イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

深い森を生き抜く!

2008-05-26 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 遠い祖先がアフリカを出発する前は、気の遠くなるような期間、祖先は森で生活をしていたのだろう。日本の鬱蒼とした森と、祖先が住んでいた森の差異は判らないが、確実なのは、命を落とすような危険と背中合わせだったと思う。

 毒蛇や毒虫。命を狙う動物。毒のある植物。人類同士の戦いもあっただろう。

 命を掛けた日常の中で、怖い・怖くない、好き・嫌いというような原初的な感情は、きっと生き残る上での、大切なアンテナだったのだと思う。

 感情は全実存を貫く、大切なアンテナである。

 そんな深い森を離れ、都会のサラリーマン生活をしていると、感情が鈍り。感情の解釈が不正確になるようだ。嫌いという感情があるのに好きといったりしてしまう。世間体を考えて、倫理道徳を考えて行動するのは大人であるが、本音と意識、行動がバラバラになってしまうのはどうだろう。別に口にする必要はないが、嫌い怖いなどの感情はきちっと感じ意識にのぼらせるのは重要だと思う。

 今の生活の場は深い森ではないが、湧き上がる感情を大切にしていくと、打てば響く状態、純粋と一致の状態、自然体・・・に近づいてくるようだ。

<森と感情の曼陀羅4/4>

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深い森、赤頭巾ちゃんだけでなく気をつけて!

2008-05-23 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 普通のサラリーマン生活をやめて、NPOの活動中心の生活になった今、毎日が新しい体験の中に生きているようである。

 昔、幼いころに読んだ童話「赤頭巾ちゃん」。高校生のころに読んだ芥川賞受賞の「赤頭巾ちゃん気をつけて」をふと思い出す。私は既にいい年した、おじさんであるが、深い森の前に、頭書の愛の言葉を自分に向かってかけてみたくなる。

 「赤頭巾ちゃんだけでなく(おじさんも)気をつけて・・・」

 朝起きてから、寝るまで、様々な感情が流れ、思考が流れ、そして行動がある。その中で、その時々の自分のテーマがある。

 それは、深い森のようで、狼や蛇や熊など、恐ろしい危険が待ち受けているかのようである。「カサッ」というような、聴きなれない音と不安な感情を感じてから、何かが始まる。それが、素晴らしい声で啼く子鳥であったり、物語は発展していく。

 そうした、体験過程を大切にしつつ、今日も深い森へ向かいたい!

<森と感情の曼陀羅3/4>

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感情の曼陀羅と森!

2008-05-21 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 朝起きてから寝るまでの、一日の感情を振り返る楽しさを知ったのは、「生き甲斐の心理学」を学んでからである。

 さて昨日は、自分の感情が結構揺らぎ不安定であった。こころの健康を測るプロセス・スケールの一つに「感情と個人的意味付け」というものがある。それが、この2-3日低下してきていたようだった。心の防衛機制も過剰で、何となく家族からもトゲトゲしく感じられるようであり、自分の思考も怠惰な感じがありちょっといつもと違っていた。

 気になることはいつでも、どこでも複数・結構沢山持っているが、そのうちの一つの不安感が、いつの間にか深く潜在していたようである。自分でも気づかないのだ。それが、昨日を境によりはっきりしてきたので、心の健康は良い方向に向かっているようである。

 朝起きてから寝るまで、暗いさまざまな感情から、時折光がさすような明るい感情まで、沢山の感情に囲まれていきているのが実態だと思う。ただ、心の状態や防衛機制で感情の存在に気づかなかったすることもある。

 昨日の夕方、友人と高幡不動周辺を散策したが、森というのだろうか、自然の中には様々な生き物が生きていることを実感させる。小鳥をはじめとする動物、鬱蒼とした木々、シダをはじめとして菌類・・・。

 小学生のころに、顕微鏡を買ってもらい、毎日手当たり次第にプレパラートに乗せて観た世界を思い出す。池の藻、あじさいの葉・・・普段は見えない微小の美しい世界があることを知ったのだ。

 森の動物界、植物界、菌界の多様性。朝起きてから寝るまでの感情の多様性。何となく似ているように思う。微細なものを感得する価値も。

<森と感情の曼陀羅2/4>

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森が身近にあるって良い!

2008-05-20 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 この世に森がなかったらどんなに寂しいことだろうと想う。幼いころから、都心で育ったとは言え、様々なかたちで森と接してきた。幼い頃、日光の東照宮も行ったが、怖い像もあったが、広大な森も印象的であった。

 7歳の時のアラスカの体験も、トーテムポールが森に静かに立っていた。50歳を過ぎてからは、神社仏閣が好きになってよく観光に出かけたが、伊勢神宮、熊野、高野山、東大寺・・・森がどれほど素晴らしかったか!神社があって森がある、というより森があって神社もあるという感覚であった。

 現在住んでいるところも、東京の郊外で里山がある。ちょっと山に登ったりすると、森があり祠がある。

 昨日、南方熊楠の神社合祀反対運動という、当時としては非常に先進的であった、自然保護のことを書いた中沢新一氏の「森のバロック」を読んでいた。敬神の念や信仰心について論じてあったが、感動を覚えた。五感からくるものが観念よりまさるということだろうか。私たちの周りの環境が人に与える影響は極めて大きいと実感した。

 これから4回、森について考察していきたい。

<森と感情の曼陀羅1/4>

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海の底での父と子の出会い!

2008-05-19 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 今年は、春に年間の休暇や長期の趣味等のスケジュールを決めた。その中で、お盆前後の父の墓参りの日程も決まった。 

 父と子の関係は、父が亡くなってから今でも考えることがある。

 ちょうど我が家には、マルチーズの親子がいて、時折人間親子のような甘えや心使いなどを見て、親子とはDNAレベルまで深く刻み込まれた関係かなと思う。

 ギリシャ神話でおなじみの、エディップスの話。クロノスの恐ろしい話。親子関係は結構血みどろで悩ましいテーマでもある。成長するために、父をならい、父の職業や趣味に拘ったり、反対に反動形成で、父の歩まなかった道を選んだりする。親を中心に、世界が回ることがある。

 そうしたこころの防衛機制と言われるのだろうか、の歴史を思いだしていると、小学校3年ごろの海水浴を思い出す。台風が近づき波が高い日に、飛び込み台付近で波にさらわれ、飛び込み台の海中の丸太に胴体が引っ掛かり危うく溺れる事件であった。

 目をあけると懐中の黄色っぽい暗い風景が見えていた。明るい黄色は好きな色であるが、ちょっと暗い茶色に近い色は嫌悪感を持つのは、この事件の影響かと思ったりする。その一瞬、父が猛然と泳いできて、助かった。

 その事件は、当時の父との関係もあったが、明るい感情そのものを単純に残すものではなかった。人間のこころは複雑である。ただ、父が亡くなり、50年近くの歳月を経過すると、もっと別の解釈ができるようになってきたようだ。

 今では、父と子の魂レベルの出会い。世界と自分の出会いの時だったように思う。複雑なこころや身体レベルの出会いではなく。愛そのものの出会いであったと思うようになった。

 今年の墓参りはどのように祈ろうか。

<水と深層心理4/4>

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