イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

死と再生の物語!(私とあなた ① 9/10)

2014-09-15 | 第八章「魂と聖霊」

今日の朝は「花子とアン」を観て、さらにその脚本家である中園ミホさんと三輪明宏さんの対談を拝見した。今週以降の朝ドラの終盤がどのように展開されるかとても楽しみだ。

 今日のドラマも対談も、テーマが奥深く、一言でいえば破局とか死と再生といったテーマに繋がるのだろう。「赤毛のアン」も、今読み進めているが、昔の少年少女のための文学のイメージというより、悔いのない人生の歩み方というか・・・大切なテーマが背後にあるようだ。白蓮さんのお話しも、当時としては最大級の名誉・地位・お金を惜しみなく捨て去って、再生する物語ともいえる。

 しかし、こうした死と再生の物語は、現代だけのものでない。ギリシャ神話にも日本神話にも登場する古い物語だ。日本神話は7-8世紀の政権により、日本書紀や古事記などに、取捨選択されて保存されたのだろうが、それでも、最近の研究によると考古学的にも縄文時代や旧石器時代に起源を辿ることができそうだ。

 最近、私は、尖石遺跡とか、星糞峠に行ったり、地元の多摩の縄文遺跡を観たり聴いたりしているが、謎めいた土器などが図学的解釈から日本書紀のオオゲツヒメの話に繋がるという説を知り羽ばたいてしまった。縄文時代は典型的な女系文化だったようだが、土器にでてくるシンボルとして月とか蛇、カエルがあるが、女神の誕生から生殖、死と再生をイメージしているという説に深く賛同してしまう。

 そういった文脈から考えると、日本が産んだ世界で初めての工業製品、縄文土器は煮炊きという分野で、食物の変容(ある意味の死と再生)に関係した聖なる祭祀に関係していたようにも思えてならない。女神(オオゲツヒメ)の死と再生が人を活かす物語なのだ。さて、最近の科学の進歩により、当時土器で何を煮炊きしていたかも結構判り、魚やカニが入ったシチュウのようなものを食していた等も判るようである。3000年とかの時を越えて、何を食べて居たかがわかるなんて。

 今日の連休最後の日。家族団らんで家で食事をつくって会食してみたくなった(3000年先にお好み焼きを食べて居たなどは判らないだろうが)。

 昨晩は、堀之内の番場公園周辺を散策したが、その時数日前のスーパムーンが随分スリムになり上がってくるところに出会った(写真)。

 寝待月という粋な名前の月なのだが、水平線近くで暖かく輝いていた。月も、考えてみれば、死と再生(朔月、満月)を繰り返しつつ、太陽と地球の引力の中で螺旋形の軌道を描いている。

 私たちの祖先は、「花子とアン」は想像もできなかっただろうが、日々の生活の中で死と再生の神秘を感じつつ、したたかに生き抜いていたのだと思う。それがあって、今ここに生命が繋がっているのだろう。

 私とあなた ① 9/10

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共感を妨げるものを考える!(私とあなた ① 8/10)

2014-09-14 | 第八章「魂と聖霊」

 昨日は、埋蔵文化センターで笹生衛先生の「富士山の古代祭祀とその背景」という公開講座に参加した。興味深い内容であったが、特に古代の祈りの場がどういうところで、どういう形で祭祀が行われたかということに感動した。リアルな噴火や災害に対し、湧き起こる感情や体感は3.11などで私も少しは体験したが、人知を超えた何かに対し恐怖感、罪悪感、劣等感・・・様々な感情が湧きおこるのだが、そうした現場で古代人はどのように祈ったか。

 古代であっても現代であっても、感情の世界はストレートに似ている。しかし、自分の中に自分は非科学的な古代人とは違う・・・といったようなヘンな防衛機制が、受講時に湧くことも不思議だった。周りの参加者の感情転移が原因だったかもしれないが。何かに共感しようとする時に、どこかで分類作業をしでかし身を隠してしまったようだ。

 人と人を近づけるための共感(賛同とは違うと思うが)。人と人を離すこともある分類作業。

 以前にも分類について述べたことがあるが、分類は便宜的で決して本質的な世界ではないことが多い。例えば、私は日本人なのだが最先端の遺伝子の世界から観て、日本人は遺伝子的には他国と比べ随分多様なのだそうだ。勿論、日本人遺伝子などはないので、私は遺伝子的にはヘンな分類をしない限り私が日本人であることを証明できないだろう。世俗的な世界ではいろいろな分類が蔓延るが、それが、どれほど本来的な意味があるのだろうか。極端な見方だが防衛機制の知性化の歴史的産物に過ぎないとみることもできてしまうような。

 今日は、ちょっと頭でっかち気味だ。旧石器、縄文まで簡単に遡れる大栗川で、古代人の感動を追体験してみたい。

私とあなた ① 8/10

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良く寝よう。秋眠も「花子とアン」を覚えずかな!(私とあなた ① 7/10)

2014-09-13 | 第八章「魂と聖霊」

 今日は「花子とアン」も寝坊せずしっかり見せていただいたが、最近は寝坊して後で録画をみることも多い。結構早く寝るのに、結構遅くまで寝ている、このためか身体も心も朝になると元気いっぱいである。

 さて、睡眠をこころの健康と結びつけて考えると、U先生のDVD(元気に生きる)でもあったが、睡眠はとても貴重だ。先にご紹介した赤毛のアンでも、リンド夫人への怒りが劇的にへったのも睡眠の効果があるようにも思う。

 自分の経験でも、ストレスいっぱいの時にヤケ酒、ヤケ・ゲーム(コンピュータゲーム)などはかえって翌朝気持ちが悪くなるが、ヤケ寝・フテ寝は一番健康的で気持ちのよい朝に直結する。皆さんはどうだろうか?

