イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

愛犬ノコちゃんに指圧をする!(時間と空間の旅 ③ 6/10)

2014-02-23 | 第一章「意識と知覚」

 我が家の愛犬ノコちゃんも、いつの間にか12歳となり、老犬の世界に入ったようだ。最近は耳が遠くなり、時々だるそうにしている。そこで、指圧をしてあげると至福の喜びの顔?をする。犬への指圧は聴いたことがないが、意外に効果があるかもしれないと思ったり(笑)。

 3年前からA先生について、気功や太極拳を始めたが、それゆえ経絡・ツボ等の知恵がほんのちょっとついたところがある。そんなことからノコちゃんに自分へを投射しているのかもしれない。

 さて、投射はこうしたノコちゃんにとって良い投射もあるが、反対に負のマイナスの投射もある。日常の中で、ふと自分の無意識からくる不安から、思考・行動がマイナスに変化し・・・、何となく周りに迷惑をかけてしまう。これが、また周りに伝染し他者も不機嫌になったりする。こうした場合、他者は本質的によくわからないので、自分が何か投射をしたのかなと考えることは大切だと思う。

 話は変わるが、今読んでいる大津皇子の小説では、天武天皇のすでに亡くなった天智天皇(兄)への鬱屈を天智天皇の血を受け継いだ太田皇女の娘に投射し若くして斎宮にさせたりする心理が描かれていた。大来皇女(おおくのこうじょ)が何故斎宮になったかは、天武天皇の皇后だった持統天皇の政治的思惑説ももちろんあるが、天武天皇の投射説もなぜか納得してしまう。1300年前も今もこころの問題は実に大きい。

 他者に迷惑をかけないためにも、幸福曲線を歩む人生をおくりたい。

時間と空間の旅 ③ 6/10

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愛を感じる!(時間と空間の旅 ③ 5/10)

2014-02-22 | 第一章「意識と知覚」

 昨晩は、10年前まで勤めていた某社のOBの集まりで久しぶりに旧交をあたため楽しんだ。本来は10年以上のギャップがあるにも拘わらず、Facebookでやり取りしていた人も多く、時間の隔たりもほとんど意識することもなかった。

 旧交をあたためるという言葉は、本当にそうだなと思う。ちょっと気障な言い方かもしれないが、お互いを思いやる暖かさというか愛というか、そんなものを感じてしまうのだ。

 さて、話は変わるが、日々の暮らしで愛を何となく感じる人は多いと思う。それは神仏の愛であったり、人と人の愛であったり、ペットとの愛であったり、綺麗な花や月との愛であったりする。今の自分は、そういう森羅万象の中で様々な愛を感じ幸せものだと思うが、振り返って人生を思い出すと、そうでない殺風景な世界に放り出されたような時もあったようだ。

 変な話だが、周りは敵のようで親しみがわかない。そして、他人も敬遠するのか、ますます孤独になってしまう。

 こんな時に、氷を解かすように、暖かい言葉を頂いた経験もある。そして、芯から感謝するようになったりして回復していく。

 心の防衛機制で投影ということがある。愛を感じるのもこの投影と関係があるようだ。先の私の二つの状態、愛を感じるときと、愛を感じにくいとき。これは他者がどうのというより、自分の心の状態だと今は思う。ブログで、もう少しこの投影を考えてみたい。

 因みに、今は黒岩重吾氏の「天翔る白日」(小説大津皇子)を読んでいる。この小説では持統天皇は脇役であるが、持統天皇を描く小説はいろいろ読んでいる。持統天皇を悪役や気味の悪い人として書く小説家もいるし、反対に良い人、偉人として描く人もいる。昔の様々なデータはかなり解釈がばらつき、小説家自身の投影の問題もあるようだ。もちろん自分の解釈・投影もあり。妄想を楽しんでしまう日々なのである。

時間と空間の旅 ③ 5/10

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幸福になりそうだと逃げる過剰反応!(時間と空間の旅 ③ 4/10)

2014-02-21 | 第一章「意識と知覚」

 親しく良好な関係の人が、突然亡くなったり関係が悪化したりすると、そのショックが後をひき、変な話ですが良好な関係・幸福になりそうになると、その相手を無意識に避けてしまうということがあるようです。しかし、この傾向を自覚し始めると治ったりも。無意識の意識化は大切なようです。

 この対人関係の問題も、U先生のブログを読んでいたら、反動形成の一つの事例として解説されていました。

 自分はともかく、他者は驚きの対象・・・とは、よく深層心理学の言われており、他者に裏切られたりするのは、ある意味当然のことかもしれません。しかし、意識の世界ではこの当然を受け入れられず、過剰に反応してしまうのでしょう。

 特にある理想に固執していると、その落差は激しく。反動も激しくなるようです。

 ちょっと脱線しますが、ほどほどの幸福を生活の中で感じ、見出し始めると、そのほどほどが実は愛の実態と考えなおしたりするようです。私など、今朝のソチ・オリンピックの浅田真央さんのフリーの演技を観て、天国とはこんなものか?と感動し涙がでてしまいました。昔、甲子園の中継を見ていて泣いていた祖父の心境が判るようになったのかもしれません。

 さて、幸福を感じると反動形成で逃げ出してしまう傾向は、自分の中にも意外にもあるようです。その起源は、「3つ子の魂百までも」のように、生れ落ちてから形成されてきたようでした。考えてみれば、人間関係は大なり小なり、時と共に変わります。親子でも兄弟の誕生で扱いが変わったり、気の合った友達も転校等で別れたりします。そんな中で、幸福感を感じだすと不幸に走る不思議な傾向は身近かもしれません。

