りを謳った出資詐欺も多いらしい。なくもない条件の金利で出資を募り、数回は利息を還付したうえで信用させ、追加出資をさせてから口座を閉じてしまうらしい。運用すると見せかけて、新たな出資金を募り続ける自転車操業と呼ばれるやり方らしい。困ったことに一度利息をもらった出資者が、身近な知人を勧誘してしまい、トラブルになるらしい。考え付いた人の名前チャールズ・ポンジの名前に由来する。
騙されるほど資産などないが、詐欺師は騙しやすいところから広く浅くだまし取るという。
 金持ちになって自由に暮らしたいと思う。そうした下心に足元をすくわれるのかもしれない。
 
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ロングビーチ小磯!

2017-11-16 21:20:53 | 記憶の片隅

 大将先生の講演会にて思い出したこと。遠い昔の記憶。
吉田先生はいつもダジャレばかりを言っていた。講演会でも変わらなっかた。「調子が出ない、調子調子というけれど千葉県(銚子)じゃない!」こんな具合。親とは木の上に立って見る。そんな肝心要の漢字ができないと感じが悪い。そんなことを言っていた高校の先生もいた。
 中学2年生の時。遠足か社会科見学の引率の先生を吉田先生が生徒に紹介する場面があった。もちろん自分のことは「〇年〇組は大将!吉田博先生」
 そして僕のクラスは英語の担任の小磯先生。きれいな女の先生だった。
 「2年4組はロングビーチ!小磯先生!!」とアナウンスした。一瞬なんのことだかわからず、首を傾げた。後から友達に尋ねると、こう答えてくれた。
「大磯ロングビーチだよ」当時芸能人によるTVの水泳大会がよく放送されていた。アイドルの水着大会だ。松田聖子や柏原芳江が出ていたと思う。その水泳大会が大磯ロングビーチでやっていた。多くの大人が見ていたと思う。
そんなフレーズで突然紹介をされた小磯先生の苦笑いが忘れられない・・・
昭和六十二年、中学校での遠い記憶。

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大将先生の講演会

2017-11-16 20:09:53 | 生涯学習

 今日は地元星宮地公民館にて「人権教育講習会」が行われました。演題は『思春期の子育てと親のあり方』について。講師は行田市家庭児童相談員の吉田博先生です。吉田先生は行田市内の中学校に勤務し、退職後家庭児童相談員となり、昨年まで全国家庭児童相談員連絡協議会の会長を務めていらっしゃいました。また忍中学校に勤務時は県内で初めてラグビー部を創設したことでも知られています。私が在学中にもお世話になりました。いつもダジャレばかり言っていたのをよく覚えています。また趣味のギターを続けており、市内各所で「行田の大将」として講演とギター演奏を行っています。2年ほど前に朝日新聞の埼玉版にも取り上げられていて、今日星宮地区にいらしゃるのを楽しみにしていました。
 『思春期の子育てと親のあり方』という講演ですが、来場者は50名前後でしょうか。多くの方が子育てを終えて数十年も経った先輩ばかりですが、私と同じように小学校の子を持つ親も数名来ていました。
 人権教育についてのお話は約1時間。ですがダジャレを交えながらの時事問題等にふれあっという間の時間でした。
江戸期に始まった士農工商制度は、同和問題の出発点です。まず生まれながらにしての身分の違いがあってはならないということでした。思春期にあたる12歳からの数年間は「自分探し」と「自分づくり」時期。親と距離を置き、自立しようとする時期です。依存と自立の狭間で素直になれないとき。親の言葉はわかっていても耳に入らないものです。そこで親の方が手を抜いてしまうと、子供は見放された感覚をおぼえるといいます。心配せず話かけることを続けることが大事だそうです。まさしく我が家の事のようでした。
 親子にとって目指すべきは子供の自立です。自立とは「生きる力」を身につけること。人生を楽しみ、日々起こることに対応する力の事です。大事なことの一つに苦しいことに耐える力、感情をコントロールする力が必要だと知りました。最後は自分の人生をどう生きていくかを決めることだといいます。つい経済的に自立するようレールを敷きたがることが多くなりがちです。親とは木の上に立って見ると書きます。自分が死んだ後の子のことを考えることです。それが保護者ではなく親の役割だそうです。自立にあたっての特効薬はなく、手を抜かないことだといいます。
 自立のための五つの条件です。
①時間管理能力を身につける。
②健康管理能力を身につける。
③物を管理する能力を身につける
⓸自己表現能力を身につける
⑤人間関係を円滑にする能力を身につける
「ならぬものはならぬ」と言えるか、子供と向かい合っているか、悩みは尽きませんが、一人で抱え込まず、多くの人と共有し前向きに生きることが大事だそうです。

