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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

共感を妨げるものを考える!(私とあなた ① 8/10)

2014-09-14 | 第八章「魂と聖霊」

 昨日は、埋蔵文化センターで笹生衛先生の「富士山の古代祭祀とその背景」という公開講座に参加した。興味深い内容であったが、特に古代の祈りの場がどういうところで、どういう形で祭祀が行われたかということに感動した。リアルな噴火や災害に対し、湧き起こる感情や体感は3.11などで私も少しは体験したが、人知を超えた何かに対し恐怖感、罪悪感、劣等感・・・様々な感情が湧きおこるのだが、そうした現場で古代人はどのように祈ったか。

 古代であっても現代であっても、感情の世界はストレートに似ている。しかし、自分の中に自分は非科学的な古代人とは違う・・・といったようなヘンな防衛機制が、受講時に湧くことも不思議だった。周りの参加者の感情転移が原因だったかもしれないが。何かに共感しようとする時に、どこかで分類作業をしでかし身を隠してしまったようだ。

 人と人を近づけるための共感(賛同とは違うと思うが)。人と人を離すこともある分類作業。

 以前にも分類について述べたことがあるが、分類は便宜的で決して本質的な世界ではないことが多い。例えば、私は日本人なのだが最先端の遺伝子の世界から観て、日本人は遺伝子的には他国と比べ随分多様なのだそうだ。勿論、日本人遺伝子などはないので、私は遺伝子的にはヘンな分類をしない限り私が日本人であることを証明できないだろう。世俗的な世界ではいろいろな分類が蔓延るが、それが、どれほど本来的な意味があるのだろうか。極端な見方だが防衛機制の知性化の歴史的産物に過ぎないとみることもできてしまうような。

 今日は、ちょっと頭でっかち気味だ。旧石器、縄文まで簡単に遡れる大栗川で、古代人の感動を追体験してみたい。

私とあなた ① 8/10

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