今では、蒸気機関車を見るのは、博物館くらいであるが、昔は日常的に汽車の笛を聞いたり、長い貨物列車を見送ったりしたものだ。
さて、啄木の「一握の砂」には汽車という言葉がよく出てくる。
今回、「一握の砂」をすべてExcelに落とし、検索できるようにしたため、何回汽車という言葉で出てくるか簡単に数えられる。22回である。流石に、山、女、は30回以上。ふるさとも28回と汽車を越えているが、砂は12回にすぎない。名詞の中で、汽車は不思議に多い。
好きな汽車がでてくる詩は次である。
遠くより
笛ながながとひびかせて
汽車今とある森林に入る
うす紅く
雪に流れて入日影
曠野の汽車の窓を照せり
汽車は、力強く牽引し、笛を鳴らし、煙を吐き、移動していく。何か神聖な生命そのものようなイメージがある。汽車は、多くの部品から成り立つ複雑な生命のようでもある。そして、一つの線路の上を走っていく。
カウンセリングで有名なカールロジャーズの人格形成理論、命題4番に、ちょっと難しいが、汽車のように走る人の特性表現がある。「有機体は、一つの基本的な渇望をもっている。すなわち、体験している有機体を現実化し、維持し、強化することである。」
この理論は、複雑な生命体がたった一つの方向性を持つという不思議かつ重要なことを述べている。自己実現もそのひとつだと思うが、「わかっちゃいるけど、やめられない」というような人の傾向などもある。どうにもとまらない、私の今の啄木の旅もそうだろう。
生命とは、不思議だ。ちょっと脱線するが、内田樹氏のブログに「分子生物学的武道論」を見つけた。厳しい環境の中で生き抜く生命、生命体を原子レベルから見た楽しい話だ。時間があれば覗いて欲しい。
閑話休題。啄木は、一握の砂を執筆するにあたり、2日で260首を創作するなど、異様とも思える創作活動を行ったとされている。生命のほとばしりの時だったのだろうか。
この時期の、啄木の思考、行動の変化はどうだったのだろうか?書簡集などから、この生命の神秘といったものを追ってみたくなった。
(一握の砂 14/16)
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