 さらに、私の場合では小学校1年のときの友達の交通事故死ということで、幼いなりに無意識のうちに自分を過度に責めることがありました。意識の世界では、それほど・・・というようなことも、無意識の世界では大きな問題となり、日常の行動が引きずられたりするのです(今は消えましたが)。

 人には仏性があるとか、キリスト教でも「人の身体は神の神殿」という思想があり私は信じているのですが、実際の人は、それこそ私も含めて不完全(愛そのものの魂があるとしても)で、裏切られたりすることは当たり前かもしれません。

 しかし、無意識からくる過剰な反動形成の存在を時に想いだし、自分の中の傾向を確認することは大事。せっかくの幸福が逃げないように。

時間と空間の旅 ③ 4/10

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反動形成のバネとさらに進化したバネ!(時間と空間の旅 ③ 3/10)

2014-02-20 | 第一章「意識と知覚」

 日々の生活の中で、ほどほどの楽しみを見つけることは大事だと思うが、何か挫折感、劣等感、罪悪感、疑惑感などの暗い感情が晴れず、心のどこかにくすぶっていると、そういうちょっとした明るい感情が湧きにくいようである。

 自分の青春時代を振り返ってみると、十台の後半は、それこそ劣等感、罪悪感、猜疑心、自己混乱感などに覆われていた時代だった。思い出しても辛い日々を送っていたようだ。それが、社会人となりしばらくするころには、そうした感情が随分晴れ、日々の生活の楽しみが現れてきたのを感じた。

 それは何故かと振り返ってみると、心理学的には防衛機制の反動形成(負け犬が激しく吠えるよう)が重要な働きをしていたと思う。

 なんとなく甘ちゃんと周りから馬鹿にされていると感じて、一人旅をしたり。数学でDをもらい留年の危機に遭遇して、発奮し次の試験でAをもらうことも。まあ、それで調子にのって失敗をしたりすることもあったが、反動形成は考えてみれば、自分の中の黒い霧?を晴らし、より心の自由を与えてくれたように思う。そして、豊かな自然の中で旅をし、湧き起こる明るい感情を堪能したり。

 しかし、この反動形成のバネがいつも効くかというと、必ずしもそうではない。やはり様々な限界があるものだ。反動形成のバネで二匹目のどじょうを得ようとしても、思い通りにはならず、時に致命的なマイナス効果を産む。そこでは、別のタイプのバネが必要なようだ。それは、生き甲斐の心理学でいう、自己実現の領域の自問自答だろう。

 ①何のために生きるか?②生き甲斐は何か?③自分の魂、心、身体を大事にしているか?この3つの自問自答だ。勿論、古今東西の人が考えただろうが正解は見つからないような難問だ、ただこの領域を考えることで、私の場合は変な劣等感に苛まされることも、罪悪感に苛まされることも、自己混乱感に苛まされることも格段に減ったと思う。

 地位や名誉や財産はこの世では大事だろうが、死ぬ人生にとって、どの程度大事なのだろうか?それより大切なことは確実にあると思う。そうすると、劣等感などは随分軽減される。

 ただ、若いころのような反動形成のパワーが必要がなくなったかというと、そうではなく、何か共存共栄といったらよいか、自他肯定的といったらよいか、そうした世界のパワーは相変わらず大事だと思う。

 2月になってからの大雪で、今も雪かきが話題になるが、人知れず雪かきをする善意の人の話があった。多分、その謎の雪かき人は、その典型ではないだろうか。

時間と空間の旅 ③ 3/10

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ぼくの過剰反応対策!(時間と空間の旅 ③ 2/10)

2014-02-19 | 第一章「意識と知覚」

 まだ雪が残っているのに、何となく眼がかゆくなり、時にくしゃみも・・・そうです、杉花粉が舞い始めたのかもしれません。水曜日、木曜日に直撃と伝えられた雪も、今日の予報では無くなりホッとしたのですが(勉強会や太極拳があって)。

 こうしたアレルギー反応も、身体の抗原抗体反応が過敏になる過剰反応の一つですが、こころの防衛機制・反動形成も、考えてみると過剰反応の一つかもしれません。

 さて、昨日は、初めての場所で勉強会が開催され楽しんだのですが、初めての場所に行くのはちょっとした冒険でした。

 昔と違って、スマホのGIS機能を使ったりすれば楽にいけるのですが、昨日は、どうもスマホの調子が悪く、スマホで目的地に行くのを早々にあきらめ、通りがかりの自転車に乗った主婦とか、守衛のオジサンに尋ね無事目的地に辿りつけました。お二人とも、とても親切で旅の情けを感じ親しみのある訪問となりました。

 GIS搭載のスマホも良いのですが、五感・体感・直観といった人間のセンサー能力はあなどれません。GIS機能にのめり込み、最後にはスマホに怒りをぶつけ壊したりしなかったのは幸いです(笑)。

 U先生のブログでハッとしましたが、理想に燃えていたり、何かにこっていると(例えばスマホなど)、生身の身体を持った自分を忘れがちになるようです。そして、実際の自分は理想とかけ離れているにも関わらず、理想から人を非難したり、モノを非難したり(スマホ?)しがちです。

 以前、福祉の仕事をしていた時がありましたが、その時、いろいろ感じることがありました。様々な資格を取ったり勉強をするのですが、頭でっかちになり、それこそ理想からいろいろ評価したり反応するのはいいのですが、ふと無意識の自分が顔を出す瞬間があり、はっとするようなことも。きれいごとを言っていても、自分がそうではないことを知ったようです。

 過剰反応は、五感・体感を大切にした生活。ちょっとした感謝に気付く生活で、随分抑えられる気がしています。

時間と空間の旅 ③ 2/10

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