サッカーの街浦和区、調神社には氏子の間七不思議と語り継がれる伝承逸話があるという。
①鳥居がない事。先述の通り、かつて調物を納めた御倉と祀った社であることから、それらの搬入に妨げとならぬよう神門や鳥居が取り除かれたという。大和国一宮大神神社に代表されるように御神体が自然の姿であるところは所謂、本殿がないという形式は多くみられるが神域を示す鳥居がない神社は特殊である。神社の創建に関わる伝承でとても興味深い。
②境内に松がない事。
御祭神の天照大御神が境内の松で目をついたため松がないという。また弟神、素戔嗚尊が大宮(氷川神社)にいったまま戻らないことから「待つのが辛い」として松を植えないという。
こうした逸話は非常に多く、各地で見られる。同じようにとうもろこしで目を突いたため植えないといった伝承も各地に残るが、これは農地の転用を戒める意味合いがあると考えられる。
③御洗瀬のこと
飛地にある境内地の御手洗瀬の瓢箪池に魚を放すと必ず片目になる。
こうした沼地の片目、片葦伝承も多い。忍領においては埼玉小崎沼におなじ伝承が残っている。この地に鍛冶師が住み着き、長らくの仕事で片目が見ずらくなったことを伝えたとされている。
④使姫兎のこと
神の使いとして兎を敬い御眷属の像として祀った。氏子は神使いとして決しって食することがなかったという。
⑤日蓮上人駒繋ぎ欅の事
日蓮上人が佐渡への流罪の時差し掛かると、名主青山家の妻女が難産で苦しんでいたので境内の未申の方角にある欅の大木に駒を繋ぎ曼荼羅を掛けて安産祈願すると、楽に男子が生まれたと伝わる。
弘法大師と並んで日蓮上人の伝承も数多い。没後の日蓮宗の教義と共にこうした逸話を伝えながら、布施を募ったことが窺える。未申は南西方向を指し鬼門の北東方角(丑寅)の反対方向であることから裏鬼門と呼ばれ、忌み嫌われる方角である。
⑥蠅がいないこと
⑦蚊がいないこと
国学者平田篤胤の「調神社考証」によれば神宮への奉納を集める倉を清浄と尊ぶことから
境内にこうした虫を寄せ付けないという。
埼玉の中心駅から僅か10分ほどの清閑な場所にこうした逸話や伝承が残る古社が泰然と鎮座していることが埼玉の良さの一つだと感じる。
昨日会社の会議が浦和であり、私は初めて参拝しました。社務所で御朱印を頂こうととすると、神職様は以前長瀞の神社にて、お世話になった方でした。ここでも縁は繋がるものだと感じております。
浦和の町はとても洗練された感じで、行田から行くと気後れしてしまいそうです。
倭姫命が選んだ地というのは、とてもロマンを感じてしまいます。