先日、大国魂神社に友人と久しぶりに訪れた。丁度、七五三で幼い子供を連れた家族連れが沢山参拝されていた。
初参り、七五三、ちょっとニュアンスは違うがカトリックの幼児洗礼・・・子供の幸せを祈り、成長を祝う家族や共同体の愛は人類普遍のものなのであろう。大切にしたい。
ただ、日常の中では、親は子を傷つけがちである。子供は当然ながら、まだ充分に成長していないため、親の言動はある意味で絶対である。そのため、ちょっとした一言、あるいは生活の中全体で育んできた文化的なもの、・・・親はそう意識しなくても、子供にとって生涯を通しての憂鬱の原因となったりする。自戒をこめて、子供を大切にしたいと思う。
私は、成人しそして50歳台の後半の人生を送っている。生き甲斐の心理学を学んでいるため、幼いころのことを、時どき想いを巡らす。先週、啄木の生育史や書簡集等に触れていたとき、ふと重い感情に気付いた。
その感情の意味はよく判らない。原因もよくわからない。 丁度、五感と体感という章に入る。のんびりと、五感と体感を聴きながら、考えていきたい。自分のストレス曲線(暗い感情)から入り、体験の解釈を変えることで、新たな世界が切り開かれるかもしれない。
(総論 1/1)
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