皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

谷郷 春日神社①

2018-09-13 17:39:11 | 神社と歴史 忍領行田
成田十五代当主下総守親泰は、成田家の氏神として大和の春日大社から春日神社を勧請している。親泰は、文明年間に児玉重行が居城する忍城を攻めて、児玉氏を追い出し本拠を成田館から忍城に移したとされている。神社の創建もその頃で社の裏の森には大樋が設けられ、これを閉めると忍城の堀と沼の水源が断たれ、佐間の天神社の沼尻の樋を開ければ同じく城廻りの水は干上がるようになっていた。よってこの地は忍城の水の要として重要な所で、成田氏の重臣正木丹波守が邸宅を構えて、城を守護していたという。現在住宅地が立ち並ぶようになったが、神社北側には農地が広がり、元荒川用水の排水が神社前を通り忍川へと流れている。
御祭神は武甕槌命、斎主命、天児屋根命、比売神の春日四神。春日の神使は鹿で成田氏が藤原氏の家柄であったことから、勧請以来毎年二頭の神鹿が春日大社から贈られてきたという。村人は神の使いとしてその鹿を大切に育てたという。今でも御鹿社が境内の一番奥に摂社として祀られている。ところがその鹿はある事件がもとで、来なくなってしまったことが、逸話として残っている。(続)
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