戦艦「三笠」は明治三十五年(1902)イギリスのヴィカーッス造船所にて建造されています。
日露戦争における日本海海戦ではロシアバルチック艦隊を対馬沖で迎え討ち、東郷平八郎司令長官の連合艦隊旗艦として常に先頭に立ち、海戦史上例を見ない圧倒的勝利を導いた銘艦です。
日露戦争後、佐世保に入港した際、火薬庫の爆発により沈没したものの、引き揚げられ現場復帰し、海上防衛警備の任務を全うします。大正十二年(1923)現役を退き、廃艦になることが決まりましたが、ワシントン軍縮会議において記念艦となることが認められ、大正十五年に横須賀の地に保存されました。
昭和二十年(1945)太平洋戦争に敗れて連合国が進駐し連合司令部の命令により「三笠」は艦橋、マスト、大砲、煙突など上部構造物のすべてが撤去され荒廃します。昭和三十年(1955)に至り国内外から記念艦「三笠」の勇姿を取り戻そうとする声が高まり多くの人々からの募金、政府による予算、さらにはアメリカ海軍などの支援によって、昭和三十六年(1961)に元の姿を取り戻すことになります。
ねん
「三笠」は英国「ヴィクトリー号」、米国「コンスティテューション号」と共に世界三大記念艦として広く知られ、平成二十八年(2017)四月二八日に日本遺産にも認定されています。尚、同時期に埼玉県内初の日本遺産認定となったのが行田市の足袋蔵でありました。
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