皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

川越氷川神社

2023-02-20 19:34:57 | 神社と歴史

川越は都心から三十キロ圏内に位置し、交通の便がよく江戸の情緒を感じさせる蔵造りの町並みや多くの寺社が残ることから、近年は首都圏を代表する観光地として賑わいを見せる。 「川越」という地名は時代により「河肥」「河越」などとも表記されたがいずれにせよ周囲を川に囲まれた肥沃な土地である。かつてこの河川を利用した舟運により江戸との物流が盛んに行われ物資だけでなく江戸の文化や流行がいち早く伝わったことから当時から「小江戸」と呼ばれていた。また豊かな自然に恵まれた「武蔵野」とよばれる景勝の地はこの氷川神社が北端とされている。

創建について氾濫を繰り返し幾度も流れを変えてきた入間川を畏れ、出雲の簸川にこれを見立てて大宮の氷川神社より勧請したと伝わる。御祭神は須佐之男命、稲田姫命、大己貴命、足名桂命、手名桂命の五柱。

中世に入り長禄元年(1457)当地の要害を利用して太田道真、道灌親子により川越城が築城される。以来城主の崇敬厚く、城の神門(戌亥)の守護としてまた川越の総鎮守として崇められるようになった。

道灌は『永享記』という書物のなかに次のような句を残している。

 老いらくの身をつみてこそ 武蔵野の 草にいつまで残るしら雪

境内末社のひとつに人丸社がある。戦国時代丹波の綾部から近江を経て移住した綾部家の祖先柿本人麿を祀っており、これは武蔵国内では唯一のものだという。人麻呂の神像が奉納されていて、文久二年に盗難にあったところ、盗人が逃げる際急に目がくらんで難を逃れたという逸話が残っている。

御祭神が二組の夫婦神と出雲大社の大己貴命を祀ることから縁結びの神として信仰を集めている。奉納された絵馬の数はまさに圧巻の一言に尽きる。本殿脇の樹齢六百年の大欅は台風の影響で欠けてしまっているが、その雄大な佇まいを残している。

境内地東側の大鳥居は木造鳥居として国内最大級の規模を誇り、懸かる篇額の記号は幕末の志士勝海舟の手によるもの。また代表的な神事に八坂祭り、川越祭り、お衾替神事がある。

川越祭りは「天下祭り」とも言われ赤坂山王祭、神田明神祭をそのまま移したのとされ、全国でも江戸の祭りの古い形を伝える唯一の祭礼とされている。

多くの人々が蔵造りの街道を抜け賑やかな境内で参拝する一方、明治十四年に護国神社も建てられている。

西南の役以降川越出身の戦役軍人ら英霊を奉斎している。

川越の歴史を今に伝える総鎮守。夕暮れ間近の時間でも多くの人々で賑わっていた。


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