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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

不信感からの脱出は、信頼し希望をもつこと・・・(未知の世界にこんにちは! 3/10)

2018-02-26 | 第一章「意識と知覚」

 自分の人生に大きな影響を与えているのは幼少期であるはずなのに、そのころのほとんどの記憶はなく謎に満ちている。特に生まれてから2歳ころまではエリクソンによると、希望ー基本的信頼感ー不信感の時代と呼ばれるがどうだったろうか。不信感そのものは主観的にしかわからないが、ある本によると、引っ込み思案や無気力などの行動と関係があるとも言われる。

 私のその頃は、受胎したのは1950年、誕生は1951年・・・太平洋戦争が終結して5年。日米安保条約などが締結される時代であり、物質的にはかなり貧しい時代であったようだ。赤痢で1万人以上の方がなくなったり、結核で亡くなる方も多い時期だった。

 今まで、こうした時代について母から聞いたりすると、私はかなり基本的信頼感や希望などから隔たっているのではと不安になったものだが、先日見つけた1950年の手紙などから思索すると、ある意味今以上に、人々は助け合い家族の絆も強かったように思うようになった。一枚2円とか5円の葉書にびっしりこめられた家族の愛に触れると、今と比べて何が貧しく何が豊かであったかがわかるのである。

 例えば、母の家族であるが、1945年の終戦の年は、東京大空襲で家は全焼、庭にあった防空壕の中まで火が入り、母が武蔵境の工場から都心に戻ったときは、ぽつんと祖母が立っていただけで、着るもの食べるものは一切そこにはなかったそうだ。運良く千駄ヶ谷の親戚の家が助かり、そこに頼ることができて命をつないだのである。そうした中で、逆に親子や兄弟の絆が強められ、情緒的には戦前からの良き日本の文化伝統もあり、私の当時の環境は決して悪くはなかったのだろうと思うようになった。小津監督の東京物語のような世界がそこにはあったのである。

 しかし、信頼というのは不思議である。一人では信頼感は得ることができない。何かの対象との相互作用が大事なのである。そして、何かタイミングというのがある。不快で不信感の塊のような状態で泣いていて、あるときタイミング良く救われる。その繰り返しの中から基本的信頼ができてくる。

 人は自分を見ていてもわかるが、どこか信用おけないものだ。そんな人間同士に信頼というのが成り立つのは、自分たち人間を超えた生命体というか神仏というか、そういった信頼できるサムシンググレイトの存在が必要なように感じる。そして、それ故に不信感で絶望的な環境の中でも希望を持つこともできるのではないだろうか。

未知の世界にこんにちは! 3/10

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