第2部はギターステージ『大将』です。先生は「エレキの神様」と呼ばれる寺内タケシ氏に憧れ、師事し(自称)市内各所で公演しています。浮き城まつりにも出ていたと思います。ソーラン節や天城越えなど演歌の曲目も聞かせていただきました。「いい日旅立ち」など会場全体で聞き入り、アンコールも起こり予定時間30分以上過ぎても拍手が鳴りやみませんでした。

講演の記念に公民館からパンジーの花をいただきました。黄色のパンジーの花言葉です
「つつましい幸せ」「田園の喜び」
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埼玉から始めよう

2017-11-15 00:13:08 | 物と人の流れ
昨日11月14日は埼玉県民の日でした。中学、高校までは大手を振って休めましたが、会社勤めだとそうはいきません。今年はたまたま家族そろって休みがとれましたので、近くを満喫、長瀞巡りに出掛けました。埼玉自然の博物館は県の運営で、県民の日は入館無料です。おかげで館内は家族連れでごったがえしていました。動物や地層の解説など、静かな時に落ち着いて見たいと思います。やはり古代における東京湾の進退により、埼玉の地形は大きく変化してきたことがわかります。
上長瀞から石畳を歩くと、川下りの船が間近に見られます。


]小学校以来宝登山ロープウェイに乗り、宝登山神社奥宮に参拝できました。
この様子はまた改めて書きたいと思います。見事な紅葉に巡り会えとても思い出に残る1日となりましたが、埼玉について、昨日のラジオの話が耳に残っています。埼玉の人口は約730万人。東京圏として高崎、宇都宮線、東武東上線、川越線といった東京へのアクセスの線における都市間の交流は盛んだが、横の繋がりが少ないそうです。かつての日光街道、中仙道、川越街道を始めとした江戸を中心とした経済と文化の流れが、いまだに続いている。近年ようやく外環道が開通し、人とものの流れが少し変わる可能性が見えてきたそうです。そこでイノベーションが起きれば、埼玉も大きく変わるかも知れません。イノベーションとは知の探求。埼玉の人が埼玉を知らずしてどうする!そんな事を感じた貴重な県民の日になりました。
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中條堤と治水の歴史

2017-11-11 21:33:37 | 史跡をめぐり

行田市の最北部にあたる北河原地区。利根川支流である福川に沿った田園地区です。照巌寺という寺院の先には中條堤(ちゅうじょうてい)と呼ばれる堤が現存します。利根川と福川の合流に位置し利根川の堤防に直角に引かれるように続いています。この堤防により増水時には利根川とかつては荒川の水まで熊谷、深谷の一部にまで意図的に氾濫させ、下流の洪水を結果的に防いでいたとされます。いわゆる江戸の防水堤だったのです。
 この付近は利根川の勾配が緩やかになるところで、治水上重要な場所であったようです。下流の行田市酒巻と千代田町瀬戸井間に人工的に狭窄部を作り、群馬県側には文禄堤が築かれ、三方向から利根川上流で発生する洪水を受け止める仕組みでありました。

 中條堤の起源は延徳二年(1490)成田親泰が築いた説、また天正二十年の松平家忠の説など諸説あるそうです。また江戸を洪水から守ってきたこの治水の仕組みは上流側と下流側で利害が対立し、争いも起こったとされます。江戸幕府や明治維新政府の強権によって維持されてきましたが、明治四十三年の大水害で中條堤が決壊し、修復をめぐって埼玉県政は大混乱に陥ります。上流側の増築反対の決議に対し、強化復旧を主張する下流側住民の多くが警察の制止を振り切り県庁に殺到、結果高さは維持しながら堤防幅を広くすることで妥協が図られます。
 その後中條堤は復旧されますが、こうした治水の仕組みは終わりを告げます。しかし利根川堤防の強化が図られる前にカスリーン台風(昭和二十二年)
による大洪水が発生し、渡良瀬遊水地の調整池といった形で中條堤の治水の概念が現在に引き継がれることになりました。
一段と高い堤の上から見渡す田んぼの景色と空の青さは美しく、時間を忘れ眺めていました。


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