学生時代のときの論文では、レンズモデルという数理的モデルを使って学習理論の研究をしたのだが、数理モデルは実に美しく心酔したが、人を扱う実験心理学にはちょっと幻滅した。というのは、統計の話で美をまったく感じなかったからである。個人の性格の美しさなどは統計データなどから出るはずがない。
その後、等価変換創造理論という日本の学者が考案した理論にはずっと心酔してきた。これは、やはり美しかったし、感動のシミュレーションなど芸術分野にも応用できる研究だったからである。そして、この理論への興味は40年以上続いている。
そして、生き甲斐の心理学に出会う。15年くらいの月日が流れたが依然として私にとってはとても魅力的だ。その理由の一つは、人格や個性を無味乾燥的に論じるのではなく、個性の「美」を論じるという不思議な広がりがあるからだ。そうでなければ、木が多い私は直ぐ辞めていたと思う。
しかし、個性の「美」に着目するのは、今考えると素晴らしいことだと思う。というのは、心の勉強はやはり自分のことを知らなければ勉強は進まないと思うからである。そして、人(自分を含め)を受容したり共感することがその条件になるが、「美」はそのために必要な視座だと思う。
自分の美について思索し追及すること。これは大事なことだと思う。普通はなかなか気が付かない。
蛇足だが、縄文時代はどうだったのだろう。現代以上におしゃれを好む時代という説を聴いたことがある。きっと個性の美を大事にした時代だったと思うのだが。
縄文からの風⑤ 7/10