皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

菖蒲神社

2023-02-16 20:16:16 | 神社と歴史

古河公方足利成氏(しげうじ)が家臣の金田則綱に命じて康正二年(1456)に関東管領上杉氏に対する前線基地としてこの地に築かれたのが菖蒲城と言われている。その竣工が五月五日であったことから菖蒲の節句にちなみ菖蒲城と称された。

当社はもとは袋田明神と称し、『風土記稿」においては「袋田明神祭神は稲田姫命、神体銅鏡にて本地薬師像を彫れり、裏に寛文九年(1669)と見ゆる合殿に鷲宮・久伊豆の両社を置き云々」と記される。別当の吉祥院は真言宗の寺院で開基は菖蒲城主佐々木源四郎という。佐々木氏は金田と称し後に小田原北条氏に与するも天正十八年(1590)に豊臣秀吉によって滅ぼされたという。

当社の大元となった袋田明神の社名は氏子の間では見沼大用水を隔てた新堀の地に祀る久伊豆神社の御祭神大己貴命のお袋(母親)が稲田姫命であったことに由来すると伝わる。久伊豆神社の総本社は騎西の玉敷神社とされる。また近郷の鷲宮神社の御祭神は武夷鳥命(たけひなどりのみこと)でありこちらのお袋(母神)も同じく稲田姫命であり、武蔵国の古社二社のお袋であるとも称する。戦国期まで鷲宮と久伊豆はその勢力を信仰氏神が違うことで争う一面を有していたが、古利根川流域の鷲宮、元荒川流域の久伊豆と大まかに分かれている。その両神社の母神として上尾、加須、鷲宮への道が交差する交通の要所に鎮座するお社である。

境内にある藤の大木は昭和二十七年に埼玉県天然記念物に指定されており樹齢400年を誇る。大正二年藤の下にあった池を埋めて広い柵を作ったところ樹勢が盛んになり、大正天皇の即位に合わせ「君万歳の藤」と名付けられている。また天明八年(1788)奉納の絵馬は百首の和歌と作者の図柄が描かれた他に例を見ないもので久喜市指定文化財となっている

また一月十五日のどんと焼き左義長も盛大に行われ、菖蒲地区の中心的神社としての役割を伝えている。


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