皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

鷲宮町 八甫鷲宮神社

2019-02-17 20:08:36 | 神社と歴史

東鷲宮駅から車で北へ1㎞ほど走ると古利根川の流れをくむ中川右岸にに広々とした農地が広がっている。旧鷲宮町八甫という地名で、中川が利根川の本流だった頃、八艘の船が帆を揚げて通れる大河であったことから「八帆」と呼ばれたのが転じてなったといわれている。

現在も神社裏には北側用水が流れ、広がる田んぼは昔を偲ばせている。

『明細帳』によれば創立は長禄年度(1457-60)埼玉郡鷲宮村鷲宮神社の別け御霊を祀る。社殿は白石与右衛門の発願にて建立するとされる。その白石与右衛門のまつわる逸話が残っている。

その昔開拓が進み八甫村が今の広さになった頃、千石の年貢が課せられた。村人は年貢が高すぎて納めきれず苦しんでいたところ、ある年白石与右衛門が願主となって鷲宮村の鷲宮神社に年貢の軽減を祈願し成就の暁には鷲宮様を八甫の鎮守として勧請することを約束した。すると翌年から年貢は九百石余に減り、助かった村人は約束通り鷲宮様の分霊を御迎えし村の鎮守とするようになったという。

 拝殿と本殿の並びの様子が勧請元の鷲宮神社と似ている。御祭神は大己貴命・天穂日命・天夷鳥命の三柱。ササラと呼ばれる獅子舞の神事が無形文化財として指定されている。ササラとは簓と呼ばれる竹製の楽器を用いたことからそう呼ばれるという。江戸期に館林で行われた競演会(寄席ザサラ)で優勝し、領主から褒美として弓を拝領したという。獅子が舞を奉納し村境にて悪魔よけの辻固めを行って回るという。

御祭神大己貴命の子息である建御名方命が本殿を守るように神社北の口に祀られている。

諏訪社が北の口に祀られているのはあまり見られない。記紀神話の国譲りにおいて、天津神、建御雷命に中津国を受け渡すよう迫られた際、それならば力比べをしようと挑んだのが建御名方命。諏訪大明神に守られるようにハ甫の鷲宮神社は建っている。

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