イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

≠ (not equal) から= (equal) へ

2009-11-17 | 第二章「五感と体感」

 先日Aさんから、直球のご質問を頂いた。何故転職されたのかという問いである。その時は、幾つかの理由を挙げて、ご説明した。しかし今になって、ふと思いついたのは。あるポイントである。
 
 2003年まで、外資系企業に勤め競争社会のまっただ中にあった私は、社会のムードもあったかもしれないが、差別化、差異化が生き方の特徴だったように思う。仕事でもマーケティングの仕事が多かったが、同業他社との差別化、差異化について多大な関心と労力をかけたように思う。生き方そのものも、知識偏重で何か殺伐として競争、戦い、分離、選別・・・に力点が。他者否定や自己否定に陥りやすい 記号でいうと ≠ (差異化?)志向だったようだ。

 そして、外資系企業をやめて6年たったわけであるが、その後は「生き甲斐の心理学」学んだり、福祉の仕事や教育の仕事をしてきた。それは、一言でいうと、本質的な協調や支援、平和、統合、共生・・・。記号でいうと共感溢れる = (同一化?)志向なのである。では = 志向に重要なのは何だろうか?それは、五感と体感の重視かもしれない。

 日々、五感と体感を重視し、決して知だけを特別視しない。腑に落ちることを重視する暮らしは生活を楽しく、イキイキとさせる。

 さて、石川啄木は「一握の砂」を書き、そして、結核で命をおとす前に「悲しき玩具」を書いた。その詩集を書く時の心持を次のように表現している。以前引用した箇所であるが、もう一度引用する。

  「人は誰でも、その時が過ぎてしまえば間もなく忘れるやうな、(省略)、内から外からの数限りなき感じを、後から後からと常に経験してゐる。多くの人はそれを軽蔑してゐる。軽蔑しないまでも殆ど無関心にエスケープしてゐる。しかしいのちを愛する者はそれを軽蔑することが出来ない。」

 五感と体感を大切にすることと同じことではないか?

(「五感から」 1/16)

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