 昨日は、府中でボランティアをした後に、八王子に行き、八王子資料館と近くの信松院に寄った。信松院は武田信玄の娘の松姫が開基とされる臨済宗のお寺である。松姫は武田信玄の娘で織田信長の長男・信忠の正室になるものの、政変で信忠が自刃したり、武田家があっけなく亡び、八王子に逃げ伸びる。そこで、戦国時代末期から江戸時代の時代の変わり目をしっかり生き抜き、保科正之(徳川秀忠のご落胤で家光、家綱を援助し、会津藩初代藩主)や大久保長安など大政治家とのつながりもあり、恐らく後世(八王子にも)にも多大な影響を与えたとも思える。

   

 松姫の艱難辛苦の人生を想うと、きっとストレスを上手に幸福曲線に変えるような人生だったかなと思う。そうでなければ、当時としては長寿の56歳まで生きながらえることはできなかったろう。そして、これは妄想だが、きっと睡眠をとるのは上手だったのでは?と推察してしまう。

私とあなた ① 7/10

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賛同できなくても、無条件の配慮!(私とあなた ① 6/10)

2014-09-12 | 第八章「魂と聖霊」

「花子とアン」も、第二次世界大戦が激しくなり、切羽詰った話になってきた。そんな中でも、「赤毛のアン」を翻訳する花子、そして現代版の焚書。それでも、肉親の無条件の愛がいっぱいのドラマ・・・。最近、年をとってきたのか涙もろくなり朝からうるうるだった。

 さて、私とあなたの関係で、相手を癒す最大のポイントのひとつが、この無条件の配慮というか愛である。傾聴などでも、このポイントは大事であるが、これは決して無条件に相手の意見に賛同することではない。今日の朝ドラでも、憲兵隊の兄は、花子が戦時下に洋書を持つことに賛同していないが、どこかで無条件に花子をかばう。相手の生きざまを賛否はともかく、深く認めるということが無条件の愛なのだろう。

 残念ながら、この世では生育史の違う二人が、同じ意見をもつことは奇蹟にちかいが、無条件の配慮というか愛は訓練次第で出来ると信じたいものだ。

私とあなた ① 6/10

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説得の常識と非常識!(私とあなた ① 5/10)

2014-09-11 | 第八章「魂と聖霊」

 赤毛のアンの最初の方で、赤毛など身体的なことに触れたレイチェル・リンド夫人にアンが癇癪をおこし喧嘩してしまうという事件がある。その為、アンの養父母になるマッシュとマリラが、リンド夫人と和解するために、あるいはアンのしつけのために、アンをリンド夫人に謝らせようと説得する。

 最終的には、アンが夜中に3度起きても3度とも激怒の状態だったにもかわからず、朝になると不思議に穏やかな気分になり、マッシュの意見に従い見事に謝罪をし、ハッピーエンドのストーリとなる。しかし、この一連の物語は心の仕組みと世に言うところの説得について、あれこれ考えさせるものだった。

 世の中、親が子を、上司が部下を、教師が生徒を、・・・まあ、しつけたり、説得したり、注意したり、強制したり、そんなことがある。これは社会が成り立つために、ある意味当たり前だと思うが、日本では教育現場をサービス業のように何か売り手と買い手といった単純なモデルで勘違いする人が最近多いように感じるが、皆さんどう思われるだろうか?

 例えば私は「生き甲斐の心理学」をU先生に師事し学んでいるが、門を叩くとき、「生き甲斐の心理学」を殆ど理解しておらず、どのくらい価値があるかもわからなかった。今でも、まだ判らないことだらけだが、飛び込んだ14年前の愚かさには赤面してしまう。上下のある関係の中には、何かを信じ、また信じられるといった現代経済学を越えるSomethingがあるように思えるのだ。

 ただ、立場や専門能力といった社会的な問題を離れて心の世界を考えると、人間の心は実に主観的?にできていることも確かだ。生き甲斐の心理学を学び実感した大事なところだ。ロジャースの命題で「個人はすべて、自分が中心であるところの、絶え間なく変化している経験の世界に存在する」があるが、この現象学的命題は本質をついでいて、日々の生活をイキイキさせるようだ。

 祖父が孫を説得すると言っても、孫が何を考え、問題(私が説得したことで生じる問題)をどのようにとらえているかは、祖父が全く関与できない孫の世界なのである。そして、そうした他者(この場合は孫)に一目置く事が、とても大事なのだと思う。勿論、緊急時には別の態度や対応が必要なこともあるが。

 落ちないで気を付けてね!

私とあなた ① 5/10

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