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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

明るい解釈と暗い解釈、どっちが良いか?(私とあなた ① 2/10)

2014-09-08 | 第八章「魂と聖霊」

 昨日は、都心に行ったのだが、帰り際に柳原白蓮旧邸に再度チャレンジした。前回は池袋方面からの車でのアプローチで袋小路的になり諦めたが、今回は目白通り方面から!

 道が狭く、一方通行が多いので厳しかったが、試行錯誤の末に、近くの上り屋敷公園近くの駐車場につくことができて、そこから念願の旧邸付近を散策した。特に旧邸が公開されているわけではないが、今話題の旧邸周辺の雰囲気を味わうのが目的であった。運よく雨も上がっていて、周辺のアースフィーリングを楽しませていただいた。

 

 さて、こうした、ちょっとした冒険でも、「道が狭いから車ではむり。出直して歩いて行ったら」。「そこまで行く意味があるのか?」。「ちょっとやり過ぎでは?」などの言葉を頂いたり、実際に自分でも思ったりもした。

 状況を分析したり、仮定をつくって試行錯誤したりすることは、どんな場合でも生き抜く力として大切であるが、最後の一線を決める気持ちの持ち方や意志力には、理屈以上に人間観や世界観が大きくものをいうように感じる。暗く解釈する傾向の人。明るく解釈する傾向の人。自分はどちらであろうか?

 生き甲斐の心理学では暗く解釈するより、明るく解釈する方が一般に良いとしている。車で狭い道でどうしようもなくなる。と考えるか、車でどうしようなくなってもバックすれば良いと考えるか。まあ、狭い道ということでも解釈のしかたは意外に自由だ。

 対人関係が穏やかな人は、白黒をつけることもするが、それだけでなく現状や結果から、プラス面というか感謝の領域というかをうまく捉えることが出来るようだ。赤毛のアンの中でも、先日にもお話した男の子と間違えられたので施設に返されそうな場面でも、次の場面がある。「アンは膝をついて6月の朝に見とれた。目は歓喜に輝いていた。なんて美しいんだろう。ここはなんてきれいなところだろう。ほんとうはここにいられないにしても、まあかりにいられるとしておこう。ここには想像の余地があるもの。」(赤毛のアン、新潮文庫(村岡花子訳)57P)。

 怒りとか、不安とかのストレス曲線にいるときに、感謝の領域を意識することは極めて大事。赤毛のアンでは、そうした明るく解釈するアンを受け止めた老兄弟が、アンを引き取るというハプニングがあるのだが、こうしたことがなくても、このような明るい解釈は、アンの強さに通じる。ロジャースの理論でも第一領域を大事にすることが、第二領域等のギャップを成長を遂げる一つのバネにすることは理論的に裏づけられているようだ。

 しかし、明るく解釈が良いと言っても、なかなかそうはいかない。やはり人間観や世界観などのつながりや、経験なども関係するからだろう。ただ、明るくする思想は、この世の中目立たないが確実にあり、探せば見つかるようだ。

私とあなた ① 2/10

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