加須市大利根方面から栗橋に入ると、青々とした水田地帯が広がっている。旧栗橋町西部の区域で大字を狐塚という。古くは田圃の神として狐を祀った塚があったことに由来するという。
村内には高秀寺と泉福寺という二寺があり、後者が別当であったという。『風土記稿』高秀寺の項には「鐘楼 延宝三年(1675)の鋳造の鐘を懸ける」とあり神社境内の池には寺の鐘が沈んでいたとの逸話が残っている。
また参道わきには従軍碑が建っており、明治以降も当地が地域の信仰の中心であった事がうかがえる。
鹿島神社と氷川神社が合祀されている経緯が、地域性を象徴するようでいかにも面白い。「風土記稿」においては氷川神社の記載はなく鹿島神社として載る。口碑によれば昔当地が下総国に属していたころ、一宮香取神宮を祀り、次に常陸国へ入植する過程で鹿島神社が祀られ、江戸期となって武蔵国に編入されるにあたり、氷川神社を勧請したという。
よって現在でも社号額は「鹿島大明神・氷川明神」との併記となり、二間社の本殿を有している。
当地にはいくつも沼があり、利根川の氾濫によって生じた水害地帯であることを物語る。逸話に関しても水害にかかわるものが多い。明治四十三年合祀政策によって他社との合祀が図られたところ、幣帛を持ち出した途端大水が出て中止となったという。また昭和二十二年の洪水に際しては中川昭和橋付近で逆流した水が神社周辺に押し寄せたものの、神のご加護により社殿が流されずに済んだという。
利根川の歴史とともに歩んできた区域だけに、多くの水にまつわる伝承が残っている。水とともに生き、水に悩まされてきた栗橋の町。現在の流域からは少し離れた区域でもこうした伝承を見ることができ、非常に興味深い。
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