イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

子の死 

2009-11-02 | 第一章「意識と知覚」

 縄文時代のお墓の風習で、子供の死は戸口の下に埋葬するなど特別であったらしい。人の死は悲しいものであるが、特に子供の死は、古来より特別であったようだ。

 さて、ちょっとした思い付きで始めた、啄木の「一握の砂」の旅?であるが、今までさほど気に留めなかった、啄木の巻頭の言葉が今回とても気になった。この詩集は、啄木の子供の死、子供に捧げられた詩集なのである。

 詩集の最初と最後の方の短歌を紹介してみよう。

東海(とうかい)の小島(こじま)の磯(いそ)の白砂(しらすな)に
われ泣(な)きぬれて
蟹(かに)とたはむる

・・・

底知れぬ謎(なぞ)に対(むか)ひてあるごとし
死児(しじ)のひたひに
またも手をやる

かなしみのつよくいたらぬ
さびしさよ
わが児のからだ冷(ひ)えてゆけども

かなしくも
夜(よ)明(あ)くるまでは残りゐぬ
息(いき)きれし児の肌(はだ)のぬくもり

本当に悲しい詩であるが、今回一つの私の古い記憶が蘇ってきた。

 6歳の時に、登校中に幼友達が眼の前で交通事故で亡くなったが、その時の幼友達のお母さんが、子供の逝く時の情景を私の母に語ってくれた。後日、母が6歳の私に話してくれたのは、幼友達が死に逝くときの肌のぬくもりに関することだった。最後の短歌にそっくりな情景である。

 6歳当時はピンとこなかった。幼友達のお母様の悲しみを想うほど成長していなかったのだ。ただ、不思議なことに、その6歳の時の戸惑いのような感情が今まで潜在的に残っていたようだ。それが、この詩によって、幼友達の死の解釈を少しだけ変えたようだ。

 時間を掛けて、死に行く子の温もりを感じる親を想う。ふと、ピエタ像を想う。十字架につけられて亡くなった子を抱くマリア像である。考えてみれば、マリアは子の生と死の両極を肌で感じていたのだ。話は脱線しまくってきた。

 (一握の砂 3/16)

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