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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文時代の神々の起源は?(縄文からの風 ③ 4/10)

2015-02-04 | 第一章「意識と知覚」

 宗教というと、一神教と多神教に単純に分ける人が多いが、私はどうかと思う。一番の違いは何か?それは、もっとも難しい難問。神々の起源はなにか?ということも一つだと思う。

 日本神話では、古事記と日本書紀がこの神々の起源について触れているが、日本書紀では混沌から天と地ができ、その中から国常立尊が誕生するとしている。古事記もだいたい似ているが、天と地がわかれ天の高天原からアメノミナカヌシが生まれる。

 この系統は日本以外もあり、メソポタミア(言語で神話が初めてのこされた文化)でも混沌から淡水と海水が別れ、その中から神が誕生する。ギリシャ神話にもこれと似た話もあり、ガイヤ(地)、エレボス(暗黒)、エロス(愛)の3つが最初とする別の系統もあるようだ。

 そして、もう一つは旧約聖書にあるもので、最初に言葉があったとするものだ。その後は、メソポタミアや日本神話にも通じる天と地の生成がでてくるが、無から有が生じるというキーポイントについての論理性が際立っている(私は理工科系なので、とても馴染んでしまう)。

 神々の起源神話。これは、だれが考えても特定の創造神を想定しなければできないはずである。川の神様が世界を創造したなどは誰も考えられないからだ。さらに、男女の二神という考えも、様々な生物を考えると性が分化していない生命体もあるので、創造神が独り身と考えるのは合理的だと思う。

 勿論他にも、いろいろな神々の起源があるだろうが、こうした神々の起源論を調べてみると、恐ろしく似通っていることに気付く。今はホモサピエンスは地球上に73億人いるともいわれているが、5-6万年前のアフリカにすべてのホモサピエンスが集合していた時代は、人口が5,000人程度だったという説が遺伝子の研究からだされている。厳しい氷河時代を生き残った祖先は、そのくらいまで追い詰められていたのだろう。

 そして、当然、そのころにも宗教は言葉と同様にあった思う。そして、当然ながら一つの言語で一つの宗教だったにちがいないと妄想している。

*写真は、大栗川から丹沢の最高峰、蛭が岳を眺める。富士山も右上に!縄文時代には富士山より蛭が岳に信仰が集まった可能性もあり興味深い。

縄文からの風③ 4/10

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